LVI
悲しみや情愛といったものをセロファン師は知らない。
彼の生業において、それらの感情は持っているほうが酷である。それゆえかどうかは解らないが、セロファン師の心は、喪の黒以外を知らず、黒以外は無色透明だった。
和風の古民家は、内装が洒落ていた。リノベーションの効能か、古風ではあっても古臭いという感じはなく、どこかモダンにさえ感じられる。
今時、珍しく日本髪を結い、着物をきちんと着付けた女性に、聴こえる。
たとぅ、たとぅ、たとぅ
顔を巡らせれば清涼な空気を纏う少年。
セロファン師が立っていた。彼女は微笑む。熟年の艶やかな笑みは、諦めとほんの少しの恐れを擁していた。
「望みの色を言ってくれ」
「やっぱりね。あたし、病院では匙を投げられたの。だから、きっともうすぐ、あんたが来るって解ってた」
「芸妓さんだったの?」
「そうよ。だから、逝く時もこの姿でないと。ね」
「セロファンの色は?」
「灰紫にしておくれ。今、あたしが着ている着物みたいな」
「灰紫が好きなの?」
「……昔、好いた男がね。灰紫色の着物を着たあたしをやたら褒めたのさ」
女性は遠い目をして、過去を回顧している。そんなものか、とセロファン師は思うだけだ。上着から灰紫のセロファンを取り出す。
「承った。向こうで逢えると良いね」
「そうだね……」
セロファン師は知らない。軽い気持ちで言った言葉に、彼女がどれだけの情を籠めて答えたのか。びかびか光る灰紫を見た彼女は、笑ったように見えた。全てが終わって、改めて屋内を見まわしたセロファン師の頭に、ハイヒールが投げつけられた。
白いスーツに金髪。
「ナナ。このハイヒールは君のかい」
「その人のよ。玄関にあった」
「勝手に扱っちゃ駄目じゃないか」
「あんたに言われる筋合いないわ」
ナナはふん、と鼻息を吐くと、その場から跳躍して消えた。




