LIV
そのホスピスは、芳しい薔薇の花に囲まれていた。
最期を静かに穏やかに、優しく彩る為の場所。生憎とその日は曇天で、薔薇の花たちも心持ち、不安そうに見えた。
たとぅ、たとぅ、たとぅ、と木靴の音。
セロファン師が、雷鳴と共にふわりと降り立つ。
とある病室。
ベッドに横たわる男性は、セロファン師の来訪を予期していたかのように、澄んだ眼差しで射干玉の少年の姿を捉える。
横にいるのは彼の妻だろう。しかし彼女にセロファン師の姿は見えない。声も聴こえない。彼女はもう、夫の語る声を聴くことすら出来ない。
曇天が僅かに青の笑いを見せる。こういうものを人は束の間の奇跡と呼ぶのかもしれない。
「こんにちは。貴方の望む、セロファンの色を言ってくれ」
男性の唇がゆるゆる、弧を描く。
そして彼は答える。
「卵色。カスタードの色を。僕は青が好きなのだけれど、妻には、その色によく似合うカスタード色のマフラーを贈ったんだ。彼女は、とても喜んでくれた」
「素敵だね」
セロファン師の唇も弧を描いた。
「なるみ。愛している。先に行って、君を待つよ。君はゆっくりおいで」
セロファン師が上着からカスタード色のセロファンを取り出した。びかびか光るセロファンが、この時は不思議と柔らかく発光しているように見えた。
妻には夫の声が聴こえていない。ただ、動く唇を食い入るように見つめるだけ。なのに彼女は言うのだ。
「ええ、解ったわ、貴方。……解ったわ」
繰り返された言の葉は、温かな雨降りだった。
陸 なるみさんご夫妻に捧ぐ。




