XXXVI
こんな時のセロファン師は、その生業に対してひどく真摯に見えると佐理は思う。
白皙の頬が引き締まり、唇は引き結ばれている。彼は踵を返し、部屋から出ると、右二つ隣の部屋の扉を開けた。その間も、たとぅ、たとぅ、という木靴の音が響いていた。
扉は上等の樫の木で、持ち手は金色の真鍮だった。スムーズに開いた扉の向こう、今まさに、窓から身を投げようとする男性の姿があった。彼の顔面は涙と鼻水に塗れ、瞳は驚愕に見開かれている。この館の住人の居室は全て二階にあった。セロファン師が進み出る。
「死ぬ前に、見たい色を言ってくれ」
「セロファン師……」
「そうだ」
「待て。その前に仔細を明らかにしておきたい。ローブを着た初老の女性。左二つ隣の部屋で亡くなっている婦人は、貴方が殺したのか」
佐理はどうしても全てを明らかにしたいらしい。それはいっそ感心する程の執心だった。
セロファン師のもの言いたげな視線も、彼は無視した。
「そうだ、殺した。いや、殺してない……」
「どっちなんだよ。はっきりしろ」
ぶつぶつと反対のことを答えた男性に、要が声を荒げた。佐理が視線で彼を制す。
「母さんは、俺が死のうとしていると気づいた。それなら先に自分が死ぬと言って、ナイフを手にした。俺はそれを止めようとして、揉み合っている内に。揉み合っている内に――――」
その先は涙で声にならない。
「どうして死のうとしたんだ?」
心底、解らないといった声音で尋ねたのは狭霧だ。
「こんなお屋敷に暮らして。家族がいて。健康そうだし」
はは、と男性が笑う。
「若い君には解らないだろう。生きていればどれだけの艱難辛苦があるか。金があれば全てが解決される訳じゃない。家族にだって救われない時はある。理解から程遠く、孤独の最果てに佇む気持ちは、経験しなければ解るもんじゃない」
狭霧は確かに若い。人生において未熟と言っても良い。だが、男性が絶望という名前の化け物に喰われてしまったのだということだけは理解出来た。それは誰にでも食らいつく獰猛な化け物で、人生のそこかしこに潜んでいる。狭霧とて無縁ではないのだ。
そして、だからこそ、目の前の男性を死なせたくないと強く思った。




