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たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。
闇夜に木靴の音が響き渡る。
民家の一室で、癌の末期にあった老女は、その時が来たのだと悟った。
セロファン師。
死にゆく者に、望む色を見せる存在。
初夏の風が緩やかに吹き込む窓から、セロファン師は軽やかに降り立った。
「こんばんは」
「……こんばんは。先に礼を言っておくわね。ありがとう」
「まだ色を見せてもないのに、礼を言われたのは初めてだよ」
「見せてくれるんでしょう?」
「それが僕の生業だ」
ああ、良かった、と彼女は思った。
自分には出来過ぎの人生、最期だとも。
子供たちは仲良く、協力して自分の面倒を見てくれた。
孫の顔も見られた。
――――自分は罪人なのに。
「臙脂の色を見せて頂戴」
臙脂。
黒に近い赤。その色こそが、自分の最期に相応しい。
「……余り心穏やかな色じゃないと思うけど?」
「そうね。でも、それで良いのよ。いいえ、そうでなければいけないの」
「……」
「私は戦時中、人を殺めたの」
「……」
風が、心なし血の臭いを帯びたようだった。
「家族を亡くして、娘一人、何とか生き延びていたわ。それこそ死に物狂いでね。でも、ある男に目をつけられて、無理矢理、犯されそうになった。私は、彼を包丁で刺した。血が、溢れ出たわ。私、その場をしばらく動けなかった。血って、最初は深紅でも、時間が経つと赤黒くなるのね。戦時中のいざこざで、私は罪に問われることもなかった。男は、評判の悪い人間だったし」
「でも貴方は人生の最期にその血の色を望む」
「ええ」
「それで良いの?」
「良いのよ。裁かれたいの」
「承知した。臙脂色のセロファンを、貴方に」
セロファン師は請け負うと、上着から臙脂色のセロファンを取り出した。
老女はもう一度、ありがとうと言った。
セロファン師はその礼を、無味乾燥に受け取った。
彼にとって、セロファンを見せることは全てであり、それ以外は些末事であった。
ただ。
ただほんの少し、不快だった。
「満足かい?」
ずっと以前にも、こんな風に尋ねたことがあった。
けれどそれはセロファンを見せた相手に対してだった。死者に対して。
今、セロファン師は、一部始終を見ていた狭霧に向かい、問いかけている。
正直、狭霧の存在は鬱陶しい。
「……みんな色々抱えてるんだな」
「まだ若い君には解らないだろう。長く人生を生きると、いや、短い人生でも、荷はあるものさ。そしてそれによってセロファンの色は左右される」
「あんたが見たいセロファンの色とかないの?」
この問いには、セロファン師も虚を突かれた。
それから不思議と興がる心地になった。
「君がそれを見る日は来ない。なぜなら僕こそが君の望む色を先に見るからだ」
狭霧はその時、どんな色を望むのだろう。




