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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
15/58

XV

「ほら、飲めよお。飲めってば」

 深夜。

 木造アパート二階、六畳二間の一室で、青年は掌に乗るくらいの仔猫に、哺乳瓶をあてがっていた。

 だが白に黒の(まだら)のその仔猫に、ミルクを飲もうという意思も力もなく、ぐったりと目は閉じられている。寒い冬の晩。青年は自らが泣きそうな顔になりながら、なおも必死に仔猫にミルクを飲ませようとする。

 そんな彼の耳に響く音。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。


 彼はぎくりとして後ろを振り返る。

 振り返った先には闇――――――否、闇の具現者のような少年が佇んでいた。

 面には物憂い微笑を浮かべ。


「こんばんは」

「セロファン師…こいつを連れに来たのか!?」


 いきり立つ青年に対し、セロファン師は静かに首を振る。

「僕は動物に色は見せない。僕が色を見せるのは、君だよ」

 青年は何を言われているのか、一瞬理解し損ねた。

「俺…?」

「そう」

「俺、死ぬのか?」

「うん。心筋梗塞でね」

 青年は茫然としたが、それでも片手の仔猫を抱く手はそのままだった。

「嘘、だろ?」

「僕は嘘は吐かない」

「…俺、卒論仕上げたんだ」

「そう」

「就職先も、内定が決まってる」

「そう」

「お袋たちも、喜んで………」

「そう」

 青年の目に溜まる涙を、セロファン師は平静な面で見遣る。

「今からって時なのに」

「世にはそうした場合も多いよ」

「知った風な口を利くなよ!」


 青年の激昂にもセロファン師は怯まない。

 臆せず退かず、ローテーブルの前に超然と佇んでいる。

 グレーのローテーブルが置かれた畳に、落ちる雫。

 青年は仔猫を抱いて泣いた。


「…こいつ、公園の生垣んとこにいたんだ。こんな寒い晩に」

「うん」

「そのまま放置したら死ぬに決まってんのに、どこかの莫迦が捨てやがったんだ」

「うん」

「俺、猫用哺乳瓶を買ってさ。こいつ、俺が生かしてやろうと思って…」


 セロファン師は、少しの間を置いて口を開いた。

「その仔猫も、助からないよ」

「……そうなんだろうな。そして俺みたいに、望む色を見せられることもない」

「そうだね」

「何でだ?人間とこいつらと、命の重さは同じだろう?」

「それはね。色を望むだけの想いを抱くのが、人間だけだからだよ。それだけの未練を持つ生き物は、人だけなんだ」

 青年が乾いた笑いを洩らす。


「強欲なんだな」


「さあ、もうそろそろ時間がない。君の望みの色を言ってくれ」


 青年は放心したように(うずくま)り、しかし仔猫を手放さない。


「望みの色かぁ…。ぱっとは出てこないなあ」


 その間も流れ続ける涙は、仔猫にも降り注いでいた。微かに、仔猫が身じろぎする。


「そうだ。こいつの目の色って出来るか?まだ開いてないから、何色かも解らないんだ」


 セロファン師は微笑む。


「承った。君の望みを叶えよう。その仔猫の、瞳の色を」


 セロファン師が上着から取り出したのは、朝焼けの空のような淡い青のセロファンだった。


 青年の前に、青が広がる―――――――。




 倒れ伏した青年の手には、まだ仔猫が抱かれていた。

 セロファン師はそっと面を伏せ、その仔猫をしばし見つめると、踵を返した。

 にーにー、とか細く鳴く声が遠くなる。


 外には寒月が照り輝いていた。

 残酷なほどに美しく。

 その寒月を突っ切るように、セロファン師は駆けた。

 鈴の音も木靴の音も彼の耳には入らない。


 猫の目は、小さな内は皆青いんだよ。


 そんなことを心の中、今しがた息を引き取った青年に語りかけながら、射干玉の色は駆け続ける。


 彼を見ていたのは寒月と。

 白いパンツスーツの少女だけだった。


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