XV
「ほら、飲めよお。飲めってば」
深夜。
木造アパート二階、六畳二間の一室で、青年は掌に乗るくらいの仔猫に、哺乳瓶をあてがっていた。
だが白に黒の斑のその仔猫に、ミルクを飲もうという意思も力もなく、ぐったりと目は閉じられている。寒い冬の晩。青年は自らが泣きそうな顔になりながら、なおも必死に仔猫にミルクを飲ませようとする。
そんな彼の耳に響く音。
たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。
彼はぎくりとして後ろを振り返る。
振り返った先には闇――――――否、闇の具現者のような少年が佇んでいた。
面には物憂い微笑を浮かべ。
「こんばんは」
「セロファン師…こいつを連れに来たのか!?」
いきり立つ青年に対し、セロファン師は静かに首を振る。
「僕は動物に色は見せない。僕が色を見せるのは、君だよ」
青年は何を言われているのか、一瞬理解し損ねた。
「俺…?」
「そう」
「俺、死ぬのか?」
「うん。心筋梗塞でね」
青年は茫然としたが、それでも片手の仔猫を抱く手はそのままだった。
「嘘、だろ?」
「僕は嘘は吐かない」
「…俺、卒論仕上げたんだ」
「そう」
「就職先も、内定が決まってる」
「そう」
「お袋たちも、喜んで………」
「そう」
青年の目に溜まる涙を、セロファン師は平静な面で見遣る。
「今からって時なのに」
「世にはそうした場合も多いよ」
「知った風な口を利くなよ!」
青年の激昂にもセロファン師は怯まない。
臆せず退かず、ローテーブルの前に超然と佇んでいる。
グレーのローテーブルが置かれた畳に、落ちる雫。
青年は仔猫を抱いて泣いた。
「…こいつ、公園の生垣んとこにいたんだ。こんな寒い晩に」
「うん」
「そのまま放置したら死ぬに決まってんのに、どこかの莫迦が捨てやがったんだ」
「うん」
「俺、猫用哺乳瓶を買ってさ。こいつ、俺が生かしてやろうと思って…」
セロファン師は、少しの間を置いて口を開いた。
「その仔猫も、助からないよ」
「……そうなんだろうな。そして俺みたいに、望む色を見せられることもない」
「そうだね」
「何でだ?人間とこいつらと、命の重さは同じだろう?」
「それはね。色を望むだけの想いを抱くのが、人間だけだからだよ。それだけの未練を持つ生き物は、人だけなんだ」
青年が乾いた笑いを洩らす。
「強欲なんだな」
「さあ、もうそろそろ時間がない。君の望みの色を言ってくれ」
青年は放心したように蹲り、しかし仔猫を手放さない。
「望みの色かぁ…。ぱっとは出てこないなあ」
その間も流れ続ける涙は、仔猫にも降り注いでいた。微かに、仔猫が身じろぎする。
「そうだ。こいつの目の色って出来るか?まだ開いてないから、何色かも解らないんだ」
セロファン師は微笑む。
「承った。君の望みを叶えよう。その仔猫の、瞳の色を」
セロファン師が上着から取り出したのは、朝焼けの空のような淡い青のセロファンだった。
青年の前に、青が広がる―――――――。
倒れ伏した青年の手には、まだ仔猫が抱かれていた。
セロファン師はそっと面を伏せ、その仔猫をしばし見つめると、踵を返した。
にーにー、とか細く鳴く声が遠くなる。
外には寒月が照り輝いていた。
残酷なほどに美しく。
その寒月を突っ切るように、セロファン師は駆けた。
鈴の音も木靴の音も彼の耳には入らない。
猫の目は、小さな内は皆青いんだよ。
そんなことを心の中、今しがた息を引き取った青年に語りかけながら、射干玉の色は駆け続ける。
彼を見ていたのは寒月と。
白いパンツスーツの少女だけだった。




