XIII
たとぅ、たとぅ、たとぅ、響く木靴の音を聴く者は限られる。
それは予期せぬ岩々の崩落だった。
折しも空は曇天で、細かい雨がぱらぱらと降ってはきていた。
しかし女には――――――下半身を岩に潰された女には予測のつかぬ事態であり、目を見開いて、ただただ呆然としていた。
隣には今年で三歳になる息子の、いた筈の場所に聳える岩。小さな靴の先だけが辛うじて見える。赤く染まった。その意味するところは明らかだった。
その岩の隣、悲惨な事故とはまるで無縁であるかのように、涼やかに立つ少年がいる。
いや違う。彼は無縁ではないからこそ、そこに立っているのだ。
自らのか細い呼吸音を聴きながら、女は思った。その、少年の履く木靴を見ながら。喪服のような、射干玉色の服を見ながら。
「息子さんは誕生日に飼ってくれることになっていた、ミニチュアダックスフンドの仔犬の毛の色を望んだよ。貴方は何の色を望む?」
「セロファン師…」
「そう、僕はセロファン師。死にゆく人に最期に望む色のセロファンを見せるのが仕事」
薄れる意識で、木靴の音を確かに聴いた気がする。
「…俊樹を返して」
「息子さんはもうお亡くなりだ。解るだろう?」
「解るもんですか、俊樹を返しなさいよ、この人殺し!」
大声で怒鳴った積りが、通常の声よりやや大きめくらいの声しか出ないのが、女には悔しい。
悔しい。
悲しい。
天地が裂けるほどの悲しみと、突如、自らと息子を襲った理不尽な事態への憤りは凄まじく、女は滂沱の涙を流した。
セロファン師は静かに返す。
「僕は人殺しじゃない。定められた運命に則り、ただ人に色を見せるだけ」
「俊樹を返して…」
「懇願されても脅されても、そんな力は僕にはないんだ」
「その女の人に救助を呼ぶくらいのことは出来るんじゃない?」
不意に割り込んだ少女の声に、セロファン師の顔が翳る。ごく微細な苛立ちが、揺らがぬ面を彩る。
金髪の、白いパンツスーツの少女が凛然として崩落した岩の一つに立っていた。木靴の音は、しなかった。潜めたのだろう。
「邪魔をしないでくれないか」
「定められた運命?誰が定めたの?例え絶対的且つ大いなる意志というものが存在するとして、時にはそれに抗うことも、あんたには出来るんじゃないの?」
「それは僕の存在を根幹から脅かす考え方だ。可能、不可能の問題じゃない」
「勇気がない」
「問題を履き違えないでくれ」
「…もう、もう良いわ」
セロファン師と少女の言葉の応酬に、今度は女がか細い声で割って入った。
「私は死にたくないんじゃない、俊樹を生き返らせて欲しいだけ。あの子の笑顔にもう一度会いたいだけ。抱き締めたいだけ。…それが叶わないのなら、あの子がお遊戯会で頭に着けていた、飾りのお星さまの銀色を見せて……。その色を見ながら、俊樹のもとに私も逝くわ」
セロファン師は上着から、銀色にびかびか光るセロファンを取り出した。
女が何も言わず、息をしなくなったあと、成り行きを見ていた少女は冷たい目でセロファン師を見た。
「あたしは諦めない。生への渇望こそがあたしの産まれたところ。どこまでも、あんたの所業を否定し、過ちと糾弾し続ける」
「………好きにすると良い」
白と黒の二人は、雨が降る中、互いを凝視し続けた。
憎むように。
愛するように。




