Ⅹ
あれが来る。
切妻破風門の豪壮な日本家屋。
広い座敷に横たわり、網代天井を寝床から見上げていた老女はそう、悟った。
あれは自分のところに来るのではない。
誰か別の家人のところだ。
ほら、聴こえる…。
たとぅ、たとぅ、たとぅ。
あれが来る。
老女は奥歯を噛み締めた。
自分のところに来るのだとばかり思っていた。
まさか肺炎を患っている孫のところのほうに行くとは。
老女は身体を叱咤し、身を起こすとずるずると孫の部屋に向かった。
「最期の色は、何色が良い?」
セロファン師の声に、少年が朦朧とした視線を返す。
枕元には水差しがあり、その透明がセロファン師の髪飾りの鈴の水色を思わせる。
咽喉が熱く、頭は更に熱い。胸が苦しい。息が苦しい。
ひゅー、ひゅー、と呼吸しながら、少年は己の死期を悟った。
まだやりたいことはたくさんある。
遺される身内の嘆きもどれ程か。
それでも最期に見たい色と言えば何だろう――――――。
少年が考えていると、部屋の襖が開いた。
「おばあちゃん…」
「許しませんよ、セロファン師」
「今日は貴方の番ではないのだけれど」
「寛に最期の色を見せないで頂戴」
セロファン師は青々しい畳に置いた木靴を交差させ、考え顔だった。
「この家はシャーマンの家系なんだね。時々、貴方のように勘の鋭い人が現れる。でもね、ご婦人。これはもう、定められたことなんだ」
「連れて行くなら私になさい。何もそんな年端の行かない子供を!」
「連れて行くのは僕じゃないんだ。よく間違われるけど。僕は、逝くことが決まった人に、最期の色を見せる。ただそれだけ」
「私になさい」
「だから…そんな押し問答をしている内に、お孫さんは何の色を見ることもなく逝くことになるよ。それでも良いの?」
良い筈がない。
老女の瞳に張った水は今にもこぼれ落ちそうだ。
「どうしても、寛は助からないの?」
「うん。どうしても」
「…おばあちゃん。僕、色を言うよ」
「寛!」
「おばあちゃんがよく作ってくれた、出汁巻き卵の色」
「………」
へへ、と寛は照れたように笑った。苦しい息の下。
「僕の弁当、友達から羨ましがられてたんだ。特にばあちゃんの作ってくれた出汁巻き卵は美味しくって…だから」
「承った」
セロファン師は上着から、出汁巻き卵のふんわりとした、淡い黄色を取り出した。
あとには老女の号泣する声が残った。
切妻破風門の上に腰掛けてぼんやりするセロファン師。
彼に声を掛ける者があった。
「相変わらず、無慈悲だこと」
金髪を肩口で切り揃えた、白いパンツスーツの少女。足には木靴。
セロファン師は彼女を見もせず答えた。
「僕の仕事は慈悲無慈悲を超越したところにある」
「あんた自身の意志はそこにないの?」
「ないね。君が一番よく知っている筈だ」
「…そうね。虚しくなる時もないの?」
「ないね。それも君が一番よく知っている筈だ」
「そうね…」
少女はセロファン師の涼やかな髪飾りに触れると、木靴の音を響かせながら姿を消した。




