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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
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 あれが来る。


 切妻(きりつま)破風門(はふもん)の豪壮な日本家屋。

 広い座敷に横たわり、網代(あじろ)天井(てんじょう)を寝床から見上げていた老女はそう、悟った。

 あれは自分のところに来るのではない。

 誰か別の家人のところだ。

 ほら、聴こえる…。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ。


 あれが来る。


 老女は奥歯を噛み締めた。

 自分のところに来るのだとばかり思っていた。

 まさか肺炎を患っている孫のところのほうに行くとは。

 老女は身体を叱咤し、身を起こすとずるずると孫の部屋に向かった。


「最期の色は、何色が良い?」

 セロファン師の声に、少年が朦朧とした視線を返す。

 枕元には水差しがあり、その透明がセロファン師の髪飾りの鈴の水色を思わせる。

 咽喉が熱く、頭は更に熱い。胸が苦しい。息が苦しい。

 ひゅー、ひゅー、と呼吸しながら、少年は己の死期を悟った。

 まだやりたいことはたくさんある。

 遺される身内の嘆きもどれ程か。

 それでも最期に見たい色と言えば何だろう――――――。

 少年が考えていると、部屋の襖が開いた。

「おばあちゃん…」

「許しませんよ、セロファン師」

「今日は貴方の番ではないのだけれど」

(ひろし)に最期の色を見せないで頂戴」

 セロファン師は青々しい畳に置いた木靴を交差させ、考え顔だった。

「この家はシャーマンの家系なんだね。時々、貴方のように勘の鋭い人が現れる。でもね、ご婦人。これはもう、定められたことなんだ」

「連れて行くなら私になさい。何もそんな年端の行かない子供を!」

「連れて行くのは僕じゃないんだ。よく間違われるけど。僕は、逝くことが決まった人に、最期の色を見せる。ただそれだけ」

「私になさい」

「だから…そんな押し問答をしている内に、お孫さんは何の色を見ることもなく逝くことになるよ。それでも良いの?」


 良い筈がない。

 老女の瞳に張った水は今にもこぼれ落ちそうだ。


「どうしても、寛は助からないの?」

「うん。どうしても」


「…おばあちゃん。僕、色を言うよ」

「寛!」

「おばあちゃんがよく作ってくれた、出汁巻き卵の色」

「………」

 へへ、と寛は照れたように笑った。苦しい息の下。

「僕の弁当、友達から羨ましがられてたんだ。特にばあちゃんの作ってくれた出汁巻き卵は美味しくって…だから」


「承った」


 セロファン師は上着から、出汁巻き卵のふんわりとした、淡い黄色を取り出した。


 あとには老女の号泣する声が残った。


 切妻破風門の上に腰掛けてぼんやりするセロファン師。

 彼に声を掛ける者があった。


「相変わらず、無慈悲だこと」


 金髪を肩口で切り揃えた、白いパンツスーツの少女。足には木靴。

 セロファン師は彼女を見もせず答えた。

「僕の仕事は慈悲無慈悲を超越したところにある」

「あんた自身の意志はそこにないの?」

「ないね。君が一番よく知っている筈だ」

「…そうね。虚しくなる時もないの?」

「ないね。それも君が一番よく知っている筈だ」

「そうね…」

 少女はセロファン師の涼やかな髪飾りに触れると、木靴の音を響かせながら姿を消した。



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