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青空隊  作者: 葱鮪命
48/54

突撃、手負猪! 前編

夏凪なつなぎ、決めた?」


 放課後の教室、秋の爽やかな風が吹き込んでくる窓辺に、一人の少女は近づいていく。山吹やまぶき 円香まどか、一年五組の生徒の一人だ。窓辺の席に座っているのは、黒髪を短く後ろで一つにまとめ、残った髪を顔の横に垂らした少女。彼女もまた五組の生徒である。夏凪 小空こそらだ。


「うんにゃー、迷うなあ」


 小空は首を捻って言った。彼女が今手に持っているのは、二枚の紙だった。ホチキスで留められているそれは、全体を枠で長方形に細かく区切られている。その長方形の中には、予め印刷されていたデジタルの文字と、後から人の手で加えられた文字があった。


 デジタル文字で書かれている単語は、『騎馬戦』、『パン食い競争』、『借り物競争』、『徒競走』などの文字である。人の手で後から書かれた文字は、全て人名だ。それは、全てこのクラスに属する生徒の名前だった。枠にはまだ空きがあり、どうやら小空はどの競技種目の欄に自分の名前を書き足すのかを決めかねているようであった。


「どれも捨てがたいんだよねえ。徒競走なんて、ゴールテープの役が最高だろうし、パン食い競争なんて____これ字間違ってるよ。パンじゃなくてパイ____」

「はいはい、良いからちゃっちゃと決めちゃって。明日締め切りなんだから」


 小空のボケを慣れた様子で受け流す円香。小空は唇を尖がらせ、改めて紙に目を落とした。


 小空が通う色科しきしな高校、通称「シキ高」では、体育祭の準備が着々と進められていた。秋も深まり、運動するには良い季節だ。夏休み後の定期考査も無事に終わり、生徒たちも全力でこのビッグイベントを楽しむことができるのである。


 体育祭に限らず、大きなイベントになると、クラスから各二名その行事を盛り上げる委員会の委員を選出しなければならない。五組の体育祭委員は円香だった。もう一人は男子生徒だが、彼は部活の方で大きな大会を控えているために、ほとんどの仕事は円香が受け持つことになったのだ。


 数日前から委員会の上層部から種目のアンケートが出て、クラスごとに種目に参加する者を決めなければならなくなっていた。昨日、クラス全体で大掛かりな種目決めをしたのだが、小空は用事が何たらと学校を早退していたため、彼女だけがまだ何の種目にも属していない状態だった。


 各クラス、どの人がどの種目で出場するかを全て記して、その紙を明日までに上層部に提出することになっていた。基本的に一人一種目以上の参加は絶対なので、小空の名前はどこかしらの枠に収めなければならない。しかし、小空はなかなか決まらないようで、かれこれ三十分はこの調子だ。


「円香ちゃんどこ居る?」

「私は徒競走」

「あー、なるほど。じゃあ私はゴールテープ役として____」

「夏凪に飛びつくなんてやだ」

「がーん」


 円香は「ああ、そういや」と手に持っていたファイルから、一枚の紙を取り出した。


「夏凪、足は速かったよね。私のクラスだと上から二番目? リレーの選手、夏凪にしようかってみんなで言ってたんだけど。どう?」

「え? リレーですか」


 小空が目を丸くして自分を指さす。


「またまた、円香ちゃんはご冗談がお上手なようで」

「いや、真面目に。夏凪の足なら、陸上部の子たちと同等に戦えるよ」

「そこまで言うなら……何かご褒美があれば頑張るかなあ」


 ちらちらと熱い視線を投げてくる彼女を置いて、「じゃ、決定ね」と円香は取り出した紙に小空の名前を書き足した。


「あとは、その紙から種目選んで」

「えー」

「早くしてよ」

「何がおすすめ?」

「おすすめとかない」


 居酒屋じゃないんだから、と円香はため息をつく。小空はやる気になれば早いのだ。何ならば彼女が本気を出して取り組んでくれるだろう、と円香は小空の前の紙を覗き込む。


「じゃあ、これは? 借り物競争」


 小空は眉を顰めている。円香は、にやっと笑って続ける。


「何借りるか当日まで分からないんだよ。女子の____」

「やる」

「即決」


 *****


「おはよう」

「おはよー」


 青空隊のキッチンに次々と人が入って来る。


「今日は体育祭だっけ」


 そう問うのは、フレンチトーストを焼く青咲せいさく。甘い香りがキッチンに充満している。嵐平らんぺいはギラギラした目で、目の前のプレートに黄金のふわふわが降りてくるのを待っている。小空はコーンフレークを口に運びながら「そう」と頷いた。


「二人は何に出るの?」


 青咲がフライパンを持って此方にやって来た。嵐平の前に置かれたプレートにフレンチトーストを乗せる。嵐平は卓上に用意されたホイップクリームをその上に絞ると、「いただきます」とかぶりついた。


「俺は借り物競争と、リレー。あと騎馬戦」


 小空は牛乳でコーンフレークを流し込んでから答えた。


「騎馬戦?」


 青咲は新しいパンをフライパンに入れて、その隣で弁当作りを並行して行う。


「今も騎馬戦ってやるんだ?」

「何かと行事には熱い学校らしいよ、ねえ」


 小空は嵐平を見る。彼の頬はハムスターのようにパンパンだ。プレートの上は既に空になっていた。


「おかわり」

「嵐平、もっと味わって食べて。作るの大変なんだよ、フレンチトースト」


 青咲はため息をついて、フライパンの様子を見た。


「で、らんちゃんは何の種目に出るの?」


 小空が改めて聞いた。


「パン食い競争」

「だろうね」

「でしょうね」


 小空と青咲の声が重なる。パン食い競争は彼のためにある競技と言っても過言ではないだろう。嵐平は誰よりも食べることが好きなのだ。


「よっしゃ、絶対に一位取ってやろうぜ嵐ちゃん!」

「一位取って、賞品のお菓子詰め合わせゲット」

「君たち違うチームだよね?」


 *****


 シキ高の体育祭が始まった。組ごとに色分けされたクラスは、ハチマキの色で見分けることが可能だ。小空たちのクラスは青色。それぞれのクラスの体育祭委員がくじ引きで色を決めたらしい。


「円香ちゃん、結んで~」


 猫なで声で、小空は円香のもとへ向かった。彼女は体育祭の運営で忙しいようだ。「無理」と一蹴して、そそくさとクラスを出て行ってしまった。しょんぼりする小空の背中に「あの」と声がかかる。


 それは、五組の女子生徒の一人である國枝くにえだ 夏音なつねであった。


「夏音ちゃん! もしかして結んでくれるん!!」


 小空の表情がしょんぼりしたものから、太陽が宿った眩しいものに変わる。「うん」と夏音は頷いた。


「ありがとー! やあ、円香ちゃん釣れないわー。でも夏音ちゃんに結んでもらえるなら良いや!」


 小空がハチマキを渡すと、夏音は早速彼女の頭に巻き始めた。髪を整えながら、カチューシャに近い位置でリボンに結ぶ。結び目が上に来るようにすると、ウサギの耳のようになった。


「できたよ」

「え、ちょっと可愛すぎん?」


 小空が夏音に渡されたコンパクトミラーを開いて、自分の額の上でうさ耳を作る青いリボンを見る。


「夏凪、可愛いの似合わんな」


 遠くから男子の声がする。「うるせー!」と小空。


「直そうか?」

「いや、このままで」


 夏音がハチマキに手をかけようとするが、小空はその手を掴む。


「ありがと、夏音ちゃん。めちゃんこ可愛い。これは棺に入るまで解きません」

「ちょっと重いかも……」

「え、そう? でもありがと」


 ニッと元気な笑顔を見せられた。夏音は嬉しくて「うん」と頷く。クラスの中心人物にハチマキを巻いてあげたという仄かな優越感が心地よかった。


「あ、写真撮ろー! ちょっと待ってね、スマホスマホ……」


 小空が慌ただしく自分の鞄に手を突っ込み始める。夏音はその間、ぼんやりとクラスの様子を眺めていた。

 こうした体育祭に、きちんと参加しようとする気が起きたのは初めてだった。中学生の頃は、運動神経の悪い人間が楽しめるイベントではないと、何かと理由をつけて休んでいたのだ。しかし、今日は自然と学校へ足が動いた。このクラスで参加できるのならば、悪くないと思ったのだ。


「あった、あった! じゃあ、撮ろ、夏音ちゃん!」

「う、うん……あの、私ポーズとか流行りの知らなくて……」

「とっておきのあるよ! もっと寄って!」


 夏音は小空に半ば抱き寄せられるようにして、彼女と体を寄せた。カメラの画面が二人の顔を映す。小空の柔らかい頬が、夏音の頬に押し付けられる。


「反対の手で半分ハート作って____って、アカーン! 私、手ぇ塞がってるわ! 館山たてやま! カメラマン!!」

「何で俺なんだよ!」


 そう、こういうところが、今回この体育祭に参加したいと思った理由だった。この雰囲気が、夏音は心地よいのだった。


 *****


 校長の前で体育祭の委員の代表が体を張った渾身の漫才をするという、ユーモアに溢れた開会式が終わると、早速競技が始まった。


 最初の競技はクラス別の徒競走。最初は一年生である。自分が教室で使用している椅子を持ち出し、クラスごとにまとまって、グラウンドを囲むような円形が二つ出来上がる。競技は同時並行、二か所で進められていく。一年生の競技の反対側では、三年生による徒競走の準備が行われているところだ。


「あ、円香ちゃーん!」


 応援席から立ち上がり、各々自作したプラカードやうちわを持った生徒が、トラックの外側に並んでいる。体育祭の応援と言うより、アイドルの公演のような状態である。


 小空はこの日のために準備してきたのだという_____同じクラスの女子生徒の名前が書かれたうちわを持っていた。ひらがな表記された下の名前が、丸々としたポップなフォントで、うちわの表面を飾っている。裏側には「ファイト♡」、「ファンサ下さい」、「こっち見て!」と一人一人異なる言葉が、目立つフォントで張り付けてある。


「気合入ってるな」


 クラスの女子全員分となると、持ってくるのも大変だったのだろう。現に小空のイスは、手作りうちわのおかげで座るスペースが無い。


 徒競走に出る女子生徒のうちわを用意していた小空に向かって、同じクラスの男子生徒、白石しろいし 日向ひゅうがは言う。


「そりゃ、こんなビックイベント全力で楽しまないわけないじゃん!? あ、ちょっとこれ持ってて」


 そう言って、三枚のうちわを預けられる日向。今回、徒競走に参加する女子生徒は四人。山吹 円香、相澤あいざわ 小麦こむぎ神崎かんざき 季子きこ羽山はやま めい。体力測定の50m走でそれなりのタイムを出した者である。特にクラスで最も足の速かった相澤 小麦は、小空と共にリレーの選手にも選ばれている。


「えーっと、めいちゃんのうちわがこの辺にあるはずなんだけど……」


 小空は残り一人のうちわを探しているらしい。日向は待っている間、持たされた三枚のうちわを見ていた。

 まずは円香のうちわ。「まどか」とピンク色の派手な色の文字が並び、その周りにラメ入りの星のシールや、ハートのシールが貼り付けてある。

 「こむぎ」のうちわは、外側が金色のモールで縁を作られてあり、「小麦」という名前から発想を得たのか、文字通り黄金の穂を垂らす小麦や、パンのイラストが貼り付けられていた。

 続いて「きこ」のうちわには、ウサギの耳がついている。そういえば、入学式の自己紹介の際に彼女が家でウサギを飼っていると言っていた。うちわには当然のようにニンジンのイラストが貼り付けてあった。


 一枚に一体何円使っているのだ、と日向は感心よりも呆れてしまう。


「あったー! っしゃあ、応援だ、応援! 気合入れてくぞ!!」


 彼女はそう言って、四枚のうちわを抱えて、誰よりもトラックに近い位置で応援しようと人ごみの中に消えていった。


 *****


「あー、緊張する」


 入場口に並んだ生徒たちの中で、円香は言った。数日間、この大会のために委員として準備をしてきた。最初は乗り気でなかった委員会の活動も、イベントが近づくにつれて熱が入るようになってきた。いざ自分が出演する側になると、また不思議な感覚である。


 じゃんけんで決まった順番では、円香が最も初めだった。他のクラスの女子はほとんど運動部らしい、すらりとした長い足が特徴的だった。小空ならば一人残らず名前とプロフィールを言えるのだろうが、円香はそこまで他クラスに興味が無い。


「大丈夫だよ。一位じゃなくても二位だって十分なポイント貰えるし」


 そう言って、小麦は屈伸運動をしていた。水泳部だという彼女の体は、ジャージの上からでもよく分かるほど羨ましい美しさだ。


「この人数に見られて走るのって初めてかも」


 そう言って会場を見回すのは、季子。今日も学校に行く前にウサギを思う存分撫でてきたのだと言う。制服にはよくその毛がついているのだ。


「もう一つのトラックでも競技がやっているとは言え、高校は生徒の数が桁違いだもんね」


 二年生はこの時間は競技がないので、自然と二つの内どちらかのトラックの応援に回ることになる。大抵、部活があればその部活の後輩や先輩の応援をするだろう。小麦が所属する水泳部の先輩が遠くで手を振り、円香が所属する硬式テニス部の先輩も、半分が見に来ているようだ。


「誰か応援してくれるかな」


 そう言って首を傾げるのは、羽山 めい。剣道部に所属する彼女もまた、俊足の持ち主であった。


「安心しろ」


 そう言って指を指す同クラスの男子。彼らは羨望の目と呆れた目を、トラックに向けている。


 一年五組が椅子を並べているのは、楕円を描くトラックの、ちょうど直線になっている部分だ。応援は基本的に自クラスの決められたスペースで行われることになっており、もし違うトラックの観戦をしたい場合は、それ専用のスペースが特別に設けられている。


 五組のスペースには、第一種目に出場しないクラスメイト達が、今か今かと選手の入場を待ちわびている。特に、その生徒たちの真ん中で、ひときわ目立つ少女の姿が見えた。


「小空ちゃんだ」


 彼女は何か叫んでいる。手に持っているのはうちわらしい。そういえば、今朝教室に入って来たとき、やけに重そうな紙袋を両手にぶら下げてきたのを見たな、とめいは思い出した。


「あいつ、女子生徒全員分のうちわを手作りして持ってきたらしいぜ」

「女子全員!?」


 小麦が吹き出す。


「昨日、ちゃんと寝たんだろうな」

「うちのクラスのエースだっていうのに……大丈夫なのかな」

「まあ、夏凪だしね」

「小空だもんね……」


 皆で頷きあったところで、入場のファンファーレが鳴り響いた。一年生の徒競走が始まるのだ。


「よっしゃ、頑張るぞ」

「おうっ!」


 *****


 円香はスタートラインに並ぶ。クラウチングスタートから入るので、まず地面に片膝をついた。隣に並ぶのは、やはり足が速そうな女子生徒だ。この体型は、陸上部では。反則だと言いたいところだが、基本的に誰がどの種目に出てはいけないというルールは設けられていない。取り合えず、勝てずとも上位に食い込むくらいはしたいところである。


「よーい、」


 体育教師がピストルの口を空に向ける。腰が高く上がった。足にしっかりと力を入れ、地面を睨む。


 パンッ、と乾いた音と共に、円香は地面を蹴った。「さあ、始まりました」という実況の声が聞こえてくる。この学校の放送部は、実況が上手いといわれているらしい。放送の大会では良い成績まで毎年行くのだということも聞いたことがあった。たしかに、切れ間無い放送が続く。

 体育祭委員で放送をするのだと思っていたので、彼らの仕事は本当にありがたい。自分は実況など、「〇〇早いです」「〇〇頑張ってください」などという、テンプレートのものしか口にできないのだ。


『おーっと、ここで四組の熊野くまの選手が先頭に躍り出ました! 中学の頃は地元の陸上大会に飛び入り参加して一位を取ったそうですが____茶道部に果たしてその俊敏さは必要なのだろうか!?』

「茶道部なんかよ……」


 隣のランナーは速い。ぐんぐんと先を行く。円香は何とか食らいつこうと彼女の背中を追いかけた。応援席からは、その少女のクラスなのだろう、怒号のような応援が聞こえてきた。他クラスは圧倒されるほどだ。高校生の体育祭にこれだけムキになるのもいかがなものだろう、と円香は思う。


 すると、


「円香ーっ!」

「円香、行け!!! 抜いてけ!!」


 どうやら、一年五組の応援席の前を通り過ぎようとしているようだった。円香はちらりと其方に顔を向ける。キラキラするものが目に入った。それは、うちわだった。「まどか」と可愛いフォントで描かれている。持っているのは、小空。彼女は目が合うと、それをくるりとひっくり返した。


「きゃーっ! ファンサくださーいっ!!」


 何をしているのか。


 円香は半ば呆れながらも、彼女に向かって人差し指を突き出した。「ばーん」と、口だけ作ってやる。すると、割れんばかりの歓声が巻き起こった。


「なんだこれ」


 円香は苦笑し、引き続きさっきの少女を追いかけるのだった。


 *****


 徒競走は、総合順位が二位という結果に終わった。最初にしては上々である。円香は席に戻るなり、囲まれたのだった。


「さっきのあれ! もっかい!!」

「動画撮ってたからな、山吹」

「イケメンのエモート!」


 円香は「恥ずかしいんだけど」と軽く小空を睨む。小空は「いやあ」と笑った。


「かっこよかったよ。あとで最高のショット送るね」

「いらんいらん」


 首を横に振ったところで、放送が鳴った。


『担当の体育祭委員はテントまでお集まりください』


「あ、行かなきゃ」


 円香は飲んでいた水筒のふたを閉め、つま先を変える。


「忙しそうだね」


 去っていく彼女の背中を見て、夏音は言う。


「俺らが次に応援に立つのいつ?」

「次。借り物競争」


 一年五組の前のトラックでは、次の種目である二年生の徒競走の準備が行われていた。後ろのトラックでは、三年生の徒競走が終了したらしい。次の競技は、借り物競争だ。

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