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青空隊  作者: 葱鮪命
34/54

立ち向かえ神立!-4

「よし、天ちゃんはまずシャワーな」


 小空こそら透真とうまに連れて来られたのは、住宅街の中に佇む一軒家だった。天助てんすけは小空の言葉に小首を傾げる。


「天ちゃん……?」


 すっかり泣きつかれて言葉も少なくなっていた彼は、久々に口を開いた。声の震えは収まっていた。


「そう。天ちゃん。良いでしょ」


 どうやら、自分の呼び名らしかった。天ちゃん、と天助は口の中で呟いてみる。それは小学生の頃の呼び名だった。


 この町で、その呼ばれ方をする日が来るなんて、思ってもいなかった。


「ただいまー」


 小空は家の扉を開けた。そして、扉を抑えて天助に手招きする。天助はおずおずと家の中に入った。透真を最後に扉は閉められる。


 人の家の香りがした。引っ越して来た日、新しく嗅いだ今の家の匂いに寂しくなったことを思い出す。前の町がひどく恋しくなった。


「風呂場は、そこの扉開けたらすぐだから。透真、お前服貸してやんなよ」

「はあ? なんで俺が」


 風呂場の位置を示しながら小空が言うと、透真は不満げな表情を見せる。天助はまだ玄関に立ったまま、彼女らの動きを見ていた。それに気づいた小空が「早くしないとアリが来ちゃうぜー?」と悪い顔をするので、靴を脱ぎ始めた。


 玄関から真っすぐな廊下が伸びており、右と左にそれぞれ数枚の扉が付いている。突き当たりの部屋に扉は無いが、その代わり薄いカーテンで仕切られているようだった。突き当たりから左に廊下は曲がっていたが、その先は天助が今居るこの位置からは見えない。


 天助は小空が指さした扉を開く。その扉は引き戸だった。開くと、ふわりと柔軟剤の香りがした。真正面には洗面台、その横にドラム式の洗濯機が一台置いてある。入って左手に扉があり、その奥が風呂場だろう。


「服は洗濯しておくから、そこの籠の中にでも入れておいて」


 小空が後ろから腕を伸ばして、洗濯機の前に置いてある白い籠を指さした。天助は「分かった」と頷く。


「あと、シャンプーは基本置いてあるもの使って良いんだけどさ、赤色のボトルのやつはダメね」


 小空が部屋から出て、扉に手をかける。


「副隊長さん、おっかないからさー」


 その言葉を最後に、扉は完全に閉められた。天助はその部屋に一人残される。


 改めて、部屋の中を見回した。洗濯機の横には、ダークブラウンの木で作られた壁掛けの棚があり、そこに真っ白なタオルが綺麗に畳まれた状態で収納されている。柔軟剤の香りは、あのタオルから漂ってきているようだ。

 次に洗面台を見てみると、歯ブラシ立てに五本の歯ブラシが立ててあるのに気づいた。全て色違いだ。コップは三つ用意されている。試しに洗面台についている棚を開けてみた。ワックスやボディクリームなどが所狭しと並べられている。


 天助はこの光景を見て不思議だった。


 此処は、透真と小空だけの家ではないのだろうか。二人で暮らすにはこの量の歯ブラシやコップは違和感がある。それに、二人はまだ高校生だ。高校生が一人暮らしをする話は聞いたことがあるが、結婚して同棲するという話は聞いたことが無い。兄妹なのか。あの全く似ていない二人が?


 天助は悶々としながら服を脱ぐ。砂糖でべたべたになった服は気持ち悪い。小空に言われた通り、脱いだ服を棚の前に置かれた白い籠の中に放った。他にも誰かの服が入っている。それは、やはり二人だけの量ではなかった。


 全裸の状態で、風呂場へ続く扉を開く。窓を通して差し込む日の光が、浴室全体に反射して眩しい。窓は開かれていた。隣家からは見えないように塀が設けられているので、覗かれることはないだろう。


 天助は完全に浴室の中に体を滑り込ませた。


 白で統一された浴室だが、唯一色が混在している場所がある。それは、鏡横の棚だった。シャンプーやリンス、ボディーソープのボトルが場所を争うように並んでいる。ほとんどがメンズ用で、レディースは各種ひとつずつしかない。


 小空に忠告を受けた赤いボトルが目に入る。他のものはテレビのコマーシャルで良く宣伝されているものだというのに、そのボトルは見たことが無かった。聞いたことのない名前がボトルにプリントされている。成分表記に日本語が無いところを見ると、海外もののようだ。


 触るなと言う話だったので、天助は他のシャンプーを手に取った。シャワーの蛇口を捻り、体にこびりついた泥と砂糖、そして汗を落としていく。


 鏡の中の自分と目が合う。体のところどころに痣を見つけた。


 小空たちに会うまでは、きっと「友達の証」と言う名前でも付けて、嬉しがったのだろう。


 シャンプーを泡立てながら、天助はぼんやりとそんなことを考えていた。


 *****


「中学生のいじめか」


 此処は青空隊のリビング。テーブルを囲むようにして小空、雨斗あまと嵐平らんぺいが座っている。雨斗はノートパソコンを睨み、嵐平は昨日の夕食のナポリタンを口に詰められるだけ詰めている。小空は彼に「一口頂戴」と口を開けるが、見向きもされていない。


「友達料金っていう集金制度が最近の子供の遊びなんかねえ」


 小空は嵐平からナポリタンをもらうのを諦めて、雨斗を見る。


「払えないとぶん殴るっていう、運動もできる素晴らしいゲームだね。あー物騒、物騒」


 小空はソファーにもたれて天井を仰いだ。


「天助も、いじめっ子がお金を自分にたかることは変だと気づいてはいるみたいだけどね。認めたくないみたい」


 雨斗は黙ってパソコンを触っている。嵐平は皿をまっさらにして、名残惜しそうにソースをかき集めようとしている。


 そこへ、リビングに透真が入って来た。彼はテレビの前に腰を下ろして、テレビとゲームの画面を繋げると、コントローラを巧みに使って遊び始めた。嵐平は彼の隣へ移動して一緒に画面を眺め始める。小空も目が暇なので、透真の操作するキャラクターを目で追った。


「いじめか」


 雨斗が小さく呟いた。


 *****


 天助は浴室から出て気づいた。さっきまで無かったはずだというのに、服が一式置いてある。白いTシャツと、黒い半そでのパーカー、そして半ズボンと靴下、下着。


(どうしてここまでするんだろ)


 天助はじっと服を見つめる。


 汚れた服で帰っても、どうせ母親が気づかないうちに洗って、自分で干すのに。何故、あの時自分は小空の言葉に素直に甘えて、この家にやって来たのだろう。


「……変なの」


 天助はぼそりと言って、バスタオルを頭からすっぽり被った。


 *****


 各々が好きなことをする青空隊のリビングは静かだ。透真がコントローラのボタンを操作する音と、雨斗がパソコンのキーボードを操作する音だけが部屋には響いている。そんな部屋に、ぺたぺたと廊下から近づいてくる音がある。間もなくして、リビングの扉が開いた。


 天助が顔を覗かせる。


「あ……シャワー、ありがとう」


 小空と透真しか居ないと思っていたのか、彼の声は尻すぼみになった。大人数の前に姿を現したくないのか、なかなか扉の裏から出てこない。そんな彼に小空が明るく声をかける。


「透真に服貸してもらったんでしょ? 見せて見せて!」


 彼女の手招きで、天助は恥ずかしそうにリビングに入って来た。透真が脱衣所に用意してくれた服の一式をまとっていた。


「お、似合うね」

「サイズは」


 ぱちぱちと拍手する小空とは対照的に、透真はゲーム画面から目を離さずぶっきらぼうに問う。


「大丈夫」


 さっきの会話もあって、天助は罰悪そうに答えた。


「そこ座れ。何か飲み物持ってくる。麦茶で良いか?」


 雨斗がパソコンを閉じて立ち上がった。天助は頷いて、空いている一人掛け用のソファーに腰を下ろす。そして、落ち着かなくてきょろきょろと辺りを見回した。


 不思議な空間だった。口周りを赤く汚した少年だったり、真剣にゲームをプレイする少年だったり、パソコンをいじる少年だったり、足を投げ出して、ゲームのキャラクターを目で追う少女だったり。


 此処に居る人たちは、どんな関係なのだろう。友達なのだろうか。それとも、兄弟なのか。


 天助は洗面所に置いてあった歯ブラシや、浴室にあったシャンプーやリンスを思い出す。あの量のものがあるということは、この家で全員生活しているということなのだろう。


「なあ、天ちゃん」


 小空がゲームの画面を向いたまま、名前を呼んだ。


「此処に居るやつらは、誰もお金で繋がっていないんだぜ」


 天助は目を丸くする。


「金が無くたって、屋根の下で暮らせるくらいには仲良くなれるんだよ。家族も同然だからな」

「家族」


 天助の頭の中に、父と母の顔が思い浮かんだ。そろそろ帰らないと、母が心配する。服が変わっていたら、なんて言うだろう。


「あいつらがそれくらい深い関係を望んでいるとは思えないな、俺」


 小空は此方を向く。真剣な顔だった。

 彼女の言う「あいつら」は、海靖かいせい央大おうだいのことだろう。


「無理して食らいつきたくなる関係は、友達じゃないんだよ。金なんか要らないんだから、本当は」

「うん」

「わかったね」

「……うん」


 こらえる必要は無いと感じた。今度は安心して泣いて良いのだ。

 目の前に麦茶が置かれるまで、天助は声を出して泣いていた。


 *****


「ふんふんふーん」


 小空は鼻歌を歌いながら、週に数回やって来る皿洗いの当番を、青咲せいさくと並んで行っていた。


「ずいぶんとご機嫌だね。何かあったの?」


 ゴム手袋をつけて、スポンジに洗剤を垂らしながら、青咲は隣の少女に問う。


「いやー、いろいろとね」


 小空はにんまりと笑って見せた。


「えー、何さ、凄く気になるんですけど」

 青咲が小空を軽く肩で押しやる。


「ちょっと楽しみができたんだよ。まあ、青咲も楽しみにしてて、ってことで」

「え? なになに、僕にも関係あることなの?」


 その後、しつこく聞いた青咲だが、小空は「楽しみに待っといて」の一点張りだった。

 可愛い女の子の任務でも入ったのだろうか、と青咲は想像を膨らませるが、自分にも関係があるとなると_____はて、何があるのか。


 *****


 天助は自室のベッドに横になっていた。家に帰ってきて、母には、遊んでいたら服を汚したので友達の家で借りてきた、という話をした。特に怪しまれることはなく、今度何か手土産を持って返しに行かないとね、という旨のことを話されて会話は終わった。


 壁に掛けられた透真の服を見つめながら、天助は考える。


 金が要らない関係は、身近にあった。それは家族だった。小空の家でも、その関係は当たり前だった。学校でも、その関係は当たり前だ。異常なのは、あの二人なのだ。人を財布扱いするあの二人は、傍から見たら異常なのだ。


 もっと早く気付いていれば。母に申し訳ないことをした。


 明日、天助は海靖と央大に会いに行くことになっていた。それは、彼らとの縁を完全に断ち切るための話をするためだった。


 夏休み中は、日時を決められて会うことになっている。何も言わずに、集合場所に行かないということだって考えたが、彼らには家が知られてしまっている。これ以上自分に関わらないでほしい。面と向かってそう伝えたいのだ。


 今日の帰り際、小空がにんまりと笑って言った言葉を思い出す。


「天助のやりたいことを全力で応援するよ。援護は任せろ」


 彼女はそう言った。明日、あの二人と落ち合うときに小空と透真が後ろに居てくれるそうだ。透真は喧嘩が強いらしい。もしあの二人が喧嘩を吹っかけてきても、自分には指一本触れさせない、という話だった。


 また、雨斗も裏で動いてくれるらしい。彼はずっとパソコンを触っていたが、何やら天助の教育委員会に話をつけるという話をしていた。もしかしたら、天助のもとにあの二人に払った友達料金が返って来るかもしれない。だから安心しろ、と彼は言った。


 心強かった。お金なんて無くても、彼らは自分に此処まで尽くしてくれるのだ。


 海靖と央大を前にして、言葉が出てくるか分からない。だが、後ろには味方が居る。今なら大丈夫なはずだ。


 ブランケットを手繰り寄せて、天助は目を閉じた。知らないシャンプーの香りが、彼を夢の世界に誘っていく。やがて、部屋には小さな寝息が響き始めた。

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