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青空隊  作者: 葱鮪命
28/54

梅雨雷のテスト期間

 その日のリビングには、ピリピリとした空気が漂っていた。原因は主に雨斗あまとである。


 彼の手の中には、二枚の紙があった。


「......数Aと化学基礎で一桁を取るやつが居るか」


 それは、定期考査の答案用紙だった。数学Aの点数欄には「8」、化学基礎の点数欄には「4」という数字が書かれている。


素点そてんでこれか。平常点が満点でも、欠点扱いで追試だぞ」


 そして、答案用紙の名前の欄には「夏凪 小空」と書かれている。そう、今彼の目の前で正座をさせられている少女である。


「違うんだ、あまっちゃん。俺は」

「黙れ。喋んな」

「ひえっ」


 氷よりも冷たい目が、彼の黒いフレームのメガネの奥から小空こそらに向けられる。


「いいか、追試は一発で合格しろよ。勉強は俺が面倒を見る。もし追試で合格しなければ_____」


「おやつ没収」


「ちげえよ。海外任務連れていかないからな」


「それはやだ!!!」


「じゃあちょっとは勉強しろ!」


 さすがの雨斗も声を荒らげていた。小空の前に二枚の紙がハラハラと降ってくる。小空はそれを半泣きで拾った。


「二人とも、そろそろその辺にしよう。ほら、おやつにチーズケーキ焼いたよ」


 そう言ってリビングに顔を出すのは青咲せいさくだ。


「教科書と筆記用具持ってこい」

「おやつ......」

「食いながら手を動かせ」

「ひい......」


 小空はとぼとぼととリビングから出て行った。それと入れ替わるように嵐平らんぺいがリビングに入ってきた。おやつの気配を察したようで、ソワソワとソファーに腰かけている。


 その後ろから透真とうまも入ってきた。彼の手にもまた何枚かの紙がある。


「雨斗、定期考査の結果」

「ん」


 パソコンを開いた雨斗は、透真からその紙を受け取る。


「はい、おやつだよ」


 青咲が一人分に切り分けたチーズケーキをそれぞれの席の前に置いた。


「テストはみんな返却されたの?」

「俺は全部戻ってきた」


 透真がチーズケーキのプレートを引き寄せながら言う。


「俺はあと三教科」


 雨斗はパソコンを睨みながら答える。


「......」


 嵐平は既に頬にケーキを詰め込んで話すことすらできなかった。


 そこで小空がリビングに戻ってくる。彼女の手の中には教科書が二冊とノート、筆記用具がある。


「小空、甘いものでも食べながらやりな」

「うん......」


 明らかに落ち込んでいるので、青咲は彼女の皿には少し大きめに切ったチーズケーキを乗せた。


「そんなに酷かったのか」

 透真が小空の様子を見て雨斗に聞いた。


「欠点二つ」

「まじか」

「うるせー!! 透真もどうせ欠点のひとつやふたつ取ってるだろうに!!」


 小空が悔しげに言うと、透真は「ねえわ」とスマホを取りだした。ゲームを始めるらしい。


「ゲームばっかやってんだから、点数悪いに決まってるだろ!!」

「学年五位だぞ、こいつ」


 雨斗が小空に言った。小空は「は......」と透真を見る。


「なんつー顔してんだ」

 透真が眉を顰めて小空を見た。


 ゲーム三昧の彼が何故そのような順位を取れるのか。勉強ゲームだったとしたら頷けるが、彼がそんなものを真面目にするとは思えない。


摺建すりだては偏差値低いからな。大学の推薦狙いで入った」


 透真がスマホの画面に指を滑らせながら言った。


「うわ、何それずっる」

「戦略的だろ」

「ずるだ」


「さっさとページを開け」


 雨斗に促されて小空は文句を言いながらも教科書を開いた。飛び込んでくるちんぷんかんぷんな数字や言葉の羅列に、彼女はすぐに教科書を閉じた。


「おい」

「いやだ!! らんちゃん!! 俺と代わって!!」


 小空は隣の嵐平に縋り付いた。


「やだ」

「チーズケーキあげるからああ......」

「いいよ」


「おい」


 雨斗が小空にペンを握らせる。渋々教科書を開き、彼女は雨斗の授業を受けるのであった。


 *****


 色科しきしな高校では、第一回目の定期考査が行われた。一年生は初めての考査であり、点数が著しく悪い生徒は多くはなかった。


「欠点保持者は放課後、各担当の先生の指示に従って補修及び追試を受けること」


 担任の間宮まみやがそう言って、ホームルームを閉めた。


 梅雨のむしむしした暑さの中、生徒は帰り支度を始める。


「はあ、欠点なあ」


 一年五組の生徒の一人である杉野すぎの みなとは、手元にある数学Aの解答用紙を見てため息をつく。高校に入って勉強が難しくなることは覚悟していたが、まさかここまでとは思わなかった。中学校では赤点と言う概念がなかった彼にとって、この点数は見るに堪えない。


「よう、欠点王子。補修行こうや」


 そう言って彼の席に近づいてきたのは、髪を後ろで小さく束ねた少女だ。


「ああ、小空もすごい点数取ったって言ってたもんな」

「そうそう。学年最下位だってさ。一位ってこと」

「ワーストな」


 笑っている場合ではないが、笑うしかない。笑う余裕がなくなってくるのはこれからだ。ため息をつく親の顔や教師の顔が思い浮かび、湊の心は鉛のように重い。


「私、化学基礎もやらかしたんだよ」

「え、マジか」


 それは初耳だった。そういえば、解答用紙を返却された途端、彼女が叫んでいたような。あれは赤点を回避したことによる咆哮ではなかったらしい。むしろ逆だったのか。


「他の教科は大丈夫なのか?」

「うん。危なかった。危うく四者面談するところだった」


 荷物をまとめて、二人は共に職員室に向かう。


 欠点を三教科で同時に取ると、四者面談が行われるという話がある。その四者とは、欠点を取った生徒自身、その担任、生徒の親、そして教頭なのだとか。

 考査前に担任から脅しに近い感覚でそのことを伝えられ、生徒は震えあがった。道理で皆良い点数なわけだ、と湊は納得する。四者面談なんてされた日には、寿命が何十年も縮んでしまいそうである。


「そう考えると、高校の考査って侮れないよな。中学の頃がどんだけ甘かったか......」


 湊は、部活に打ち込んでいた中学校の自分を思い出す。あの頃はサッカーさえできたら良いと思っていたが、高校は半分現実を見せられている感覚だ。


「中学校の頃は結構勉強してたんだけどなあ」


 小空が言った。湊は聞き捨てならずに「え?」と返す。授業中に居眠りをし、欠点を二つ取るような彼女からは想像できない言葉だった。


「嘘だろ。小空」

「嘘じゃないって。私、学年一位だったよ」

「俺は信じないぞ」

「だよなー」


 彼女はけらけらと笑った。よく冗談を言う彼女なので、今のもそうなのだろう。そうでなければ、何故一緒に職員室に向かっているのだ。


「まあ、勉強より面白いもん溢れてるって気づいてからは、勉強なんかしなくなったよな。今は美人なお姉さんの方が大事」


 小空はニッと笑って、職員室に続く扉を開いた。


 *****


「はい、夏凪なつなぎさん」


 冷房の効いた職員室の中、小空は化学基礎の担当教師から追試験の解答用紙を受け取っていた。追試験は60点以上で合格だ。彼女は裏返しにされて渡された解答用紙を恐る恐るひっくり返した。


「やっ......」


 そこには、「70」と書かれている。


「ったああ!!」


 彼女の声が職員室に響いた。


「え、合格ですか?」

「そう、合格。頑張ったね」

「ありがとうございます!」


 小空はスキップをしながら、少し離れた場所で見守っていた湊のもとに向かった。


「やったじゃん」

「これで一つ目!」


 小空と湊は場所を移動する。今度は職員室の奥。二人が欠点を共に取った、数学Aの担当教師のデスクだ。


「はあ、ドキドキするな」

「吊り橋効果ってやつだな」

「はいはい」


 さっきの小空の叫びが聞こえていたのか、数学Aの担当教師は二人を待っていた。手には二枚の紙。小空と湊の追試の解答用紙である。


「選ばせてあげるよ。どっちか取りな」


 そう言って、教師が二枚の紙をトランプのババ抜きのように二人に差し出す。この時点ではどちらが自分の解答用紙か分からない。小空は右の紙、湊は左の紙を手に取った。


「せーの、で行くぞ」

「おうよ」


 二人は声を合わせた。


 数秒後、二人が歓喜する声が職員室を抜けて、廊下まで聞こえたのだとか。


 *****


「てことで、海外任務には連れて行ってくれるんだろうな、あまっちゃん」


 その日、帰宅してから小空は雨斗に聞いた。雨斗はそうだな、と頷く。


「やっぱり俺って持ってるよなあ。天才って崇めていいんだよ?」

「二回目取ったら家から追い出す」

「え」


 こうして、雨斗の雷を食らった定期考査期間は過ぎ去っていくのであった。

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