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青空隊  作者: 葱鮪命
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青きを踏め踏め幼子よ-6

 男はやがて戻ってきた。羽実(うみ)はドキドキしながら彼を目で追った。これからどんなことが起きるか、彼女はまるで検討がつかなかった。


 男は部屋を片付け始めていた。荷物を外に運び出しては戻ってくるのを繰り返している。


 羽実の手の中にはビーズが三つ。赤いハート、白い三角、緑の葉っぱ。それを手のひらに握りしめ、窓辺に座っていた。


 部屋の中が空っぽになると、男は最後に風呂場に続く扉に姿を消した。


 今しかない、と羽実は思った。

 部屋の中にはもう持って行くものなどなかったので、今度は自分が外に出される番かもしれない。


 そう思って、羽実は桟の隙間にビーズを押し込んだ。それは確かに外に落ちた。音は聞こえないが、引っかかっている気配もないのだ。


 羽実がドキドキして待っていると、玄関の扉が叩かれる音がした。


「おい、まだか」


 それは知らない男の声だった。羽実を此処に連れてきた男からは感じられない、乱暴さがよく現れている。


「鍵は空いてるから」


 と、籠った声が風呂場から聞こえてくる。ガチャガチャと音がするが、何をしているのかは羽実が居るこの位置からは見えない。


 玄関が開いて、知らない男が一人、土足で入ってきた。彼の手にはロープがあった。


「いいか、枷を外しても騒ごうなんて思うんじゃねえぞ」


 それは自分に向けられた言葉だった。羽実は頷きもせず、男にされるがままだった。男の手には小さな鍵があり、それが羽実の足の枷を外した。


 彼が助けに来てくれた人だろうか。

 あの少女の仲間だろうか。


 羽実は分からず、男に従っていたが_____。


「たのもー!!!!」


 突然、玄関の方でバタン、と大きな音がした。

 羽実の枷を外した男が驚いて振り返る。羽実からも玄関の様子が辛うじて見えた。それはあの少女だった。


 羽実の顔がパッと輝く。


「お姉ちゃん!」

「羽実ちゃん!! さっきぶり!!」


「くそっ、バレてやがったのか!! おい、見川、逃げるぞ!!」


 羽実は突然男に抱えられた。ロープを床に放り投げ、男は少女に突進するようにして向かっていく。すると、


「おっと、手が滑ったー!!!」


 わざとらしい声と言葉で、少女が自分の顔の前に片手を持ってくる。軽く拳が握られていたが、突然親指がコインを弾くようにして勢いよく立ち上がった。


 バチン!!


 痛々しい音と共に、羽実を抱えていた男が「うぎゃ」と声を上げる。その瞬間、羽実の体がふわりと宙を待った。


「おおおっっと!!!!」


 羽実の体は少女の腕に抱えられる。


「っぶねー......こらあ、可愛いお嬢ちゃんに何てことすんだ!」


 羽実を放り投げた男は、床の上に倒れるや否や苦しげな声を上げてのたうち回っている。


 彼の顔の近くには、羽実が落としたハートのビーズと葉っぱのビーズが落ちていた。


「分かってるねえ、羽実ちゃん。殺傷能力ってもんを」

「......?」


 彼女の話す言葉に羽実が首を傾げていると、


「おい、どうした梅田!」


 風呂場に通じる扉からあの男が飛び出してきた。目の前でのたうち回っている男が「見川」と言っていたことを羽実は思い出した。


「あ、羽実ちゃん、お兄ちゃんにバイバイできる?」


 少女がにっこりと笑みを浮かべて、羽実を男の方に向かせる。


「バイバイ」


 羽実も片手を男に振った。男が顔を真っ赤にして迫ってくる。


「返せ!!」

「ほらよ」


 再び少女の指からビーズが放たれる。それは見川の眉間を直撃したようで、彼もさっきの男と同じように床に倒れて苦しんでいる。


「よっしゃ、行こっか!!」


 少女が外に飛び出した。外はすっかり暗く、遠くでビル群の明かりがチラチラと光っているのが見えた。


「どうやって帰るの......?」


 車だろうか、それともタクシーか。


 すると、少女は落下防止のためについている柵によじ登った。


「羽実ちゃん、空飛びたくない?」

「......飛べるの!?」


 そう言えば、と彼女は思い出す。少女が窓から声をかけてくれた時、彼女は確かに浮いていた。あれを自分も経験できるというのか。


「しっかり掴まっといて!」


 羽実は少女の服にしがみついた。そして、少女は柵からぴょんとジャンプをする。すぐそこが地面かのような、軽やかなジャンプだ。しかし、地面は程遠い。


 次の瞬間、風が巻き起こり、羽実と少女の体は空に引き寄せられるようにして天高く舞い上がった。


 *****


 女性警官に抱かれてやって来た我が子の姿を見て、東江(ひがしえ) 幸奈(ゆきな)はああ、と思った。


 数日ぶりの我が子が、楽しげ笑みを浮かべて此方に手を振っているその姿に、とうとう堪えていた涙も堪えられなくなった。


 泣き崩れる彼女を、近くにいた警察官が優しく宥めてくれる。


「ママ、ママただいま!!」


 小さな我が子が走り寄り、幸奈は両腕で彼女をしっかり抱きしめた。愛おしい香りが胸いっぱいに広がり、さらに涙が溢れた。


「ママ、ごめんね」

「それを言うのは私の方。本当に、本当にごめんね」


 少し汗ばんだ彼女の体は、この数日間ずっと望んでいたものだった。心配で眠れない日が続いた。今晩は、我が子を腕に抱いて寝る幸せな夜になる。


「ママ、きらいじゃないよ。大好きって言いたかった」

「うん、ママも。ママも羽実のこと大好き」


 羽実は嬉しそうに笑った。


「私、お兄ちゃんにビーズもらったの。お姉ちゃんとお空飛んだの」

「ビーズ......お空......?」


 ようやく体を離して娘の顔を見ると、彼女の顔には満面の笑みが浮かんでいる。手には家にはなかった玩具のリング、そして首にはビーズでできたネックレスがかかっている。


「楽しかったよ」


 そう、と幸奈は安心して全身から力が抜けた。あまりにも緊張状態が続いたからか、もう立ち上がる気力もない。慌てて自分を支える婦人警官が、椅子に誘導してくれた。


「また会いたいな、お兄ちゃん」


 羽実が言うお兄ちゃんとは、誰なのか。

 もう少し落ち着いたら、その小さな冒険譚を聞かせてもらおうと幸奈は思うのだった。


 *****


「風呂場にパソコン発見ー」


 小空は再び羽実が監禁されていたアパートまで戻ってきていた。部屋の中には二人の人影。正確には四人だが、立っているのは二人だけだ。それは透真(とうま)嵐平(らんぺい)だった。


 二人の足元には、それぞれロープでぐるぐる巻きにされた男が二人。一人は顔に打撲の痕がある。透真が殴ったらしい。


「起きたら襲ってきやがった」


 との言い訳をし、彼は風呂場に向かう小空の後ろについてくる。嵐平もその後ろからついてきた。


 風呂場には電源が着いたパソコンが一台。開かれている画面には、幼女ショップの文字。そしてチャット欄が表示されていた。生々しい文字が並んでいるそれを、小空は自身のスマホで撮影する。


「あまっちゃーん、送るよー」


 彼女は耳の中にあるイヤホンから、家にいる雨斗に向かって言った。


 やがてパソコンの画面が勝手に変わった。もちろん、此処に居る三人は誰も触っていない。


「相変わらず仕事が早いな」

 呆れ顔で透真がそう言った。


「天才ハッカー」

 嵐平も頷いている。


 やがて、パソコンは強制シャットダウンとなり、画面は真っ暗になった。それを合図に三人は風呂場を後にする。


「で、どうすんだ。この二人」


 透真は壁に寄せられた二人の男を見る。一人は気絶し、一人は意識はあるが暴れる気はないのか項垂れている。


「警察がそのうち到着するってさ」


 小空が言って、意識がある方の男の前に歩いて行った。おい、と透真が止めようとするも彼女は足を止めず、男の前にしゃがみ込んだ。


「ロープで縛られるのは趣味じゃなかった?」

「......」

「また会いたいそうですよ、あの女の子」

「......」


 小空の言葉に男は反応しなかった。ただ下を見つめ、口を真一文字に結んでいるだけだ。


「で、これ。プレゼントってことで」

「......?」


 背中に回されて縛られた彼の手に、小空はそれを押し込んだ。拳の中に確実のそれが入ったことを感じて、彼女は立ち上がる。遠くでパトカーのサイレンが聞こえる。


「帰るか」

「......そうだな」

「お腹空いた」


 三人は部屋を出て行った。部屋に静寂が訪れる。


 男は、手の感覚だけでそれが何なのか予想する。ゴツゴツしたものが連なっている。手を振ると、シャラシャラ音が鳴る。


 それは、ビーズのアクセサリーだった。


 *****


「ただいま」


 小空たちが家に帰るや否や、リビングから制服姿の雨斗が出てきた。


「うっそでしょ、今日行くん?」

「行くに決まってるだろ。さっさと用意しろ」


 家に帰れば、いつもの登校時間だ。小空が目を丸くする横で、嵐平は青咲(せいさく)に朝食の催促をしていた。


「俺休む」

 透真は堂々と自室に戻っていく。


「ちょ、まじで? え、そういうところ優しくないわあまっちゃん。って、おい嵐ちゃん、飯食ってたら遅刻するわ!」


 トーストの匂いに釣られてキッチンに向かう嵐平を止めようとする小空は一緒に引きずられていく。


「学校の方には連絡しておくから、ゆっくりご飯食べてから学校行きな」


 天使のような笑顔浮かべる青咲だが、言っていることは容赦ない。


「寝かせろよ!!!」


 数時間後、彼女がクラス一番のいびきをかいて名指しで怒られたことは言うまでもない。

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