真夜中の厨房
誰もが寝静まった夜の時間。屋根裏部屋でいつものように寝ていた僕は、ふと目を覚ました。
目を開けると窓から月明かりが差し込んで、ほのかに寝室を照らしていた。
思わず窓から外を眺めると、当然のように街は闇に包まれており、人っ子一人いない。
僅かに光源があるのは街の歓楽街くらいのものだ。
今は夜であり、起きるような時間ではない。
それを確認した僕は、窓から視線を切って再びベッドに寝転がる。
そして、もう一度眠ろうと目を瞑る。
そのまま何分、何十分もの時間が経過しただろうか。
いつもなら即座に睡眠を再開できる僕であるが、今日ばかりは寝つけなかった。
今日は宿の仕事も緩やかで受付にいた時は眠っていたし、休憩時間にはハンモックでも眠っていた。
「さすがに昼寝し過ぎたかな?」
お陰でどうにも目が冴えてしまって仕方がない。
このままベッドで転がり続けるか、いっそのこと起きてしまうか。
これが前世であれば、部屋で漫画を読んだり、アニメを観たり、ゲームでもして眠気をくるのを待つところだが、そうはいかない。
こういう時は読書でもすればいいのだが、家にあるものは全部読んでしまったので読み返す気にもなれない。
どうしようかなとベッドでゴロゴロしながら悩んでいると、ちょっとした空腹を感じた。
平時であれば気にならない、ちょっとした空腹。
しかし、これが眠ることのできない退屈な夜であれば、気になってしょがない。
「もしかして、僕は空腹で目が覚めた?」
代謝のいい子供ならば夜中にお腹が空くなんてよくあること。それが原因で目が覚めた可能性もある。
ということは、ちょっとしたご飯を食べれば、お腹も膨れて眠気もやってくるかもしれない。
だが、こんな夜中にご飯を食べてしまっていいのか?
僕がこの後にできる活動といえば、寝るだけ。大してカロリーも消費しない夜中にご飯なんて食べたら、そのほとんどが脂肪になる。
太るほは目に見えている!
しかし、今の僕は代謝のいい十二歳の子供。エネルギー消費も激しく、便利な車や電車もないのでよく動き回ってカロリーも消費している。
夜に少しくらいご飯を食べても太らないのではないだろうか?
そんな悪魔の囁きが僕の脳裏に響いた。
前世の宿屋健太(二十七歳)ならばアウト。しかし、今はトーリ(十二歳)。圧倒的な若さがあるのだ。恐れることは何もない。
「よし、夜食を食べよう」
若さという大義名分を得た僕は、迷いと掛け布団を捨てて立ち上がる。
ランプを手にして、できるだけ音を立てないようにゆっくりと梯子を降りていく。
リビングは真っ暗だが、ここでランプを使ってしまては父さん達を起こしてしまうので、使用せずに移動。
視界は暗いが長年住んでいた家だ。どのくらい進めば階段があるかくらい直感でわかる。
抜き足差し足でゆっくりと階段を降りていく。宿の中が静かなせいだろうか、嫌にきしんだ音が響き渡る。
宿泊客に迷惑をかけないようにゆっくりと進んで、僕は厨房にたどり着いた。
ここまでやってこれば、多少の物音を立てようと二階まで響くことはない。
ランプに火を灯すと、厨房がぼんやりと見えるようになった。
「さて、食材は何が余ってるかな」
ランプを片手に魔道冷蔵庫を開く。
中からひんやりとした冷気が漂ってきて気持ちいい。
冷蔵庫のように冷気の調節はできないが、食材を保存することができる便利な魔道具だ。
宿屋で食事を振る舞う以上、楽に火をつける魔導コンロと鮮度を保ちながら食材を保存できる魔道冷蔵庫は必須。
そんなわけでうちには一台ずつあるのだが、それを私生活で使えるほどの余裕はうちにはなく、リビングには設置されていない。
これだって父さんと母さんが冒険者の頃に貯めたお金で買ったものらしいし、僕が氷の魔道具を寝室に設置するにはまだまだ遠そうだ。
「おっと、あんまり開きっぱなしにすると食材が痛んじゃうや。食材を確認しないと」
魔道冷蔵庫を開きっぱなしにすると、中の冷気が外に逃げてしまうので確認は素早くだ。
中を見ると、既に朝食としての仕込みで使うのであろう。調味料が練り込まれた牛肉、豚肉、鶏肉、野菜などが置かれてある。
これらは明日の朝食や昼食で使うためのものであろう。ということは、これに手を出してしまえば怒られるわけだ。
ひとまず、パッと見た中で使っても怒られなさそうな食材を取り出してみる。
台の上に置かれたのはウインナー、キャベツ、パン、トマトソースなどの調味料各種……。
他にも色々あったけど、使っても怒られなさそうな食材はこんなものかな。
これらを見た時に作るべき料理はすぐに思いついた。
「よし、ホットドッグを作ろう」
「いいわね。大きなウインナーをパンで挟んでトマトソースと一緒に食べる。小腹の空いた夜食にピッタリだわ」
「でしょでしょって、ナタリ――っ!?」
振り返って思わず大声を上げそうになったが、ナタリアのほっそりとした手で覆われることによって防がれた。
ナタリアを見ると、悪戯が成功したかのような無邪気な笑みを浮かべて人差し指でシーッとしている。
混乱しそうになった僕はそれを見て毒気が抜かれて冷静になった。
「ふぁりがほう。ふぉうふぇをははしてふれる?(ありがとう。もう手を離してくれる?)」
「ええ? なんて言ってるかわからないわー」
そりゃ、手で口を覆っているからそうだろうね。
しばらく、ジーッと見ながらフガフガしていると、ナタリアは満足したのか手を離してくれた。
「で、どうしてここに? 今日はお仕事だったんじゃないの?」
ナタリアは高級娼館で働く娼婦だ。このような真夜中ならば、本来ならば働いている時間のはず。
「今日は予約していたお客さんが来られなくなったから切り上げたのよ」
「そうなんだ。他のお客をとったりしなかったの?」
「私くらい人気になると、予約もなしで客をとったりすると格が落ちちゃうからダメなのよね。あと、他の子のお客をとっちゃうことになるし」
悩ましそうにしているがさり気なく自慢のようなものが入っている。それほど、自分に自信があるということなのだろう。
実際、ナタリアはルベラでも一番人気の娼婦らしいし。だけど、その一番人気にもしがらみというものはあるんだな。何やら客をとるにも大変そうだな。
「あ、でも、トーリなら予約なしでいつでも大丈夫よ?」
「ぼ、僕は未成年だから……」
一応、娼館は成人になってない者は出入りできないルールがある。
「あら、硬いわね。そんなもの皆守ってるわけでもないのに。じゃあ、娼館じゃなくてその辺の連れ込み宿にでも行きましょ。そこなら関係ないわ」
「あの、えっと勘弁してくれない?」
こうなったらナタリアに口で勝てる気がしないので僕は素直に白旗を上げることにした。
「ふふふ、冗談よ。それより、トーリは何をしていたの? こんな夜中に料理の研究?」
ナタリアは僕をからかうのが好きだけど、本気で困っているところで追い打ちをかけるような鬼畜ではない。素直に引き下がってくれたことに、ちょっとホッとした。
だって、今のナタリアは娼館から戻ってきたところで、いつものだらしない格好ではなく高級娼婦としての姿なのだ。
髪だって綺麗に整えられているし、うっすらと化粧もされている。服装だって着崩れたネグリジェじゃない、胸元の大胆に開いたドレス。ハッキリいっていつも以上に綺麗なのである。
こんな美人に真夜中に迫られれば、いくら前世の経験を積んでいた僕でもドキドキしちゃうわけで心臓に悪い。
とはいえ、そんな弱みを見せれば、さらにからかわれることは目に見えているので、口にはしてやらない。平静を装いつつ答える。
「違うよ。ちょっと小腹が空いて眠れないから夜食でも食べようかなって」
「へえ、それでホットドッグを作ろうとしていたのね」
「そういうこと」
「ねえ、トーリ。私もお腹が空いたわ」
ナタリアが密着しながら甘えた声を上げる。
その際にナタリアの豊満なものが肩や腕に当たっているわけで。その至福の柔らかさに顔がだらしなりそうになるが、エロガキとからかわれるわけにはいかないので意志の力で何とか耐える。
「いいけど、その代わり作るのを手伝ってよね。あと密着するのも禁止」
「あらあら、照れちゃって可愛いわね」
そう言ってナタリアは僕の頭を遠慮なく撫でる。
ホットドッグなんて作るのは簡単だけど、ナタリアと一緒だと苦労しそうな気がするな。




