第五十七話 八戸城攻
八戸城では戦準備に余念がない。
そう伝えてくれたのは日向守。
高木兄弟の下にいたが、事を構えるに当たり少人数で動いていたようだ。
手の者を八戸城に送り込み、於保一族と繋ぎをとっているとか。
日向守は武勇の人だと思っていたので、そんな細やかな配慮が出来るとは……。
そう思って誉めると、ついと目を逸らされた。
聞いてみると、実際に手配したのは高木治部らしい。
いやまあ、働きには報いるからどちらでも良いのだけど。
日向守は高木肥前の下に戻ると言うので、大まかな計画を記した手紙を託した。
高木肥前には、頃合いを見て参陣をお願いしてある。
日向守も勇躍してくれることだろう。
* * *
八戸城に居るのは、当然ながら城主の八戸下野。
そこに、援軍として神代大和本人が城に詰めていると言う。
八戸と神代は同盟を結んだと聞いていたが、本当だったようだ。
比較的少弐に従順な神代と、独立気勢の八戸のそれが長続きするとは思えんが。
まあ、今の俺たちと対峙することには些細なことか。
本庄を起った俺たちは軍を三つに分け、城を東西南から囲み込んだ。
水ヶ江に入り村中を回復、そして本庄に至り休息を取った。
こうして八戸に至った訳で、情報封鎖を行ったとは言え俺たちの動きを八戸下野らが知らぬ筈はない。
その上で迎え撃とうという姿勢を示しているのだから、降服勧告など時間の無駄だ。
とは思うが、一応形式は大事だということで勧告を行う。
姉上のこともあるし、もしも義兄が降ってくれるならば粗略にするつもりはない。
だが。
「馬渡越後守殿が勧告を行いましたが、城からは弓矢での回答がありました!」
やはりな……。
「殿……。」
分かっていた事ではあるが、姉上が居る城である。
いざ攻めるとなると、躊躇する気持ちが芽生えてくる。
この気持ちは、通常ならば真っ当なものだろう。
だが、無理矢理にでも押さえ付ける。
俺が逡巡すれば、それだけ味方が傷つき倒れる。
時間も余りない。
……決断しろ!
「…。城を、攻めよ!」
「「「おおおーーーっっ!!」」」
* * *
戦の推移は限定的だ。
野戦ではなく、城攻めなのだから仕方がない。
また、村中の様に出来レースというわけでもないからな。
どうも、戦上手と名高い援軍の神代大和は、城の本丸に腰を据えているようだ。
八戸下野が二の丸に在り、直接指揮を取っているようなのだが……。
旗指物が左右に揺れに揺れ、本丸の笠印は大いに掲げられたまま動く様子はない。
攻め手の火矢は風向きを考え、西の軍勢のみにしている。
火は効果的だが、煙は味方に対しても阻害するものとなる。
使い方が意外と難しい。
俺は南から城を望み、東西の味方の動きを俯瞰出来る場所にいる。
先手は馬渡越後、二陣は木下伊予に任せている。
西の大将は鍋島駿河。
先手は鍋島孫四郎と千葉左門の兄弟。
先を争うかのように突出しているとか。
親父さんがいるから大丈夫だろうが、あまり逸るなと伝えておこう。
東の大将は江副安芸。
先手は戸田藤次郎と納富左馬に任せてみた。
南は本陣があるし、西には徳島の援軍も加わっており中々厚い布陣となっている。
それに比べて東はやや薄い。
敵方もそれに気付き、東向きの攻め口が強くなっている風に見える。
すぐに崩れることはないが、ずっと続けば突破される可能性もないではない。
ならば手当すべきというのが常道と言うところである、のだが。
連絡によれば、もうそろそろ来る頃だが……。
「殿!」
来たか!
「東より高木肥前守様。そして日向守様の軍勢が来援!」
「よし。江副安芸が隣に布陣するよう伝えよ!」
「御意!」
これで八戸城は、西・南・東とギッシリ囲まれるに至った。
北は山内側なので、逃げたければどうぞというニュアンスを示している。
その変わり、逃げたら八戸城の落城は免れないがな。
さて、これでどう出る。
八戸下野。
そして神代大和!
* * *
高木勢着陣からおよそ半刻後、八戸城から停戦の申し出があり戦は終わった。
これから戦後の話し合いが執り行われる。
あくまでも停戦であり、話し合いで折り合いがつかない場合はすぐまた開戦となる。
この時点での話し合いには、俺は参加しない。
俺の顔を見たら義兄のことだ。
激昂して戦を続けると言い出しかねない。
もっとも、実際にはそのような激しい姿を見たことはない。
しかし何となく、そんなイメージになってしまっていた。
少なくとも好かれてはいまいからな。
話し合いは南側の門前で行われる。
こちらからは、福地長門が全権代表として。
護衛に戸田藤次郎と、勉強として千葉左門を付けた。
福地には予め、落とし所は伝えてある。
あとは義兄らが呑むかどうか……。
まあ現状を鑑みるに、呑まざるを得ないと思うがな。
義兄が意地を張ることも考えられるが、援軍の存在が枷となる。
援軍なしで意地を張るとなると、次で玉砕は確実だ。
さて、どうかな。
* * *
結論から言うと、八戸下野と神代大和は降服を決めた。
義兄としては色々と思うところはあったようだが、現実を直視したようだ。
それなりに器量ある人なんだよな。
龍造寺を敵視し過ぎた結果、滅びることになってしまった訳だが。
それでも、再興の目はあるだけ良しとして欲しい。
武装解除した二人は、家臣を引き連れ俺の本陣へ出頭してきた。
「一瞥以来ですな、義兄殿。神代殿も、こちらへどうぞ。」
色々と思う所はあるが、粗略に扱わないことをアピールしておく。
人数分の床几を用意させ、両将と対面。
さて、ここからはまた別の戦だ。
鍋島駿河、江副安芸、福地長門と経験豊富な面々を従えつつも、実際に相対するのは俺自身。
本当にギリギリになるまでは、彼らを頼らず適正な対処を執らねばならない。
勝って兜の緒を締めよとは少し異なるが、気合いを入れ直し事に当たるとするか!
天文二十二年(1553年)
龍造寺山城守隆信(24歳)
鍋島駿河守清房(41歳)
神代大和守勝利(41歳)
小田駿河守政光(44歳)
蒲池近江守鑑盛(32歳)




