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第三十一話 母

天文十九年、正月。今年で二十一歳になる。


昨年は色々あったが、最終的に年の瀬を家族水入らずで迎えることが出来たのは僥倖だった。


そういえば、小河筑後がどのような説得をしたのか聞いてなかった。

そこで、機を見て奥さんに聞いてみたのだが……。


何故か、顔を青くして震えだしてしまった。

え、そんなに恐ろしいことだったの?


その時は、一緒にいた於安と共に慰めて事なきを得たのだが。

於安に「ははうえをいじめちゃダメー」と窘められたので、ほっこりしつつも諦めざるを得なかった。

まあ、いずれ聞ける日も来るだろう。


* * *


一家揃って簡単に年賀を祝った後、城の広間で一族家臣が集まって正月を祝う。


上座に俺がおり、その隣には奥さんが座っている。

ただそれだけのことがとても嬉しかった。


皆の顔も明るい。

今年も良い一年で終われるよう、がんばろう。


* * *


正月明けにも慶事が続く。


鍋島左近の二男・将監が元服したので、一字を与えて”鍋島伊豆守信定”と名乗らせた。

同時に、鍋島駿河の長女との婚姻も発表。


また、水ヶ江に与力として派遣している納富治部に、石井兵部の娘を娶らせた。


一族家臣の間を縁付けることで、より強固な絆が生まれることだろう。

横の繋がりというのは、中々馬鹿に出来ないものがあるからな。


今後色んなことが発生するだろうから、今のうちに出来る限りのことをしておきたい。


* * *


そういえば、八戸の義兄殿に嫁いだ姉上は嫡男を生んでいた。


俺の母上にとっては初孫にあたる。

だから、母上が姉上とその子に会いたいと願うのは自然なことだ。


そして、その願いを叶えるのは俺しかいない訳で……。


「貴方が忙しいことは重々承知。

 お嫁さんと仲直り出来て、舞い上がっていたことも存じております。」


「はい…。ソウデスネ。」


「ですが、そろそろ良いのではないでしょうか?」


「何がでしょうか、母上。」


昨年は初めて甥の存在を知り、母上らにも知らせてはいた。

しかし色々あって、都合を合わせることが出来なかった。

なので、母上はまだ初孫と顔を合わせることが出来ていない。


「母が、娘と孫の顔を見たいと申しているのです。」


「ハイ。」


それを責められている。

普段は水ヶ江に居るが、新次郎を共にして村中に乗り込んできての一声である。


確かに昨年は忙しかったのは事実。

しかし、段取りを組む時間が全くなかったとは言えない。


母上の言う通り、奥さんと宜しくやっていたことで後回しになっていた。


勿論、計略を進めていたということが大きいのだが、これは機密事項。

母上と言えど、少なくともこの場で説明する訳にはいかない。


よって俺は、奥さんにデレデレして母上の願いを蔑ろにしていた不肖の息子ということになる。


なんてこったい。

母上の声は平坦だが、怒りを我慢している風にしか見えない。


母上の侍女として近くにいる凛ちゃんも、呆れ気味の模様。

久しぶりに見た気がするが、なかなか良い女になっている。

早めに誰かと縁付けするべきだよなー。


「聞いているのですかッ?」


「ハイ!」


思考が横に逸れたのを素早く察知され、叱咤される。

美人さんが怒ると怖いのは周知の事実だと思うが、母上ともなればその恐ろしさは倍増だ。

母子という形の意味で。


「それで、どうなのです?」


平坦だった声色が冷たくなってきた。

これは不味いと何かが叫ぶ。


「で、では早急に手筈を整えます故、暫しお待ちを……。」


「では、今月中にお願い致します。」


「えっ」


「何か?」


「いえ!承知しました…。」


母上の後ろで、凛ちゃんが溜息をついていたのが印象的だった。

昔からそうだけど、凛ちゃんは俺に全く靡かない。

好感度はかなり低いだろう。


いや、違うんだ。

これは浮気じゃないんだ。

ただちょっと、残念に思っただけで……。


「吉報、待っております。

 では凛。行きますよ。」


「はい。御母堂様。」


サッと着物の裾を翻し、颯爽と出ていく母上様。

凛ちゃんの声も久しぶりに聞いた気がするが、相変わらず凛としていて良い。


だからほんと、浮気じゃないんだって。

ちょっと良いなって、感想を思い浮かべただけで……。


* * *


部屋に一人残された俺は、母上の警護で共に来ていた新次郎に相談してみた。


「頑張って下さい、兄上。」


すると、とても良い笑顔で切り捨てられた。

おまえ…っ!


「しかし実際、母上様の願いを叶えて進ぜるしかないのでは?」


「うん、まあ。そうなんだけどな…。」


「何か問題でも?」


そう尋ねる新次郎だが、あの義兄殿のことは伝えてある。

だから分かっているとは思うのだが。


「八戸の義兄上が妨害してくる、と?」


「なくはない。…と、思う。」


義兄の龍造寺嫌いは相当なものであるようなのだ。

姉上も龍造寺の娘だが、それは嫡男も生んだことだし、既に自分の物だと割り切っているのかもしれない。


そうすると、龍造寺の娘で妻で母である母上のことも良く思わない可能性がある。

義理の母に、直接何かするとまでは思わないが…。


「ともかく、手紙を送ってみるか。」


「それしかないでしょう。」


母上が初孫の顔を見たいとせがんでいる。

姉上と共に来てやって欲しい、と。


果たしてどうなるか……。



天文十九年(1550年)

<主な出来事>

足尾銅山発見

砥石崩れにて武田軍惨敗

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