第十八話 婚姻
先代様の跡を継ぎ、名乗りも新たに龍造寺山城守隆信となった。
先代様が亡くなってから半年が過ぎた。
代替わりの諸事に手を取られ、色々と考えていた事業は停止していた。
それが漸く落ち着いてきた頃、継続して執権に任じた納富石見と小河筑後がやって来た。
「殿。そろそろ婚礼の支度を致したく存じます。」
ああ、その話ね。
忘れていたわけではないけれど、正直余り気乗りはしなかった。
だから自分から言い出すことはしてなかったのだが…。
「於与殿は、大丈夫であろうか?」
先代様の未亡人を娶るという、俺の常識ではちょっと躊躇すること。
しかしこの辺りでは、然程珍しいものではないようだ。
先代様のお父上もまた、その兄が早世されたので兄の妻を娶り、相続を果たしているのだから。
因みに、この兄という人物が俺の母方の祖父に当たる。
そう考えると少し宗家の血筋に近く思える。
それはともかく。
「お家の一大事の事。含み置き頂く他ありません。」
そうなんだよな。
婚礼を止めることは出来ない。
ならばせめて、出来る限り気遣ってあげようと思う。
「良しなに取り計らってくれ。」
そういえば、於与さんを娶ると孫九郎と久助君が義弟になるのか。
それは悪くないかもなー。
* * *
同年晩秋の吉日。
婚礼の儀が行われ、俺と於与さんは夫婦となった。
式では初め俺も緊張していたが、於与さんの様子を見るにそんなこともなくなった。
於与さんはずっと俯いてほとんど何も喋らず、口にすることもなかったためだ。
そして夜。
通常ならばここで初夜を迎えるとして、色々あるのだろうが、とてもそのような雰囲気にはない。
「於与殿。」
「………。」
声をかけてもこの通り。
こちらを見ることもなく、ただただ俯いて床を見つめるのみだ。
「無理をする必要はない。もう寝ましょう。」
「………。」
同衾はするものの、俺に背を向けて横になる於与さん。
まあ、仕方のないことだろう。
先代様とは仲睦まじく暮らしていたのに、突然旦那が死去。
その死を悼む間もなく、御家の為として一族の男に再嫁させられたのだ。
悲嘆に暮れるのも止むを得ない。
確かにこの婚姻は避けられないことだった。
しかし、その他の事は無理強いする必要は無いと思っている。
今から半年か、或いは一年程度はそっとしておくのも良いだろう。
ある程度落ち着いたら、その時改めて色んなことを一緒に考えたいと思う。
先代様と於与さんの娘、於安は俺の養女とすることになった。
まだ幼いため、実父の死と今の状況を理解出来てはいないだろう。
いつかちゃんと、話して聞かせなければならない。
幸い、先代様の下に詰めていた時などからよく懐いてくれていた。
子を持つのは初めての経験だが、良い父となりたく思う。
* * *
俺が於与さんを娶って一月後。
幼馴染の鍋島孫四郎が妻を娶ることになり、挨拶に来た。
「久しぶりだな、孫四郎。」
「殿におかれましてご機嫌麗しく。ご無沙汰しております。」
鍋島一族は水ヶ江に仕えていたが、俺が宗家を相続するに辺り、孫四郎の父・鍋島駿河の一派は準一門として俺の直臣となった。
水ヶ江には鍋島駿河の兄・鍋島左近の系統などが引き続き仕えている。
孫四郎は俺と同い年で幼馴染。
共に新五郎兄貴の薫陶を受けた仲でもある。
もっとも、昔から主従の線引きは明確にする真面目な所があったが。
「俺が結婚するまで待ってたって?」
「はい。先方も待って頂いておりまして。」
そんな孫四郎なので、俺が未婚なのに自分が先に結婚するのは宜しくないと、婚礼を先延ばしにしていたそうだ。
申し訳ない。
「そんな気にせずともよかろうに。」
「そういう訳には参りませんよ。」
実際、一族からは気にしなくても良いのでは?と言われていたそうだ。
しかし当の本人がそれを止めていたという。
マジごめん。
「先方は確か、芦刈の徳島だったか?」
「はい。徳島土佐殿の娘御ですね。」
小城郡芦刈の徳島氏は、おじい様の頃から当家に属しているが千葉一族でもある。
大きな力を有している一族でもあるので、佐賀と小城を結ぶ一枠になるという政略結婚のようなものだ。
以前少し考えていた婚姻政策を、改めてちゃんと考えてみるべきかもな…。
「それで、媒酌を頼みたいとのことだが…。」
「はい。殿に媒酌を依頼することで、御家と両家の繋がりが強く深くなると。」
初婚一月にして家臣の媒酌人を務めることになるとは。
しかし主君としての大事な仕事の一つだ。
詳しいことは全く分からないので、納富石見爺さん辺りを頼ることになるだろうな。
本当は於与さんと二人で行うべきところだが、あの様子では不可能だ。
已むを得まいな。
* * *
半月後。
佐賀郡本庄の鍋島駿河嫡男・孫四郎と、小城郡芦刈の徳島土佐長女・於久との婚礼の儀が執り行われた。
媒酌人は俺。
介添は納富石見の妻。
介添が無駄に豪華なのは気にしてはいけないのだろう。
媒酌は俺が務めたが、石見爺さんが影のように寄り添って色々指示してくれた。
なんだか傀儡にでもなった気分だったが、大過なく務められたので正直助かった。
* * *
鍋島孫四郎のように、俺に遠慮して結婚を先延ばしにしていた奴が他に居るかもしれない。
良く考えると、新次郎にしても嫁を貰ってもおかしくない歳なのだ。
もう年の瀬だが、来年は周囲のそういったことにも気を配って行くとしよう。
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