第73話 遺された金塊と『奴』の正体
「今回集まっていただいたのは、例の……遼帝国から寝返った反乱軍の07式パイロットを『焼き殺した』法術師についてです」
重苦しい沈黙の中、茜が開口一番に切り出した。いきなり核心に触れたその言葉に、会議室の空気がさらに張り詰める。
第二小隊の設立に伴い、茜の召集で臨時会議が行われることになった。
その場には誠、かなめ、カウラの第一小隊の三人と法術特捜から指名を受けて事件が発生した場合には指揮を執るアメリアが居た。新設された第二小隊の小隊長・かえでと副官のリン。加えて、訳もわからぬまま席に着いているアンの姿もあった。そして機動部隊を束ねるランの姿も当然あった。
そして書記を務める法術特捜で茜の唯一の部下であるカルビナ・ラーナ巡査となぜか嵯峨の姿まであった。
「ではお父様。モニターの準備を」
娘には逆らえない嵯峨は手にした端末を操作して全員に見えるように机の上のモニターを調整した。
そこには誠の機体からの映像が映し出されていた。法術範囲を引き裂いて進んでくる07式が急に立ち止まり、コックピット周辺を赤く染めた。そして内部からの爆発で焼け焦げる胴体が映し出される。つんのめるようにして機体はそのまま倒れ込んだ。その間十秒にも満たない映像が展開される。
「クバルカ中佐はこの芸当を見せた人物が先日、豊川市内で神前達を前に法術の力のデモンストレーションをした人物と同一人物と言ってるけど……お父様はどう思われますか?」
茜の言葉に嵯峨はただ首をひねるばかりだった。そして静かにタバコの箱に手を伸ばす。そして視線を娘の茜へと向けた。
「俺推論なんて言ってるけど、俺の中ではもう答えは出てる。ただな、今回はお前らの観察眼を試したいんだ。ベルガー、お前はどう見る?」
嵯峨はその人物を知っている。誠にもこのことは分かった。そして、その事実を知った上で自分達を試していると言うことも理解できた。
「警部やクバルカ中佐のおっしゃる可能性は高いとは思いますけれど確定条件ではないですね。確かに私もいろいろとデータをいただきましたが、炎熱系の法術と空間制御系の法術の相性が悪いのは確かなのですが……」
カウラはそう言いながら嵯峨に目を向ける。
「確かに両方をこれだけの短い時間で的確に展開すると言うのは普通は無理だな。でも素質と訓練次第でなんとかならないかと言うと、できそうだと言うのが俺の結論なんだ。そしてそれをやる男を俺は知っている。まあ、答えが分かり切ったクイズだと思って付き合ってくれや」
すでに嵯峨の中では答えが出ている以上、他の参加者は嵯峨に遊ばれているようなものだった。嵯峨はモニターに表を展開させた。
「誰だ!教えろよ!もったいつけやがって!叔父貴の秘密主義も大概にしろよ!」
気の短いかなめが叫ぶのをかえでが視線で制した。
「むしろ俺はこいつがなんで俺達の行動を予測できたのか。そっちの方が俺には気になってね。そいつが関心を持ちそうな資料を俺なりに色々探してみたんだ」
そう言うと、画面は表計算のデータに切り替わった。
「カント将軍の裏帳簿ですね?それなら、おそらく公安機動隊の安城秀美少佐が、すでに極秘裏に潜入し、現物を押収しています」
茜は落ち着いた口調で言いながらも、その目には明確な意志が宿っていた。
「秀美さんにもお願いしてね、教えてもらったの。結局、同盟にくさびを打とうという魂胆だったアメリカさんにはこいつで手を打ってもらってお引き取り願ったんだ。生きたままカント将軍を引き渡せばどんないちゃもんをつけられて同盟解体の布石を打たれるかわかったもんじゃないからねえ。そのために秀美さんに頼んでご当人にはお亡くなりになっていただいた」
嵯峨は物騒なことを平気で言った。カント将軍の死。それがバルキスタンの混乱を止める一助になることは明らかだったので、この場にいる一同はほっと胸をなでおろした。
「まあ、将軍が『お亡くなり』になったことで、アメリカ側も遼州星系での行動に制限をかける条約に調印せざるを得なくなった。東和の外務省の知り合いに聞いたら、連中、前の戦争の戦時国債の償還期間の延長をちらつかせたらホイホイ乗って来たそうだ。その条約にはあの力ばかりの無法者の大国でも下手に動けば、自分たちの首を絞めかねない条文がいくつもある。要するに、今回は『痛み分け』で手を打ったってわけさ」
嵯峨は煙を吐きながら、何でもないことのように続けた。
「地球圏の連中も甲武が協力してくれる見込みが無くなったからにはそう突っ込んでこの件を騒ぎ立てるのは一文にもならないくらいの分別はあるだろ。それにベルルカン大陸の他の失敗国家の独裁者達も自分がカント将軍の二の舞になるんじゃないかと心配しているだろうからしばらくは自重してくれるだろうからな。まったく俺も人が良いねえ、こんなに俺のことが大嫌いな人達の弱みを消し去ってあげたんだから」
名前は消されてはいるが、誠にもわかるそのすさまじい金額の並んでいる帳簿に一同は目を丸くしていた。
「まあ隊長を嫌っているVIPには別のところで隊長に煮え湯を飲ませるつもりなんじゃないですか?例えば予算とか、人事とか」
カウラの言葉に一同は笑い声を漏らした。だが、その中で伏せるまでもなく名前が空欄になっている部分がスクロールされてきた。
「良い指摘だなカウラ。俺の性格からしてそうするのが当然だとあちらさんも思ってるだろうよ。だから、今のところ特に動くつもりは無い。それより例の法術師が俺達の動きをどこで察知したかに俺は興味があるんだ……俺の情報網にはこの07式を持ち出してきた『ビッグブラザー』の動きも、そしてこの男がそれを知ってあの場所にいたという事実も引っかかってこなかったんだよ……俺も神様じゃないってことだな」
いつものように何を考えているのかよく分からない笑顔を絶やさずに嵯峨はそう言った。
「今気づいたんですが、いくつか名前が入って無い欄があるんですね、この表」
茜の言葉に嵯峨はそれまで机の背もたれに投げ出していた体を起こした。
「名前が無いというよりも書く必要が無い、あるいは書きたくない人がこれだけの金額の利益を得ていたと言うことだな……それほどカント将軍が隠したがるような力の有る人物……これは大きなヒントだぞ。いい加減気付いてよ」
名前の記載のない人物の入金欄には他とは二桁違う金額が並んでいた。それを眺める嵯峨の言葉に一同はしばらく彼が何を言おうとしているかわからずにいた。
「名前を書きたくない……そんな人に金を流したんですか?なんで?」
呆然と帳簿を見つめる誠の背中に鋭い声が飛ぶ。
「それがわかれば苦労しないですわよ。お父様。この金銭の流れの裏づけは取れているのかしら?その人物が『彼』に間違いないことは」
茜が急に身を乗り出した。茜がその人物を『彼』と表現したのは、おそらくそれが誠を助けたと言う法術師であり、その人物の人物の名はこの場では公にできないものなのだろうと誠は察した。
「クバルカ、どうだ?」
「他の面々は証拠がそれなりにあるんだがよー……こいつだけはどうしても足がついてねーんだ。まるで直接集金人が取り立てに来ていたみたいだな……まあ別ルートで大量の金塊をカント将軍は購入しているという裏が取れたからおそらくその金が使われた可能性は高いけど……やっぱり『奴』なのか?それならすべてのつじつまが合う。奴は跳べるからな。ベルルカンだろーが地球だろーが受け渡しの場所はどこでも関係ねーんだ」
ランの言葉に逆に茜は目の色を変えた。
「つまり、何時でもカント将軍に会って金塊を取りに行ける立場にいた人物と言うことになりますわね。干渉空間を展開して転移できる法術師なら……いつでも出入りが可能になると……」
その言葉にかなめは複雑な表情を浮かべて茜の姿を眺めていた。
「まあそう言うことになるわけだが、まあそう言う慎重な『奴』のことだ、記録に残るような会い方はしてるわけがねえよな?」
嵯峨はそう言うと、タバコをくわえながらかなめを見つめた。
「それより『彼』とか『奴』とか言うけど、そいつは何者なんだよ!それが分からなきゃアタシは動かないぞ」
まるで子供の様に拗ねたかなめは嵯峨から顔を背けた。
「名前は伏せるが……『奴』の拠点は、どうやらこの国、東和だ。神前が襲撃された事実と符号する。場所の候補は一つ……東都湾岸部、だ。北川公平の飼い主である『奴』が潜伏するのに一番適しているのは……かなめ坊よ。お前さんのホームの東都の湾岸部……遼南共和国の難民が押し込められている地上の地獄……『租界』だ。東都戦争の時はお前さんはあそこで散々暴れまわったそうじゃないの。そこで、金回りの良い人間を見繕ってくれ。そこから『奴』の足取りを追う。まあ簡単に尻尾を掴ませるような間抜けな男ではないのは知ってはいるが、何もしないよりはマシだ」
かなめにはある過去があった。遼南共和国が崩壊して遼帝国成立した時、遼南共和国で利権を握っていたため遼帝国に居られなくなった亡命者多数、東和共和国に流れ込んだ。『租界』と呼ばれる封鎖地域のある東都湾岸部。そこで薬物や密輸品の利権をめぐりマフィアと各軍特殊部隊が全面戦争を繰り広げた『東和戦争』でかなめは潜伏任務に就いていた実績があった。
「期待していますわよ、『甲武の山犬』さん」
東都での破壊行為で裏社会を恐れさせたと言うかなめの2つ名を茜が微笑んで口にする。かなめは聞き飽きたと言うように軽く右手を上げて誠の口をふさいだ。
「ですがこの入金を受け取ってた人物はなんで今回のバルキスタンへの出動を妨害しなかったんでしょうか?そもそも我々が出動する時点でこの基地を襲撃して出撃自体を不可能な状態にしていれば、カント将軍と言うスポンサーを失わずに済んだはずです。これだけの資金源を得るルートなんてほかになかなか見つけられるとは思えないんですが」
カウラのそんな言葉に嵯峨は頭を掻いた。
「もう『奴』にとってはカント将軍からは絞れるだけ絞ったってことだろ?それにこういうやばい仕事は引き際が大切だ。その点じゃあ『奴』はこの金塊を帳簿に有る分貰えば、これ以上カント将軍に関わって危ない橋を渡る必要も無いと判断できるだけの頭脳を持っている。そう言う男だ」
嵯峨はその人物を『男』だと言ったことで、誠は少なくとも嵯峨はこの人物が特定できていることは分かった。
「さっきから隊長の顔を見ているとまるで神前曹長を助けた法術師と金塊を譲り受けた人物が同一人物であるような感じに聞こえるんですが……私も知りたいです。その男の正体はなんですか?」
カウラのその言葉に嵯峨はタバコをくわえながら下を向いた。
「そうだよ、少なくとも現時点では俺はそれが同一人物だと思っている。まあ八分くらいはそう言うつもりで話しているんだけどな。そうでなければ神前にこれほどかわるがわる法術師をあてがっている理由が説明できないよ」
小さな国の国家予算規模の金塊を手にした法術訓練施設を保有するテロリストが目的もわからず行動している。誠は自分の背筋が凍るのを感じていた。
「それとこのことは内密にな。俺がもしその組織のトップにいれば金塊と法術組織のつながりを探るような行動をとる公的組織があれば全力で潰しにかかるぜ。これだけの支援をバルキスタンから引き出せる人物が間抜けな人間であるわけがねえだろ?実際『奴』は抜け目がない。俺は甲武でコイツの新たなスポンサーに会った。主義主張がまるで合わないこの二人は手を結ぶのはお互い嫌がってる様子だったが、世の中『金』だ。そして神前が『近藤事件』で『法術』の存在を示したことで金に匹敵する力の存在をそのスポンサーは理解した。だから利害を超えて二人は手を組んだ。そのスポンサーの金はカント将軍みたいに麻薬やレアメタルの盗掘なんていう汚い金じゃない。金に色はないというが……危ない橋を渡って手に入れた金は何時途切れるか分からないからね」
この場にいる誰もが嵯峨の意図を汲み取ってうなずいた。そして東和軍や同盟司法局に対してもこれが秘匿されるべき話だと言うことは誠にもわかってきた。
「まあつまらない話はこれくらいにしておくか?俺の分かっていることで『奴』の正体以外の事は全部話した。もうこの会議もおしまいにしよう」
そう言った嵯峨の表情が急に緩んだ。
「ちょっと急な話だったからできなかったけど、とりあえずうち流の歓迎を新第二小隊の皆さんにもしてあげようじゃねえの」
タバコを吸い終えた嵯峨はそう言うと、立ち上がった。
「でも月島屋くらいは今日行きましょうよ」
手を叩いて茜が微笑む。酒が飲めると聞いてかなめが表情を緩めた。
「それじゃあラン、春子さんへの連絡頼むわ。じゃあ解散だな」
そう言って再びタバコに火をつける嵯峨。ランは軽く手を挙げて部屋を出て行く。
「かなめ坊、かえでの奴と仲良くな!」
「できるか馬鹿!」
部屋を出ようとする誠とカウラの背中にかなめの捨て台詞が響いた。
「お姉さま!これから行くのがお姉さまのお気に入りの月島屋ですね……この国の『焼鳥屋』と言うものには行ったことが無いので楽しみです!」
かえではそう言うと、立ち上がったかなめに抱き着こうとした。かなめはそれを察するとかえでの腕を交わしてそのまま廊下を走って消えていった。
「僕、そんなに変かな……ねえ神前曹長、僕のどこがダメだったと思う?」
そう言って耳にかかる後れ毛を弄りながらかえでが誠を見つめた。誠はかなめからかえでの性癖を聞かされているので思わず目を白黒させた。
「ぼ、僕は……日野少佐が悪いことをしたとは思ってません。きっと、かなめさんも久々に慕ってくれる『妹』に会って、照れてるだけなんですよ……」
誠は恐る恐る言い訳を搾り出すように答えた。視線は泳ぎ、声もどこか震えていた。
「あれあれ?『許婚』なのにそんなによそよそしいのは……もしかしてそんなに素敵なのに、童貞なのかい?それは僕にとってはラッキーだな。僕が君の初めての女性になれる。こんなうれしいことは無い。そして君もこの遼州圏で最高の女性を初めて抱くことになる。恐らく僕を知ったら他の女では満足できない身体になってしまうかもしれないね」
かえでは笑顔で誠にそう尋ねてきた。
「そ……それは……その。僕は乗り物に非常に弱い体質がありまして……」
「聞いてるよ、その体質で彼女が出来なかったのか……君の周りには男を見る目がある女性が居なかったんだね。可哀そうに」
本心からそう言っているのが分かるかえでに誠はかえでに対する偏見をかなめに散々植え付けられていたので、相変わらずに打ち解けることが出来ずにいた。
「でも今日からはそんなことは気にすることは無い。少なくとも僕は少なくとも気にしない」
「私も気にしないが!」
そこで突然話題に割り込んできたのはカウラだった。
「カウラさん。いつもエチケット袋ありがとうございます」
誠はカウラの闖入を利用してかえでからなんとか距離を取ろうとした。
「ベルガー大尉。僕達は『許婚』の関係なんだよ……ああ、むしろ僕に関心があるのかな?」
カウラの言葉は藪蛇だった。かえでの毒牙はカウラに向こうとしていた。そして、下手にかえでに関わればかなめの言うように自分がかえでの毒牙の餌食になることを理解した。
「そんな話どうだっていいじゃないの!よし、もういいでしょ!月島屋に行きましょうよ!あそこ、大好きなの!」
まるで場の空気を切り裂くように、アメリアが明るく場を収めにかかった。かえではカウラをチャンスを逃したかのように静かに黙り込んだ。
「じゃあ、カウラちゃんの車には四人しか乗れないからいつもの四人で。かえでさんとリンさんはタクシーを用意しましたんでそちらでどうぞ」
「ありがとう、クラウゼ中佐。気が利くね」
そう言ってかえではその場を後にした。
「カウラちゃん、誠ちゃん。これは貸しだからね」
さすがに要領が良いアメリアの機転にカウラと誠はただ茫然と見守ることしかできなかった。




