第4話 神殿への決意――“呼ぶ声”と影の残響
日が暮れはじめたころ、リュークは作業を切り上げ、村はずれの小屋へ向かっていた。
入口に差し掛かった瞬間、視界が一拍だけ軋み、空中に透明な文字列がにじみ出る。
【個人ステータスを認識しました】
「……ステータス?」
【ステータス】
名前:リューク
レベル:(表示なし)
スキル:(表示なし)
胸の奥に、氷を流し込まれたような冷たさが落ちた。
(空白……?)
この世界では、子供でも何らかの数値やスキルがある。
“何もない”という表示は、ただの異常ではない。まるで“存在を観測されていない”かのような──気味の悪さだった。
「……俺、本当にここに“いる”のか?」
自分の履歴だけが切り取られ、世界の仕様だけが置き去りにされたような錯覚。
その認識が喉を締めつけた――その瞬間。
視界が反転し、胸奥をえぐるような光が走った。
――漆黒の室内。宙に漂うホログラムが数式の光を放ち、ノイズが揺れては消える。
次に浮かび上がったのは、石造りの神殿。温かな光。流れる紋章。
白銀の髪の少女が、祈るように両手を組んでいた。
やがて、少女が顔を上げる。閉じられていた瞳が開き、まっすぐリュークを見つめる。
「リュー……ク……覚えてる……あなたの……メモリバンク……」
ノイズが音の輪郭を裂き、言葉がふっと途切れた。
だが、それでもその名だけは確かに届く。
世界の色も、重力も、息づかいも一瞬“リセット”される。
(メモリーバンク……)
意味は分からない。
なのに、その音の並びが脳の奥を震わせる。
身体の内側ではなく、どこか“外側”に記憶を保存する装置があるような、そんな感覚。
気づけばリュークは膝をついていた。
呼吸が荒い。汗で手のひらが濡れている。
目の前の文字列は、もう消えていた。
風が止み、時間が固まる。
静寂の中――どこからともなく祈りの旋律が立ち上がる。
外から響いているのか、自分の内側で鳴っているのか判別できない。
胸の芯に触れ、優しく、しかし切実に揺らす音。
『リューク……早く、来て……私……ルミ……』
息が止まる。
「待て……っ!」
伸ばした手は何もつかめず、声だけが胸の内に残されて消える。
ふらつきながら顔を上げると、視界の端で池が松明の光を弾いていた。
汗を拭うついでに、何気なく水面をのぞき込む。
揺れる自分の顔。疲れた表情。乱れた黒髪。冷たい青い瞳。
――そのすぐ背後に、別の景色が滲んだ。
草原。夕焼け。
今は夜で、頭上には星空が広がっているはずなのに、水面だけが“別の時間”を映している。
顔を上げようとした直後、水面の奥で“何か”が揺れた。
黒い影。
輪郭の定まらない塊が、こちらをうかがうように蠢いている。
(……廃墟で見た“あれ”……)
視線が合った瞬間、“声の形”だけが残った。
『お前と共に』
「……呼ばれた、気がした」
それは自分の声ではない。
だが、どこか馴染みがある。
“まだその時ではない”と告げるような、曖昧な手触り。
問いかけかけた瞬間――少女の残像が閃き、影の輪郭に重なるようにして消える。
(なぜ……黒い影と、彼女が……?)
もう一度水面を見る。
だが、さっきの異常は跡形もなく、静かな夜空と自分の顔だけを映していた。
波紋がひとつ落ちる。
「錯覚じゃない」
リュークは小さくつぶやく。
水面に映った黒い影。
そして、同じ位置で閃いた白銀の少女の残像。
廃墟で蠢いていた“ズレた存在”。
(偶然じゃない。どれも同じ線上にある)
首飾りが、不意に小刻みに熱を帯びた。
“警告”として何度か感じた微かな熱とは違う。
細かく震えるように脈打ち――やがて、拒絶に近い強い熱が一瞬走る。
「……止めようとしている……?」
だが。
少女の声が届いた瞬間、胸の空洞が確かに埋まった。
その温もりが途切れた途端、逆に空洞が一気に迫ってくる。
(――この声を失ったら、俺は本当に“消える”)
怖い。
けれど、それ以上に――踏みとどまる理由が見つからなかった。
砂のようにこぼれ落ちる記憶の欠片。
その奥から、ひとつの声が浮かぶ。
『ね? 私の言うこと、ちゃんと聞いてくれるじゃん』
白銀の髪。
砂糖みたいに甘い匂い。
曖昧なのに、確かに“いた”誰か。
(もう一度……会いたい)
唯一、確かに残された願い。
「……神殿へ行く」
罠かもしれない。
俺の記憶を削った“何か”の仕掛けかもしれない。
それでも――
(ここで目を背けたら、俺は俺を許せない。ズレを放置して進むような人間じゃない)
その性分だけは、記憶を失っても変わっていないらしい。
夜気がわずかに熱を帯び、風向きが変わる。
リュークは、静かに、しかし確かな決意を噛みしめた。
「必ず、神殿を探す」
どこか遠くで、“何か”が記録される音がした気がした。
「――もう二度と、見失わない」
その小さな決意が、
確かにこの世界の構造に、目に見えない小さな“ひび”を刻んだ。
◆村での作業
翌朝。
村の広場は、昨夜の静けさとは違う柔らかな気配に包まれていた。
焚き火の残り香、家畜の鳴き声、パンを焼く匂い――どれも懐かしい「生活の音」だった。
(……悪くない朝だ)
神殿へ向かうにしても、当てのないまま飛び出すわけにはいかない。
情報も足もともしばらくは、この村で固めるしかない――そう自分に言い聞かせる。
小屋の前を子どもたちが駆け抜け、リュークを見つけると一斉に手を振った。
「お兄ちゃん、おはよう!」
「罠、昨日の続きやるの?」
ミーナも遅れて駆け寄り、昨日渡した鈴を胸元で揺らす。
勢い余って足をもつれさせ、前のめりに倒れかけたところを、リュークが反射的に腕を支えた。
「わ、わっ……! あ、ありがと……」
「気をつけろ。鈴より先にお前が落ちたら洒落にならない」
頬を赤くしながらも、ミーナは鈴を自慢げに鳴らしてみせる。
小さな音が鳴るたび、どこか胸の奥がじわりと熱を帯びた。
「昨日の罠、ちゃんと音が鳴ったの。たぶん風だと思うけど……楽しかった!」
「そうか。じゃあ、今日はもう少しだけ精度を上げようか」
リュークは笑い、木片と紐を手に取り、仕掛けの要だけを手早く組み直し~。
その無駄のない指の動きに、子どもたちは息をのんで覗き込んだ。
「お兄ちゃん、早っ……! 今の、もう一回やって!」
「あとでな。今はここだ」
ミーナが近づき、手元を見ようとして、ふとリュークの髪に触れた。
指先に引っかかった毛先を、光の下でまじまじと見つめる。
「ねえ、ここ……やっぱり変わった色だね。銀みたいで、きれい」
「……そうか?」
無意識に自分の髪へ指をやる。黒の中に淡く紛れた銀が、朝日に揺れた。
記憶の空白に浮かぶ、白銀の髪の“誰か”――触れた瞬間、胸の奥がひりつく。
リュークは小さく息を呑み、視線をそっと逸らした。
「へへ、ミーナね、この色、すぐ見つけられるんだ。昨日もちゃんと――あっ」
勢いよく振った手が、今度は紐を引っかける。
罠の支点がわずかにずれ、石ころがコトンと転がった。
「……ほら、こういうところだ」
「ご、ごめんなさいっ! でも、ちゃんと覚えるから!」
泣きそうな顔で紐を握り直すミーナに、リュークはふっと口元を緩める。
その時、広場の露店の店主が、こちらへ手を上げた。
「おい旅人、昨日の罠……村の連中、結構感心してたぞ。ありがとな」
不器用な言い方だが、そこに棘はない。
閉じた村だが、決して冷たいだけの場所ではない――そう思い始めた矢先だった。
「……旅人、ちょっといいか」
店主が声を潜めた。
表情はさほど変わらないのに、言葉に乗る空気がほんの少しだけ冷える。
「村長がお前に会いたいそうだ。今すぐに、だ」
「……村長が?」
子どもたちの視線が、一斉にリュークに集まる。
ミーナが不安そうに鈴を握りしめた。
「お兄ちゃん、怒られちゃうの……?」
「いや、大丈夫だ。すぐ戻る」
リュークはミーナの頭を軽く撫でてから、店主の後に続いた。
日差しが村の奥へと伸び、石畳に光の筋がいくつも落ちる。
通りすがりの村人たちは作業の手を止めずにいるが、その横顔はわずかにこちらを窺っていた。
耳打ちを交わす声が、風に紛れて断片だけ届く。
(……やはり、何か理由がある)
案内されたのは、他の家とは明らかに造りの違う石造りの屋敷だった。
扉の前で、空気の層がひとつ変わる。
店主が重そうな扉を押すと、金属の軋みがゆっくりと響いた。
次回: 異端の烙印
予告: 神の加護なき者へ、世界は冷酷だった。
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