第3話 異端の村と、歪む扉
リュークは、足跡追いひとり草原を歩いていた。
風が金色の穂を渡り、遠くの森が静かに波打つ。
空がわずかに傾き、太陽がひと筋ずれる。
刷毛で塗り残したような光の帯が、草の先でゆらめいた。
足元には乾きかけた足跡。途中で消え、少し先でまた現れる。
リュークはしゃがみこみ、指先でその跡をなぞった。
(人が……いる)
風が穂をなぎ、影がひとつ走る。
目で追った先で、足跡は草原の彼方へと消えていた。
(あそこが……俺の故郷?)
脳裏をよぎる断片が、胸の奥でざらりと擦れる。
あの紙片の文が、再び浮かぶ。
『世界は、すべて偽りである』
『君はまだ、自分が“見ている”ものを知らない』
黒い染みが滲み、文字の端を蝕んでいた。
「……まずは、食料と情報を集めよう」
言葉にすることで、思考を現実へ戻す。
生きるための優先順位――それが今のすべてだった。
ふと、遠くに煙が揺れた。
風に流されながらも、確かに“生活の匂い”がある。
(あれは……)
胸の奥で何かが小さく跳ねた。リュークは歩を速めた。
◆トレント村
木造の家と畑が並び、家畜の鳴き声が低く響く。
穏やかな空気――けれど、どこか色が薄い。
「……ようやく、人の気配だ」
門前で足が止まる。
木柱に刻まれた文が、風に晒された木肌の上でくっきりと光った。
【神の恩恵なき者、異端者に警戒せよ トレント村】
次の瞬間、文字が一度だけ滲んだ。
木粉の匂いも出さず、深彫りの別文が浮かぶ。
【神の恩恵なき異端者もまた、家族 共に歩め トレント村】
彫り跡の方向が違う。浅い線と深い線が一瞬交錯し、視界がわずかに歪んだ。
瞬きをした途端、最初の警句だけが残る。
(……今のは)
喉の奥のざわめきを押し込み、静かに門をくぐる。
木の軋みが一拍遅れて返り、風が止んだ。
穏やかに見える村の奥に――
何が潜んでいるのか、リュークはまだ知らない。
◆村の様子と違和感
村に足を踏み入れるほど、胸の底にざらりとした違和感が募っていった。
陽光は確かに射しているのに、照らすはずの影が浅い。
灰色の空が、光だけを奪っていく。
通りを行く人々は皆、声を潜め、表情を消していた。
視線が合えば、肩をすくめて逸らす。まるで「見られること」そのものを恐れているようだった。
(……この村、何かに怯えてる?)
広場には屋台が並んでいた。
干し肉や根菜、焼き立てのパン――生活の匂いはあるのに、取引の声が異様に小さい。
言葉よりも沈黙が、この場所の秩序になっている。
ひとつの露店で、リュークの足が止まる。
無骨な歯車と錆びた導線、魔力を帯びた金属板。どれも古びているが、組み方は異様に精密だった。
歯車の噛み合わせを見た瞬間、頭の奥で構造が展開する。
軸受けの摩耗率、導線抵抗、伝導の滞り。指先が“正しい位置”を勝手に選び取る。
無意識にネジ頭へ触れた瞬間――
「触るなっ!」
怒声が脳を切り裂き、リュークは反射的に手を引いた。
店主の目が、刃のように光る。
リュークは視線を落とし、息を整えた。
(考えるより先に、動き方と欠損箇所が浮かんだ。……なんでだ?)
思考の奥で何かが軋み、映像のような残光がよぎる。
金属の音、光の反射、誰かの声。
思い出しかけた瞬間、それは霧散した。
「……俺は、何者なんだ」
呟きが空気に溶ける。
疑問だけが残り、歩みがわずかに重くなった。
気を取り直し、隣の屋台に声をかける。
「すみません、水と食料を分けてもらえますか?」
干し肉と保存パンを売る中年の男が、警戒を隠さぬまま目を細める。
「旅人か。……食料なら銅貨小十枚だ」
「お金を持っていなくて」
正直に告げた途端、男の表情が変わった。
「なんだ、タダ飯狙いか?」
吐き捨てるように言いながらも、男は顎に手を当て、しばらく黙り込んだ。
「まあ……何か手伝いしてくれるなら、分けてやらんでもない。畑か薪割りでもするか?」
リュークは周囲を見回し、井戸のそばに積まれた木材へ目を留めた。
木片、麻縄、鉄釘、そして簡単な工具。
(……罠が作れる。やってみせれば、信用も得られる)
「罠を作るのはどうでしょう?」
「……罠?」
男の目が鋭くなり、疑わしげにリュークを見やった。
「森の周りで、魔物を見たという噂はありませんか?」
「……ああ。家畜が減ってるし、夜に影を見た奴もいる」
男は渋く顎をさすった。
「なら、簡単な罠を仕掛ければ正体が分かるかもしれません」
言葉より先に手が動く。
落ち枝と紐を組み、踏み板・支点・撓ませた枝。その先に小さな鈴を結わえる。
リュークは踵を踏み板にのせた。板が沈み、支点が外れる。
チリン――。
澄んだ音が空気を切った。枝は元の位置へ戻り、鈴だけが短く震える。
「夜になれば、これで“通ったもの”の方向が分かります」
彼は紐の向きを変え、鈴の結び目を少しずらして見せた。
男は腕を組んだまま、足先で板を押す。
チリン。
今度は少し低い音。
「……足りん」
男が顎で示す。
「二つにしろ。往きは高い方、還りは低い方に。
音で片道か往復かが分かる」
リュークは一拍だけ目を見開き、すぐ頷いて二つ目の鈴を結んだ。
片方は短い紐、もう片方は長い紐。踏み板の向きに応じて鳴る音が変わる。
試す。
チリン。
チロリン。
「……これで、音だけで足跡が読める」
「よし」
男の口角がわずかに上がった。
「面白い。食料と水を出してやる。
今晩は、村はずれの小屋を使え」
「ありがとうございます」
頭を下げた瞬間、胸にざらりとした違和感が広がる。
(まただ。知らない知識が、まるで“上書き”されたみたいに溢れてくる。
記憶がなくても、技術だけ残るなんて……そんなこと、あり得るのか?)
答えは出ない。だが確かに、失われた何かが輪郭を取り戻し始めていた。
リュークは差し出されたパンと水を両手で受け取る。
温もりが冷えた指先を包み、息が自然とこぼれた。
水を一口、喉へ流し込む。
冷たさが胸の奥まで落ちていき――そこでようやく、自分がどれだけ渇いていたのかを知る。
もう一口あおると、喉が軋み、胃が驚いたようにきしんだ。
(……危なかったな。あと少し歩くだけでも、正直きつかった)
握るパンは心許ない量なのに、指先はそれを離すまいと強く力を込めていた。
(今日の分は、何となった。今晩の寝床も……)
歩き出した瞬間、背後の水たまりがきらめいた。
水面の“彼”は、振り返るのが一拍遅れた。
(今の……俺にしか見えてない?)
(この世界の歪みは、一つじゃない。
全部、線でつながっている気がする。)
胸の奥が熱を帯び、すぐに引く。
広場へ入ると、空気の淀みが肌を刺した。村に入ってから続く“圧”が、まだ残っている。
リュークは作業へ取り掛かった。
木材を削り、縄を張り、釘を打つ。
その動きには、無駄がない。
(記憶はないのに、身体が“知っている”。まだ消えていない何かがある)
空を見上げる。灰色の空の下で、村の静けさが異様に響いた。
そのときだった。
「お兄ちゃん、何作ってるの?」
声の方を見ると、まだ年端もいかない少女が立っていた。
栗色の髪を揺らし、真っすぐな目でこちらを見ている。ミーナだった。
その背後から、他の子どもたちも興味津々といった顔で集まってきた。
リュークは少し驚き、そして胸の奥で何かが小さく弾けた。
(この感覚、やれる。やれるぞ……!)
指先が勝手に動くように、枝を組み合わせていく。
結び目を締め、支点の角度を微調整。
それは作業というより、“血が騒ぐ遊び”だった。
自然と口元に笑みが浮かぶ。
「ありがとう。でも、怪我しないようにな」
優しい声に、子どもたちは嬉しそうに頷く。
壊れた椅子を運ぶ子など――小さな手が動くたび、笑い声が弾けた。
まるで、草原に集う小さな冒険隊だ。
「よし、俺たちの作戦会議だ!」
リュークの声に、「おーっ!」と元気な返事。
風が草を撫で、鈴がかすかに鳴った。
彼らは確かに“村を守るヒーロー”だった。
心の奥に、じんわりと温かい感情が芽生える。
失われた記憶よりも、今という手触りが確かだった。
だが、その温もりを切り裂くように、背後から視線を感じた。
振り返ると、屋台の陰に老婆が立っていた。
皺だらけの手を組み、静かにこちらを見つめている。
子どもたちの笑顔とは対照的に、その瞳は冷ややかだった。
まるで――“何かを知っている者”の目。
リュークはその意味をまだ知らない。
ただ、その視線だけが胸に刺さり、離れなかった。
次回:神殿への決意
予告:声が呼ぶ。影が応える。
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