第13話 決断の時——未来への選択
封印の間を後にしたリュークたちは、険しい山道を慎重に抜け、ようやく村へ戻った。
影獣との死闘、封印の崩壊、スキルクリスタルとの遭遇――。
ほんの数日間の出来事とは思えない。胸にのしかかる重さは、何年も戦場を渡り歩いた兵士の記憶にも匹敵するようだった。
広場には、すでに多くの村人たちが集まっていた。
焚かれた松明が夜気を揺らし、その灯りの下で、不安げな人々がざわめきながら彼らを待ち受けている。
「リューク……!」
誰かが名を呼び、群衆から数人が駆け寄ってきた。焦りと恐怖の入り混じった視線が、彼の全身に突き刺さる。
「封印の石は、どうなったんだ?」
リュークは小さく息を整え、重く口を開いた。
「……封印は、すでに破壊されていました」
その一言が落ちた瞬間、広場はざわめきで揺れた。
肩を寄せ合う者、子を抱き寄せる者、顔を覆って震える者――恐怖が目に見える形を取り、人々の声は焦りへと変わっていく。
「人の手で……?」
「じゃあ、また影獣が……!」
空気が一気に張りつめた、そのとき。
「……最近な」
その緊張を割るように、村人の一人が口を開いた。傷だらけの指が膝の上でわずかに震えている。
「旅の商人が妙なことを言っていた。数週間前、村の近くで“黒衣の男”を見たと」
「黒衣の男……?」
リュークの目が細く鋭くなる。
「顔は見えなかったらしい。ただ、村の外れ――祠の方へ向かっていったそうだ」
「祠に……?」
「じゃあ、本当に誰かが封印を……」
「呪いを解き放ったってことか……?」
村人たちのざわめきは、見えない「誰か」への怯えへと形を変える。
目に見えない犯人像が、それぞれの脳裏で勝手に膨らんでいくのが分かった。
(黒衣の男……あの影を解き放った張本人、か)
得られたのは、断片にすぎない。
だが、「誰かが意図的に動いた」という事実だけは、はっきりと刻み込まれる。
リュークはざわめく広場を見渡し、村人たちの不安をまっすぐに受け止めるように、一歩前へ出た。
「影を完全に封じるには、強力な結界の再構築が必要です」
静かに、しかしよく通る声で告げる。
「でも今は、それよりも――まず、この村を守ることです。
黒衣の男の正体を追うにしても、防衛を固めなければ、同じことが繰り返されるかもしれません」
淡々とした言葉の奥に、揺るぎない決意が宿っていた。
その響きに、村人たちは互いに顔を見合わせ、一人、また一人と頷いていく。
「……そうだ。今は、自分たちで守るしかない」
「村長、どうします?」
視線が一斉に集まる。
村長ロッドは深く眉を寄せ、しばし思案したのち、静かに頷いた。
「よし。すぐに見張りを強化する。昼夜交代での巡回を徹底だ」
短く区切り、さらに続ける。
「黒衣の男とやらが本当にいるなら、なおさらだ。武器の点検、防壁の修繕も急がせる。動ける者はすぐに集まれ!」
「「おうっ!」」
村人たちは一斉に動き出した。
松明の炎が大きく揺れ、広場は慌ただしく熱を帯びていく。
その様子を眺めながら、リュークはふっと目を伏せた。
(……少なくとも、今この瞬間は、守る側に回れた)
かすかな安堵が灯る。
だがそれと同時に、痛いほどの実感もあった――今の自分には、まだ力が足りない。
(黒衣の男……必ず突き止める。そのための力も、手段も)
静かに燃え上がる決意が、胸の内側からじわりと熱を広げていった。
けれど、この村のためにできることは、まだある。
そしてそれは、記憶を失った自分という存在を、少しずつ「何か」に近づける道でもあった。
風に揺れる松明の灯りの下。
村は、再び立ち上がろうとしていた。
やがて、リュークは村長の家へと招かれた。
木の匂いが染み込んだ小さな室内に入ると、ほっとするような温もりが迎えてくれる。
古びた椅子に腰を下ろすと、陶器のカップが差し出された。湯気の立つスープから、根菜と香草のやわらかな香りが立ちのぼる。
リュークは無言でスプーンを取り、そっとかき混ぜた。
(……あったかい)
口に含むと、その温もりが張り詰めた肩の力を、ほんの少しだけ解きほぐしていく。
「……すまなかったな、若いの」
村長が、深く沈んだ声で口を開いた。
皺の刻まれた手を膝に置き、正面からリュークを見据える。
「お前さんがいなければ、この村は……影に呑まれていたかもしれん。本当に、感謝している」
「俺は、できることをしただけです」
リュークは静かに返し、スープを一口すする。
熱が喉を伝い、冷え切った身体の芯へとゆっくり染み込んでいく。
「ただ……」
スプーンを碗の縁に置き、リュークは村長へ視線を向けた。
「まだ、やるべきことが残っている気がします」
短い言葉に、重たい沈黙が落ちる。
村長はその意味を汲み取り、目を伏せ、火の落ちかけた暖炉へと視線を向けた。
「……異端に厳しいのはな、この村が滅びかけたことに理由がある」
その声音には、忘れようとしても消えぬ痛みが宿っていた。
「……理由、ですか」
村長は深く息を吐き、記憶を掘り起こすように言葉を紡ぐ。
「昔、この地には“影の呪い”が広がっていた。
村の半分が黒い影に呑まれ、人も家も、輪郭だけ残して塗りつぶされたようになってな……。
その中から這い出してきた連中は、もう『いつものあいつ』じゃなかった。家族同士で刃を向け合うような有り様だった」
静かな声が、暖炉の残り火のように小さく揺れる。
「そのとき現れたのが、“加護なき者たち”だ。
神の加護も祈りも通じぬ者が、独自の力で状況をねじ曲げた。たしかに、影は消えた。だが、その過程で村はさらに壊され、多くの者が命を落とした。
影を祓った先に残ったのは、焼け跡と、戻らない者たちの名だけだった」
だから、と村長は目を細める。
「だから村の者は、それを『救い』とは呼べなかった。
そして――神の外側にいる力を、心の底から恐れるようになった」
リュークはうつむき、スープの残り香と共に、胸に重く沈む言葉を噛みしめた。
この村の「異端への恐怖」は、ただの偏見ではなく、失われたものの記憶だ。
暖炉の火がぱちりと小さく弾ける。
「今後、お前さんは……どうするつもりだ?」
静かな問い。
その声には、ただの好奇心ではなく、選ばなかった過去と、選びたかった未来とが、にじんでいた。
リュークはしばし考え、やがて迷いのない声で答える。
「都市へ向かいます」
「都市へ……?」
村長がわずかに眉をひそめる。驚きと、どこか寂しげな響きが混じっていた。
「資金と情報が必要なんです。
影獣が現れた理由、封印を壊した者の正体……この村だけを見ていても、根本は分からない気がします。
この村を守りたければ、ここを離れてでも、“元を断つ方法”を見つける必要がある。
そのためには、もっと大きな場所で、もっと多くの記録と人に触れないといけないと思うんです」
そこでリュークは言葉を一度切り、迷うようにカップの縁へ視線を落とした。
「それと……もうひとつ、探しているものがあります」
「ほう?」
「“神殿へ”とだけ記された紙切れを持っていました。目覚めたときには、それしか手がかりがなかったんです」
自分でも正体のつかめない違和感がある。
そして――すべてを語れるわけではない。
それでも今伝えられる部分だけを選び、リュークは神殿に関するわずかな情報を簡潔に述べた。
「もしかしたら、あの封印や影と同じように……神殿も何か関係しているのかもしれません。
このあたりに、“神殿”と呼べるような場所はありませんか?」
村長は腕を組み、しばし黙り込んだあと、ゆっくりと首を横に振った。
「残念だが、この一帯にそんな立派なものはないな。
せいぜい、あの祠や、小さな教会が点々とある程度だ。“神殿”と呼べるような場所は聞いたことがない」
「そう、ですか……」
わずかな期待がしぼみ、胸の中に小さな空洞が生まれる。
だが同時に、「ならばどこを目指すべきか」という問いが、かすかに浮かび上がった。
「……なるほど」
村長は小さくうなずき、湯気の立つカップに目を落とした後、再び顔を上げる。
「ならば、お前さんに勧めたい場所がある」
「どこでしょう?」
リュークは自然と身を乗り出す。その瞳には、さっきよりもはっきりした覚悟が宿っていた。
「商業都市ベルハイムだ」
「ベルハイム……」
「人も物も噂も、あらゆるものが集まる街だ。影獣や封印の情報もそうだが、“神殿”とやらを探すにも、まずはああいう場所を拠点にした方がいい。
行商人も学者も、各地の神殿や教会の話を持ち込む。手がかりを探すには、うってつけだろう」
村長は少し表情を引き締める。
「だが、便利なだけの場所でもない。
力も金も持たぬ者は、簡単に踏みにじられる。噂と嘘と欲が、同じ顔で並ぶような街だ。
それでも行くというなら……覚悟しておきなさい」
ベルハイム――その名を心の中で繰り返しながら、リュークはゆっくりと息を吸い込んだ。
(封印の謎も、黒衣の男も、神殿も……すべて、ベルハイムから追うことになる)
交易と物流の中心地でもある。
そこには多くの商人や冒険者、腕の立つ職人たちが集まる。
情報も、金も、そして新しい災いさえも――すべてが集まる場所。
「ベルハイムへは、どの道を?」
「村の北の街道をたどれ。途中にいくつか集落があるから、無理はするな。
しっかり休みながら行っても、五日もあれば着けるはずだ」
「……分かりました」
リュークは静かに返事をした。その声音には、確かな意志と、わずかな不安が同居していた。
改めてスプーンを取り、冷めかけたスープをひと口すする。
温もりは舌よりも心に残り、ここでの出会いと別れ、そして新たな旅立ちを告げる味となった。
「それと……」
リュークは懐からスキルクリスタルを取り出した。
掌に載せると、青白い光が脈動し、呼吸のように明滅を繰り返す。
「これについて、教えてほしいんです」
村長は一度頷き、椅子の背に体を預けながら、ゆっくりと語り出した。
「スキルクリスタルは、超古代の遺物だ。
特定の力を“封じた”魔法結晶でな……触れて魔力を流し込めば、その力が使用者に“刻まれる”と伝わっている」
「……どうやって使うんですか?」
リュークの眼差しは鋭く真剣だった。
「難しいことではない。
ただ結晶に触れ、自分の魔力を流し込む。それだけで、眠る力が目覚める……と古い記録には書かれておる」
「使用条件や、代償は?」
問いに、村長はわずかに目を細め、沈黙を挟んだ後、首を横に振った。
「わしの知る限り、代償は記されていない。特別な制約もなかったはずだ」
リュークは言葉を飲み込み、黙ってクリスタルの表面をなぞった。
ひんやりとした感触の奥から、“意思”のようなうねりがかすかに伝わってくる。
まるで――彼の存在に応じて震えているかのように。
(……俺は“金貨”を要求された。
だが、村長はそのことを知らない……)
胸の奥に、冷たい疑念が広がっていく。
(スキルクリスタルそのものの性質じゃない……?
それとも、この世界の“当たり前”から、俺だけが外れているのか)
喉の奥がじわりと渇いた。
だが今は、言葉にしない。ただ、記憶の奥底に、その異常だけを深く刻みつける。
「スキルクリスタルから得られる力って……どんなものなんですか?」
「そればかりは、使ってみなければ分からん。
ただ……昔から、戦いに特化した能力が多いとは聞いておる」
村長の声には慎重さと、わずかな畏れが混じっていた。
リュークは小さく息を吐き、結晶をしっかりと握り直す。
手の中で脈動する光は、「今ではない」と告げるように、彼の鼓動と静かに重なっていた。
(いずれ――試す時が来る。その時まで、軽々しく触れるわけにはいかない)
「……ありがとうございます」
「うむ。……気をつけて行くんだぞ。
お前の旅路に、神の加護があることを願っておる」
村長の声は静かだったが、その皺深い顔にはわずかな安堵と希望が滲んでいた。
リュークはクリスタルをそっと懐に収め、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
木の背もたれから伝わる冷えた感触が、妙に現実を引き戻してくる。
けれど、その足はもう止まらなかった。
こうして――リュークの新たな旅路が始まった。
その背には、過去の影と失われた記憶を抱えたまま、しかし確かに前へ進もうとする意志が宿っていた。
次回:小さな村に残した、温もり
予告:進む前に知る、“この場所にしかない”もの
読んでいただき、本当にありがとうございます!
読者の皆さまの評価や応援の言葉が、何よりの力になります。
質問です。
「皆さんなら“未知の都市ベルハイムへ行く”という選択、すぐにできますか?」
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