(番外編)デイジーお姉さまの好きなもの~イライザ目線(前編)~
御礼が遅くなりまして申し訳ございません。
皆様の応援のおかげで、本作コミカライズしていただいております。
本当にありがとうございます!!
本編から二年後の義妹となったイライザ目線となります。
楽しんでいただけますと幸せです。
「デイジーお姉さま。今日は、好きなものは増えましたか?」
ライアンお兄さまとデイジーお姉さまが一緒にお出かけした日には、私はいつもディナーの席でこの質問をしている。
「今日は、屋台で売っている苺飴を初めて食べたの。とても美味しくて、すごく好きになったわ」
嬉しそうに話すデイジーお姉さまのことを、ライアンお兄さまが眩しそうに見つめていた。
ライアンお兄さまとデイジーお姉さまが結婚してもうすぐ二年が経つけれど、デイジーお姉さまを見つめるライアンお兄さまの瞳も、ライアンお兄さまに見つめられると赤く染まるデイジーお姉さまの頬も、その熱量は新婚の頃と少しも変わっていなかった。
☆★☆
ライアンお兄さまとデイジーお姉さまの結婚式の日は、まごうことなき曇り空だった。
ハレの日に相応しい青空でなかったことを私は残念に思ったけれど、デイジーお姉さまは笑っていた。
「今は青空も好きだけど。私をずっと支えてくれたのは曇り空だから。だから今日が曇り空で、私はとても嬉しいの」
気候の良い時期だったのでガーデンウエディングも候補にあがっていたけれど、デイジーお姉さまの強い意向で室内での挙式・披露宴になった。
それでも写真撮影だけは、ライアンお兄さまの提案で庭で行われた。
曇り空の下で撮影された写真は、新郎新婦と列席者達が輝く笑顔を浮かべたその奇跡のように幸せな一瞬を、見事に切り取っていた。
空に溢れた雲達さえも、写真の中で輝いていた。
それはまるで、いつも太陽や雨に主役を譲ってきた雲達が、ずっと愛してくれたデイジーお姉さまに精一杯の祝福を贈っているようだった。
私にはその写真の雲達が、パンドラの箱から溢れ出した希望に見えた。
写真撮影の後の披露宴にも、幸せが溢れていた。
「ライアン様! デイジー様! 今日はおめでとうございます! こんな日が来るなんて感激です! お二人の幸せそうな姿を見ることが出来て、とっても嬉しいです!」
満面の笑顔でデイジーお姉さまに駆け寄ったのは、生徒会で一緒だったというベッキー伯爵令嬢だった。そんなベッキー様に対して、デイジーお姉さまは花が咲くように、幸せそうに微笑んだ。
「「「デイジーお嬢様。本当に本当におめでとうございます」」」
通常ならありえないことだけど、披露宴にはアスター侯爵家の使用人達も招待されていた。
『たかが使用人を招待するなんて』という声も上がったけれど、デイジーお姉さまは少しも怯むことなく堂々と言った。
『二か月間の昏睡状態に陥った時、彼らがいなければ私はそのまま息絶えていたかもしれません。私を懸命に支えてくれた彼らがいたから、目覚めることが出来ました。彼らは、私の命の恩人です』
そうして招待されたアスター侯爵家の使用人達は、初めて出席する貴族の結婚式に最初は全員が恐縮していた。
けれど途中からは、とても嬉しそうに涙さえ浮かべて、ウエディングドレス姿のデイジーお姉さまを見つめていた。
デイジーお姉さまの結婚を心から喜んでいるその姿は、デイジーお姉さまが使用人といかに信頼関係を築いているか他の貴族達に知らしめることとなった。
デイジーお姉さまの父親であるアスター侯爵も列席していたけれど、ただひたすらお酒を飲んでいた。
最後までデイジーお姉さまと会話を交わすことは、たったの一言もなかった。
「ジェイク殿下。本日はご列席くださいましてありがとうございます。……私が今日を迎えられたのは、ジェイク殿下のおかげです。本当に感謝しております」
婚約者である私の隣に座っていたジェイクさまに、デイジーお姉さまは声をかけた。
「デイジー様。今日はおめでとう。……どうか今までの分まで幸せになってね」
ジェイクさまは、何かを吹っ切ったかのような、とても晴れ晴れとした顔をしていた。
その時のジェイクさまの感情がどんなものだったのか。……もしかしたら事実を積み重ねれば推察できたのかもしれないけれど、その想いには気付かないふりをした。
それでも私は、ジェイクさまが好きだ。
初めてお話をした八歳の頃から、ずっとずっと好きだった。
☆★☆
私が八歳の時、第一王子であるフレディ殿下とすでに才女として有名だったデイジー様の婚約パーティーが、王宮の庭園で行われた。
「今日は気温が高いから、水分をたくさんとるんだよ」
パーティーの前に心配そうに言ったお父様を、私は笑った。
「お父様ったら心配しすぎなんだから。喉が渇いたら水分をとるに決まってるでしょう? 私はそんなに子供じゃないわ」
それなのに、令嬢達との会話に夢中になってしまった私は、自分の喉が渇いているどころか体調が悪くなっていることにさえ気づかなかった。
そして突然騒がしくなった周囲に戸惑っている間に、誰かにぶつかられてそのまま倒れてしまった。
目が覚めたのは王宮の医務室で、私には熱中症の診断が下されていた。
寄り添って心配してくれる家族に、私は謝った。
「お父様の忠告を無視してごめんなさい。私のせいで色んな人に迷惑をかけてしまったよね?」
「イライザごめん。僕がもっとイライザの様子に気を配るべきだったんだ」
私よりもずっと青い顔をして必死で謝るライアンお兄さまを見て、私は思わず泣いてしまった。そんな私とライアンお兄さまを両親は優しく抱きしめてくれた。
その時、医務室にフレディ殿下とジェイク殿下が訪れた。
王子達の登場に驚いて慌ててベッドから立ち上がろうとする私に、ジェイク殿下が優しく声をかけてくださった。
「驚かせてごめんね。無理をしないで、そのまま休んでいて良いからね」
その心遣いがとてつもなく嬉しかったのに、緊張した私は『ありがとうございます』と口を開くだけで精一杯だった。
「君が倒れたせいで、せっかくの僕のためのパーティーが台無しだよ」
不貞腐れたようなフレディ殿下の態度と言葉に、とても和やかだった空気が一瞬で凍った。
あまりのことに困惑して何も言えない私の耳に、不穏な空気を一掃するかのようなジェイク殿下の明るい声が響いた。
「兄上。間違ってるよ。今日は兄上のためじゃなくて、第一王子の婚約者となったデイジー様のお披露目パーティーでしょ? 主役はデイジー様だよ」
「ぼっ、僕は間違えてなんか……。そうだ! デイジーが主役ということは、婚約者である僕も主役ということだろう!」
「婚約者のためのパーティーの主役を自分だと思えるなんて、兄上の考えは高度すぎて僕には理解できないや」
ジェイク殿下の明るい声と屈託のない笑顔に、フレディ殿下は自分が嫌味を言われていると気付いていなかった。だから『僕の考えが理解できないなんて仕方のない弟だな』というように眉をさげただけだった。
そんなフレディ殿下から視線を移したジェイク殿下は、心配そうに私を見つめた。
「体調は大丈夫? 王宮側の配慮が足りなくて、こんなことになってしまってごめんね」
公爵家の一員とはいえ当主でもない娘が倒れただけなのに、第二王子が心配して医務室まで足を運んでくださり、あまつさえ王宮側の不手際を謝罪までされるなんて。
驚いて顔をあげた私の目に飛び込んできたのは、私を見つめるジェイク殿下の切実で誠実な瞳だった。
その瞬間から好きだった。
それからずっと私は、ジェイク殿下が好きだった。
十歳ですでに才女と名高かったデイジー様の、学園に通う頃には『第一王子の完璧な完璧な婚約者』として国中に認められていたデイジー様の、その後に王太子の婚約者となることの重圧に押しつぶされそうになったとしても、それでもジェイク殿下の婚約者に選ばれた奇跡を喜ばずにはいられないほどに。
☆★☆
「イライザ?」
過去に思いを馳せていた私は、デイジーお姉さまの声に意識を戻した。
「すみません。少し考え事をしていて……。何のお話でしたか?」
「相談されていたジェイク殿下とイライザの結婚パーティーでの料理のことだったんだけど……。大丈夫? 体調でも悪いの?」
なぜかデイジーお姉さまは私のことを病弱だとでも思っているようで、事ある毎に私の体調を心配してくれる。
「大丈夫ですよ。デイジーお姉さま? いつも言っていますが、私は風邪だって滅多にひかないくらいに健康ですよ?」
「良かった。……イライザは大切な妹だから、ついつい心配になってしまうの」
照れたように笑うデイジーお姉さまは、とても可愛かった。
ライアンお兄さまと婚約する前のデイジーお姉さまには、好きなものが三つしかなかったという話を聞いた時には涙が出そうになった。
だって私の世界には、小さい時から好きも嫌いも当たり前に溢れていたから。
もちろん公爵家の娘として、人前で態度に出したり嫌いだからと差別したりすることはなかったけれど。
でも心の中では色付けしていた。
美味しいから好き。綺麗だから好き。楽しいから好き。
しょっぱいから嫌い。痛いから嫌い。意地悪だから嫌い。
好きか嫌いかなんて、自分の物差しで簡単に決めてしまえるそんな単純なことだと思っていた。
だからそれすらも感じられないデイジーお姉さまの世界は、一体どんな世界だったんだろう。
空っぽの宝箱に、好きと思えたたった三つのものだけを入れて必死で抱えて守っている小さな少女を想像して、私は勝手に泣きたくなった。
きっとだから結婚式のあの曇り空さえも、パンドラの箱から希望が溢れていくような、そんな奇跡に見えたんだ(デイジーお姉さまは、なぜか『曇り空』だけはその好きな理由を教えてはくださらなかったけれど)。
だからどうか、ライアンお兄さまと結婚したデイジーお姉さまのその宝箱が、とっても単純に色分けされた好きで溢れますように。
そんな祈りを込めて、私は今日も聞くの。
『デイジーお姉さま。今日は、好きなものは増えましたか?』




