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京都舞扇 〜猫たちの時間2〜  作者: segakiyui
16.舞扇の裏表

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3

「『直樹』は……行方不明になったんだろ?」

「……そうね」

 表舞台に出ていた里岡『直樹』は警察の事情聴取を受け、家に戻され、そしてふいに消えてしまった。体調が悪い、そう言って病院に受診しようとして、数日前に雇われた運転手ごと行方不明だ。本当ならばそちらも騒ぎになるはずだったのだが、そこにちょうど内部告発が重なり、次々明かされる新事実の波に埋もれていってしまった。一連の事件に関わって始末されたのではないかと、警察は太田を追及中らしい。

「『周一郎』は」

「海外へ逃げた、と考えられてるけど」

「ふぅん」

 朝倉家に周一郎が戻ってくる直前、こちらは一人で屋敷を抜け出したらしい。本物の周一郎を迎え入れる準備に右往左往していた高野は急ぎ追っ手を送ったらしいが、既に相手は中国へ、そこからすぐに転々と移動していったらしく、その足取りは掴めていない。

 そうして表と裏の境界線は一瞬見えたように思えてすぐに曖昧に現実に呑み込まれていく。

 掴んだと思った真実も、あっという間に重ねられる虚構の中に埋もれていくんだろう。

 それでお前はどうする、そう廻元は尋ねた。


「さすがに元気そうだな」

「さすがにってなんだそれは」

 見舞いに来たぞ、と廻元は買ってきたまんじゅうをさっさと枕元で広げて食べ出す。

「俺の分は?」

「おお、ナースステーションに置いてきた」

「は?」

「世話をよろしく頼むとな。気を利かせただろう」

「それはかなり違ってるような気がする」

 溜め息をついていると、まあ茶でも飲め、と枕元の急須で茶を淹れてくれたが、

「それは俺の茶だろう」

「堅いことを言うな」

「……」

 その口調に思い出したのはもういない少女のことで。

 同時に思い出したのだろう、廻元も静かに茶を啜って、懐かしいな、と低く呟いた。

「……あの年寄りのことは心配するな」

「え?」

「毎日寺に来ておるよ」

「……ああ」

 綾野清は明かされた一連の出来事を受け入れなかった、というより、もう朝倉家には一切関わりたくないと言ってよこしたらしい。周一郎の気持ちも、京子や良紀のことも、綾野の処遇も、きっと何もかも清の生きている世界を壊すものでしかなかった、そういうことなのだろう。

「この先を京子と良紀の菩提を弔って過ごすというから、まあそういう納め難いものを納めるのも寺の役目だからな」

 破戒坊主でもするべきことは心得ているぞ。

 わっはっは、と病院中を揺らすような豪快な笑い声を上げ、

「許してやれ」

「は?」

「許してやれ、あの年寄りを」

「……」

「あれもまた、生きたくて必死なのだ」

「……ああ」

 わかってる。

 たとえ自分の拒否が周一郎を殺すと思っても。自分が真実から目を背けることがより多くの人を傷つけるとわかっていても。

「わかってるよ」

 真実を認めないこと、自分以外の正しさを認めないことでしか、生きていけないという世界もまたある、そういうことだ。

 脳裏に過ったのは盗まれた金を探して俺の鞄をひっくり返した教師の焦った顔。

 認めない、認めないぞ、認めてしまえば俺は自分を疑うことになる、自分の世界を疑うことになる、だから。

「……怖いんだろ?」

「……ほぅ」

 廻元は目を見開いて最後のまんじゅうにかぶりついていた手を止めた。

「怖いよな?」

 俺だって怖い。

 周一郎の居る世界が。

 人間が自分を守るために誰かを傷つけることを良しとする世界が。

「けど、違う世界だって思うから怖いんだ」

 翻る扇。

「そんなもの」

 俺の中にだってある。

 裏切りも憎しみも嫉妬も怒りも拒否も痛みも絶望も嘆きも。

 遮っちまうから怖いんだ、別ものだって岩を置くからもっと怖いんだ、そこへは行けないと不安がるから。

「俺だって、汚いさ」

 みっともなくて失敗だらけでいつまでたっても何も実らなくて。

「………そこの覚悟がな」

 廻元はゆっくり残りのまんじゅうを口に押し込み、茶を一気に飲み干した。

「怖い怖い」

 ぺろりと唇を舐めて立ち上がり、きょとんとする俺ににやりと笑った。

「お前さんは、怖い男だ」

「は?」

「知らんか」

 まんじゅうを怖がってるとまんじゅうがたくさん来るのだ。

 くそ真面目な顔で廻元が言ってますますわけがわからなくなる。

「まんじゅうの話だったか?」

「それしか話しておらん」

「いや違うんじゃ」

「怖がってるとな、天から降ってくる」

 廻元は目を細めてふいに笑った。

「なのにお前さんには降りようがない、怖いものがないからな」

「は?」

 いやお前人の話を聞いてなかったか、俺は今いろいろ怖いって言ったんだぞ、世界が怖いってのがよくわかるって、そう言ったよな?

「そうやって救ってやれ」

 あの子の心を。

「周一郎?」

「怖いものしかない、あの心を」

「や、それはかなり無理…」

 ってか、周一郎が救いをも求めてるとは俺は絶対に思えないんだが。

 京のぶぶ漬け、というのがあるだろう。

 廻元は帰り際にそう言った。

「あれはあれでちゃんと意味がある、相手にも自分にも侵し難い領域がある、それを守ってそれでも一緒に生きていこうという意味だ」

 取り繕いだとか表裏があるとか悪く言われることが多いがな。

「しかし表裏など誰の心にもある。それを意識しておくかおかぬか、そういうことだと思うぞ」

 どれほど真正直にまっすぐに生きていても、生死の境に思わぬ選択をしてしまうことがある。こういう事件はそういうものを浮き彫りにする。

「鮮やかだが惨い」

 現実とはそういうものだ。

「人は、いとしいな」


「……愛って何だろう」

「は?」

「いや、廻元がさ」

 人はいとしいって言ったんだ。

「だから愛って何だろうって思ってさ」

「………時々凄い質問をするわよね?」

「そうか?」

「そうよ」

 愛ね。

 考え込んだお由宇は少し空を見上げて小さく応えた。

「側に居続けること」


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