グレイフェンリルの飼い方6 子犬は体力が少ないので、よく眠らせてあげましょう。
育成やこの世界の歴史についてなにかヒントを得られないかと、調教師室にある本にザッと目を通してみたのだが……
なんの成果も得られませんでした。
字、読めない。
しゃべり言葉はわかるのだが、文字は理解できないらしい。
調教師室での成果は、服を着替えられたぐらいだ。
シロを追い出して調教師服へと衣装を変更する。
白いシャツと、革のツナギと、長靴だ。
革のツナギはやや暑いのだが、作業内容を考えれば妥当な防御力だろう。
シャツなんかもワイシャツというよりは柔道着なんかに近い感触の生地でできており、かなり丈夫そうだ。
……いや、まあ、グレイフェンリルの牙の前にはなんの装甲にもならないと、シロのじゃれたあとで判明しているのだけれど……
とりあえず、先ほどよりはよっぽど調教師って感じになった。
文字については今後困りそうだなと思いながらもどうすることもできない。
とりあえず広場に戻る。
広場では子犬どもがひとかたまりになってぼんやりしていた。
お互いに軽く噛み合ったり、お腹に顔をうずめたり、においを嗅いだりしている。
癒される光景なのだが……
彼女たちは今、4人全員が人型だ。
もちろん服は着ている。
ツンが黒いワンピース(のような貫頭衣っぽい服)。
同じデザインで赤いものの丈を詰めて身につけているのがロッチだ。
ネムは1番スカート丈が長く、緑色のものを着ている。
クウが着ているのは、ロッチの次ぐらいに丈の短い青いものだ。
スカートの丈は短いほうから ロッチ<クウ<シロ<ツン<ネム という感じになっている。
で、なんでここまでスカートにフォーカスするかというと……
パンツはいてないんだよ、こいつら。
シロの持ってきた服の中には下着の類がなかった。
もともと、この世界にパンツが存在しない可能性もあるが……
そんな装備の薄さ、しかもスカート状の衣服で子犬どもがくんずほぐれつしてるものだから、癒される以上にハラハラする。
父親らしい苦悩なのかもしれない。
子犬どもがからみあう光景は非常にかわいらしく癒されるのだが、できれば犬モードでやってほしいと思った。
俺は声をかける。
「おまたせ。お母さんとのお話は終わったぞ」
子犬どもがいっせいに近寄ってくる。
ツンが俺を見上げて言った。
「パパがふつーの格好してるのです」
「今までの格好はツンから見ておかしかったのか」
「ちょっとだけ」
「そうか……」
化繊だしなあ。
さっきまで着ていたスウェットは、この世界にはない生地でできた服だ。
ツンたちだって人間を本当にまったく知らないというわけでもないだろうし、比較しておかしいと感じたんだろう。
ネムが俺をジッと見ている。
いつも眠そうな目をしているのに、珍しい。
俺は彼女のそばにかがみこんだ。
「どうした? なんか格好が気になるか?」
ネムがジッと俺の顔を見て……
それから、肩口にかじりついた。
「……さっきよりかたいのー」
服をハムハムしながら言う。
「お前は俺の服をかじらずにはいられないのか……」
「あのねー……ぱぱのにおいするの」
「……さっきまで俺が着てた服とかいるか?」
もう着ないだろうし……
砂とか血とか毛とか、あとなによりネムのよだれで大変なありさまになっている。
ネムが俺の服にかじりついたまま、うなずいた。
「ほしいの」
「じゃあ、あとであげるからな」
「んー……」
ぼんやりした声だった。
しかし俺の服をかじる力だけは強い。
仕方ないので、ネムを抱き上げながら立ち上がる。
そして、シロに問いかけた。
「そういえば、普段はどういう生活してるんだ?」
俺がプレイヤーだったころには彼女たちの生活リズムは俺が決めていた。
〝モンスターテイマー〟において、モンスターの1日はだいたい 食事→訓練→睡眠 のサイクルで回っていく。
大会があれば訓練のところに大会というスケジュールが入る。
1日にできる行動は3つで、朝、昼、夜、という順番で時間が流れる。
モンスターによっては〝夜行性〟や〝不眠症〟などのステータスがあり、それらに合わせたスケジュールを組むことでより効率的に育成が可能だ。
ちなみにグレイフェンリルは〝通常タイプ〟で、朝に起き、昼に活動し、夜に眠る、というサイクルだと育成効率が上がる。
夜から朝のあいだに1回起きて〝遠吠え〟という行動をとるらしいのだが、これは行動手順を消費しない。
……が、これらはすべてゲーム上の話だ。
現実ではもう少し細かいスケジュールで動くことになるだろう。
シロが悩むようにしてから答える。
「このあとはお昼寝ですね」
「……お昼寝か」
「あ、でも、ご主人様がいらしたんですから、そろそろ訓練を始めてもいいかもしれません」
悩むところだ。
訓練は訓練でしたいのだが、問題がある。
〝モンスターテイマー〟では訓練によりステータスを上げて大会に挑むというルーチンで過ごすことになる。
現在、この世界では大会こそないだろうが、危機に備えて能力アップをはかる必要性はあるだろう。
しかし……
ゲームをやっている時には、ステータスやその〝伸び率〟、疲労度や機嫌、育成方針などが画面上に数字あるいは文字で表示されていた。
だが、この世界においては……
俺はジッと目を凝らしてシロを見る。
シロが視線を泳がせながら髪をいじりだした。
「な、なんでしょうかご主人様……シロの顔になにかありますか?」
「いいや……なにも見えないなあと思って」
ステータスが見えない。
育成方針などの状況も可視化されることはなかった。
つまり、この世界においての俺は〝リアル調教師〟であり、ゲーム的なステータスなどはわからないのだ。
何匹ものモンスターを育ててきた〝経験〟があるので、ある程度は判断できるかもしれない。
だが、数字でわからないというのはやや不安がある。
それもふまえたうえで……
俺はこれからすることを決めた。
「昼寝しようか」
ステータスがわからないのはいいが、疲労度がわからないのは困る。
疲労度が高いまま訓練をしても効率が悪いし、モンスターが怪我や病気をすることもある。
ゲームでは大人だろうが子供だろうが同じ種類のモンスターであれば、訓練Aにおいて溜まる疲労値1、訓練Bによって溜まる疲労値は2、というように固定だったが……
現実で大人モンスターと子供モンスターで体力差がないとは考えにくい。
なので、訓練を始める前に、まずは俺の関知していない疲労度をリセットしてゼロにしておきたかった。
もっとも、休養をとったからといって疲労度がゼロになるという〝ゲーム的ステータス変動〟がありそうには思えないが……
普段から昼寝しているというのならば、現状、子犬たちに疲労がたまっているのは事実だろう。
というわけで休養だ。
シロがうなずく。
「わかりました。ほら、あなたたち、お昼寝ですよ」
子犬どもが各々返事をする。
……こいつらが寝ているあいだにやりたいこともある。
シロに任せて、俺は調教師室に行くか。
抱きついているネムを引きはがそうとする。
しかし、俺の服にかじりついたまま離れようとしない。
助けを求めてシロを見た。
シロが力強く拳を握りしめた。
「これは、ご主人様も一緒に寝ないといけませんね!」
すげえ嬉しそう。
……ま、たしかに長いこと離れてしまっていたみたいだし。
しばらくはスキンシップ重視でもいいか。
だが――
一つ、ゆずれないことがある。
俺はシロと子犬どもに言った。
「わかった。俺も一緒に寝るよ。ただし、条件がある」
シロがふんすふんすと鼻を鳴らす。
「わかりました! シロはご主人様と寝るためならなんでもします!」
「なんでそんなに必死なんだ……いや、まあ、なんだ、寝るのは別にいいんだが……」
こいつらは犬だ。
そんなことはわかっている。
わかっているんだけど、どうしても、見た目がかわいい女の子だし、薄着だし、気になってしまう。
俺だって疲れているから寝たい。
しかし、女の子5人にまとわりつかれて安眠できるほど悟りを開いてない。
そこでだ。
「お前ら、俺と寝る時は、モンスター状態になってくれ」
見た目も犬なら問題ない。
シロがきょとんとした。
「……条件がそれですか?」
「そうだが」
「人型で眠るのとなにが違うんですか? あ、いえ、ご主人様のなさりたいことに異論はないです! でも、疑問というか」
「お前の中ではなにも違わないのかもしれないが、俺の中ではけっこう違うんだ」
察してくれ。
裸に薄布1枚(下着なし)の女の子が横にいると意識したら俺がモンスターになりそうだ。
たしかにモンスター状態になってもらったことでどんな根本的解決ができるのかと言われればまったくなにも解決していないが……
人間は色んな臭いものに蓋をして生きているんだ。
野生丸出しではいられない。
わかってくれ。
シロは首をかしげながらもうなずいた。
「はあ、ご主人様がそう仰るなら……ほら、あなたたち、ご主人様がおおせですよ」
子犬どもが返事をして――
次々と犬型になっていく。
ツンが、ロッチが、クウが、俺でも片手で持てるサイズの子犬へと戻った。
……なんだこの安心感!
もうスカートの裾が揺れるたびにハラハラドキドキしなくていいんだ!
ちょっとした行動のたびに〝こいつらは人に見えるけど犬〟って頭の中で唱えなくていいんだ。
すごく癒される。
かわいいなあ、犬!
俺は抱き上げっぱなしのネムの背をたたく。
「ほら、ネムもモンスター状態になって」
「……ねむぅ」
「…………ネム?」
「……」
なんてこった、もう寝てる……
まあ、1人ぐらいいいか。
俺はため息をついた。
「ネムはこのままでいいとして……シロも頼む」
努めて気にしないようにしてたんだけど、お前の胸囲が一番脅威だよ。
それで抱きつかれた時とか、首筋のにおいかがれた時とか、俺の心臓にどれだけの負担かわかってないだろ。
飼ってるモンスターかわいすぎて調教師が悶え死にそうなんだぞ。
どうしてくれる。
シロがうなずいた。
「わかりました」
そして。
シロがおもむろに服を脱ぎだした。
俺は反射的にそっぽを向く。
「なんで脱いだ!?」
「え、だって、破けちゃいますから……」
そうだった。
子犬はモンスター型になるとむしろ縮むが、シロがモンスター型になると馬ぐらいのサイズにでかくなるのだ。
くそう、すっかり油断してた……
犬状態を見て記憶を上書きしないと。
「もう姿変えたか?」
「変えましたよ?」
視線を戻す。
銀色の体毛を持つ、馬ぐらいのサイズのグレイフェンリルが、赤い瞳で俺を見ていた。
美しい。
力強い。
かっこいいなあ……犬。
俺はシロに近づいて彼女の頬……というか口の横? 目の下あたり? に手を伸ばした。
でかい。
頭の位置が、俺の背より少しだけ高い。
体温は温かく、毛は固くってややチクチクする。
俺は片腕でシロの首筋に抱きついた。
筋力の強さが伝わってくる。
シロが息を荒くして言った。
「な、なんだかご主人様が急に大胆に……!?」
む。
そうだった。モンスター状態とはいえ、中身は人間状態のシロと同じなのだ。
人状態の時は彼女らが犬であると意識せねばならず、犬状態の時は彼女らが人ということを頭の片隅に置かなければならない。
なかなか距離感が難しい。
俺はシロから1歩離れた。
「悪い悪い。ただ、こうやって間近で見ると、つい触ってみたくなってな……」
「ご主人様でしたらいくらでもお触りください! むしろもっと触ってください!」
「どうどう。あんまり興奮するなって……これから寝ないといけないんだから」
ネムを片腕に抱えているわけだが、さすがに疲れてきた。
そろそろ横になりたい。
「じゃあみんな、小屋に戻るぞ。ついてこい」
最初に目覚めた建物へと歩き出す。
背後を振り返れば、シロと子犬どもが一列になって着いてきていた。
まるでカルガモの親子みたいだ。
つい、笑いがこみあげる。
シロが首をかしげた。
「ご主人様、なにか楽しいことでもありましたか?」
俺は笑ったまま答えた。
「いや……どう言ったらいいか困るんだけど――」
楽しいというか、癒されるというか……
たぶん、幸福なんだろうな、と。
ぞろぞろ続くシロと子犬どもを見て、腕の中にネムの体温を感じながら、噛み締めた。




