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石造りの建物、しっかりとしたその造りは、ちょっとしたことでは、ビクともしそうにない。
その堅牢さは、傭兵団という、戦いを生業とする集団の拠点として相応しい。
そんな建物の廊下を、引きたてられる罪人の如く、私は歩いている。
先導するのは、コンラート副団長。
今日も今日とて、愛用の派手な帽子を被っている。そして、何がそんなに愉快なのか、調子外れの口笛を恥ずかしげもなく吹き鳴らしていた。
まったく、軽快な口笛を吹いていい気なものね。私の脳内では、ドナドナが流れているというのに。
あまりにも憎らしい。その帽子の羽飾りを毟り取ってやろうか?
そんな、物騒な考えが頭を過る。……実行したりはしないけどね。
しかし、本当にできれば、どれだけ心晴れることだろう?
右腕が疼く。駄目だ、静まれ私の右腕!
……なんてね。寝不足の頭では、馬鹿なことばかり考えてしまう。
そうこうしている内に、建物の外へと踏み出した。
頭上には綺麗な青空と太陽……って眩しい!
寝不足の目に、慣れない陽の光は厳しいものがある。……あれ? そういえば、外に出るのはいつぶりだろう?
……二日、三日? いや、もっと? ……いつのまにか立派な引き籠りじゃないか!
判明した事実に愕然となる。
駄目だ、このままでは、本当に駄目だ!
「何、変な顔をしてるのさ。しゃきしゃき歩いてよ、リルカマウスちゃん」
「…………………………」
「……えっと、大丈夫? …………ちょっと、働かせすぎたかな?」
そんなコンラート副団長の言葉も、素通りする。
それほどのショックを私は受けていた。本当にどうしてこんなことに……。
いや、理由は明白だ。
その理由とは、まさしくこの傭兵団の歪さが元凶であった。
ライナス団長、コンラート副団長が率いるフィーネ傭兵団は、団員数三百人余を数える、中堅クラスの規模の傭兵団である。
しかし、その歴史は長くない。新興の、いや、赤子のような、生まれたばかりの傭兵団であった。
結成されたのが、およそ半年前。
にもかかわらず、その規模は中堅クラス。もっとも、その人員は、文字通りの寄せ集め集団。
基幹となる幹部要員があまりにも、不足していた。
当然だろう。そんな急速に膨らんだ集団が、まともな構成の筈がない。
それでも、団長、副団長を始め、各隊長クラスは何とか、まともな人員を確保することが出来た。
出来なかったのは裏方とも言うべき、事務方であった。
ロクな人員もなく、急成長の皺寄せをモロに受けた事務方は、既に戦線崩壊して久しい。
ライナス団長も高い給金で、何とか引きとめようとしたようだが、そのほとんどが敵前逃亡を図り、既に傭兵団にいない。
新たに雇おうにも、フィーネ傭兵団事務方の悪評は、リーブラ中に広まり、誰も志願者がいないという悪夢。
それでも事務仕事は溜まるもの。仕方なく、団長始め、傭兵団の幹部要員たちが、手の空いた時に、なんとかやっつけ仕事で行ってきた。
もっとも、彼らも暇ではない。というか、当然忙しい。何せ、幹部だもの。
つまり、再び戦線崩壊の悪夢が、繰り返されようとしていた。
しかし、神はフィーネ傭兵団を見捨てなかった。戦線崩壊を目前に、哀れな犠牲の羊がのこのこと現れたのだ。
誰あろう、それこそが私である。……笑えない。
しかもその上、今日の入団式によって、更に団員数が増えるという。
最早、狂気の沙汰だ。しかし、これには止むえぬ事情があった。
それは、昨今の危うい情勢が原因である。
今から約一年前、マグナ王国に新王が即位した。
この新王が、あまりにもキナ臭い人物であった。何せ、自らが王位に就くために、父王と、兄である王太子に、凶刃を向けた人物なのだから。
この纂奪事件によって、先王は死亡、元王太子は生死も分からぬ行方不明。
国の実権を握った、新王ハインリヒ五世は軍備を拡張。他国への領土的野心を隠そうともしなかった。
あるいは、纂奪による国内の反発を、紛らわせる意図があったのかもしれない。
ハインリヒ五世の真の意図は不明だが、彼の行動により、マグナ王国と周辺諸国との緊張感が高まることとなる。
このような情勢の中、マグナ王国との国境に領地を持つメデス辺境伯は、自身の騎士団の増強と、複数の傭兵団との契約に踏み切った。
アルルニア王国北部における軍備拡張。この追い風に乗り、いや、追い風に吹き飛ばされるような勢いで、フィーネ傭兵団も急成長。
そして先日の、マグナ王国軍の国境侵犯を受けて、メデス辺境伯は各傭兵団に更なる人員の増加を厳命した。
その結果として行われるのが、今日の入団式である。
ざわざわとした群衆の声。伝わる熱気。
苦悶している内に、入団式を執り行う広場へと到着していたらしい。
「本当に大丈夫かい、リルカマウスちゃん?」
珍しく心から不安げな様子の、コンラート副団長。
もっとも、彼が案じているのが、私の体調か、あるいは、崩壊しつつある事務方なのか。……きっと、後者だろう。
「あまり、大丈夫ではありませんね」
零れ出るのは、弱弱しい声。
せめてもの仕返しに、彼の不安を煽るような回答をしておいた。
ふん、同情するなら金をくれ。金目のものでもいい。例えば……。
視線をコンラート副団長の右手親指に向ける。そこには、ふざけた帽子を愛用している人間とは思えない、瀟洒な指輪をつけていた。
……なかなかの年代物に見える。それに、何より高そうだ。
前から目を付けていた一品。どうにかして……。
「遅いぞ、二人とも!」
前方から声が飛ぶ。そちらに視線を向けると、ライナス団長が立っていた。
「いやー、リルカマウスちゃんがトボトボ歩くものだから……」
「睡眠不足のせいですね。仕事量が多すぎるもので」
「…………ぐっ」
コンラート副団長が私に責任転嫁してきたので、すかさず、反論し難い理由を、恨みを込めて言い放つ。
ライナス団長は苦虫を噛み潰したような顔となった。
「……とにかくそこに座れ、シズク」
ライナス団長が手振りで示した先には、横長の机と椅子。
机の上にはインクと羽ペン、それから羊皮紙が広げられていた。
私は指示通り、黙って椅子に腰かける。すると、ライナス団長は、集まった人々に向かって声を上げた。
「注目! ……私がフィーネ傭兵団の団長、ライナスだ!」
静まるざわめき。幾人もの視線が、ライナス団長に集中する。
「これより入団式を執り行う! 一人ずつ、私の前に進み出よ!」
そう言って、簡易な椅子に腰かけるライナス団長。そのすぐ背後に、コンラート副団長が控える。
ライナス団長の宣言の後、少しの間を置いて、一人の若者が進み出る。
「名は何と言う?」
「ロメス村の、フランツです」
「そうか、フランツ。貴様は、フィーネ傭兵団の一員として、誇りある戦いを貫くことを誓うか?」
「誓います!」
その問答の後、暫し青年フランツを観察するライナス団長。
「ふむ、体格は悪くない。給金は……一ニ〇シリカだ。書記官! 記録、ロメス村のフランツ、一ニ〇シリカ!」
「あ、ありがとうございます!」
「よし、次!」
団長の声に応じて、新たな男が進み出てくる。
私は、羊皮紙に、先程の青年の名前と、給金額を羽ペンで記す。
そして同様の行為が繰り返されていく。全く、次から次へと、面倒この上ない。
私は、集まった群衆に視線をやる。
……百人には満たないか? しかし、それでも、中々骨の折れる人数だ。
今、ここに集まっているのは、全て入団希望者だ。
傭兵団から派遣された募兵官たちが、各地の村などを渡り、勧誘してきたものたちが、ここに集まってきている。
今日の入団式とは、団長の目通りと、新団員が傭兵団の一員になることの宣誓。そして、新団員にとって、最も重要な給金額の決定である。
「ほう、良い体格をしているな」
「へへ、村じゃあ、喧嘩で負けなしでんした」
「そうか、……給金は、ニ〇〇シリカ!」
団長の宣言に、ドオっと歓声が巻き起こる。本日の入団式で最高の給金額だ。
腕を高々と持ち上げて、勝ち誇る体格の良い青年。
それを、新団員達が、羨望の眼差しで見やる。
もっとも、所詮は新団員の給金額。
新団員たちと違って、私は冷めた目でその様子を眺めていた。
そう、私の給金額は新団員とは比べ物にならない。それどころか、傭兵団幹部とも遜色ない給金を与えられていた。
その額、実に三五〇シリカ。
都市や町に住まう住人の、平均的な収入が、月でだいたい一〇〇シリカであることを考えれば、相当な金額である。
ライナス団長はよっぽど、私を逃がしたくないようである。
実際、私が地獄のような職場から、まだ逃げ出していないのは、その給金を惜しんでのことに他ならない。
本当、給金だけはいいのよねぇ、給金だけは。
このまま、傭兵団に留まれば、遠くない将来、団内随一の小金持ちになることだろう。
そう、何せ、私は他の団員とは立ち位置が違う。
新入団員ですら、一般の平均収入を超えているのは訳がある。
日々の食事は勿論、武具の調達費なども、団員はその給金から賄わなければならないからだ。
その他にも、酒や女といったものにも傭兵たちは湯水のように金を使う。
多少の給金では、常にジリ貧の自転車操業。
幹部クラスになって初めて、蓄えができるといったあり様。
一方、私は武具なんていらないし、酒も飲まず、当然女も買わない。
金は貯まって行く一方だ。
……やっぱり逃げ出せないよね。
本当にやばくなるまで我慢して、貯めれるだけ貯める。
そして、それを元手に再出発だ。
ふふふ、見ていろ、今に成り上がってみせる。
そんな風に、野望を滾らせながら羽ペンを走らせている内に、どうやら最後の一人になっていた模様。
「記録! ヨイツ村のアベル、一〇〇シリカ!」
ようやく自室に帰れると、安堵の息を吐きながら羽ペンを走らせる。
もっとも、帰っても仕事が待っているのだけれど……。
ふと、『仕事が終わったら仕事だぜ』という、某仕事人の声が、聞こえたような気がした。……幻聴とか、本気でやばくないですか?
やっぱり、早期転職を検討すべきかしら?
そんな風に頭を悩ましながら、青空を仰ぎ見るのだった。




