6-12
時刻は、正午を一時間ばかり過ぎた頃。
王城の廊下を、一人歩く少年の姿があった。
少し鈍い金色の髪に、この国ではありふれた緑色の瞳。
身に纏う服は、華美ではないが、最上級の品質であることが窺える。
服の品質は、少年の身分を考えれば、当然であった。
何せその少年こそが、この国の王なのだから。
少年王カール三世はしかし、この城の主には、およそそぐわない、挙動不審な態度で廊下を歩く。
キョロキョロと左右に走る視線は、怪しい限りだ。
実はこの少年王、昼食後の授業をサボってここにいたのだ。
それが、挙動不審な態度の理由であった。
この年頃の子供にとって、必要と分かっていても、勉学とは厭わしいもの。
育ての母の授業ですら、億劫なのだ。
馴染みのない代理教師の授業など、もってのほかであった。
不意にカールは、足を止めて、前方をまじまじと見詰める。
前方から、自身に歩み寄る人影を認識したからだ。
途端に警戒心を高めるが、どうやらその人物が、自分を探し回っている女官ではないと、ほどなく気付く。
その人物は、男性であるようだ。
代理教師も男性だが、どうもその老教師でもなさそうである。
カールは、ほっと肩の力を抜く。
が、近づく男が誰であるかに気付いて、顔を顰める。眦をきつくした。
「これは、これはあ、陛下。ご機嫌麗しく……とは、いかないようですなあ」
粘つくような話し方。
その声の主は、血色の悪い痩身の軍人、レグーラ大将であった。
カールは、レグーラ大将が嫌いであった。
それというのも、彼の育ての母が、レグーラ大将と不仲であるのを、聞き知っていたからである。
「さて、ご機嫌麗しくないのは……ああ、確かこの時間は授業の筈。なるほど、なるほどぉ、授業を抜け出してしまいましたねぇ、陛下?」
「レグーラ大将、卿には関係ない」
カールは、つっけんどんな返事をする。
「そう突き放した言い方をされずとも。別に小官は、そのことで叱ったりしませんぞ。お気持ちは重々。こんな良い天気なら、勉学を放って、外へ飛び出したくなる気持ちも分かります」
そう言って、レグーラ大将は、光差す窓の向こうを見やる。
つられて、カールも窓の外を眺めた。
確かに、よく晴れ渡った、気持ちの良い天気である。
「そうですとも。叱るどころか、同情すらしましょう。哀れですなあ、陛下」
その言葉に、カールは、レグーラ大将の顔へと視線を戻す。
「哀れ? 余の何が哀れだというのだ?」
カールは訝しげに問い返す。
レグーラ大将の物言いが、およそ国王に対するものではなかったからだ。
にたあ、とレグーラ大将は気味悪く嗤った。
「本来、市井の子のように、あの日の下で存分に遊べたでしょうに。それが、こんな王城の奥深くに囚われ、自由を奪われる。哀れ以外の、何と言いましょうや」
「大将、何を言って……?」
カールが怪訝な表情をするのも気にせず、レグーラ大将は言葉を重ねる。
「摂政殿下も罪なことをなさる。縁も所縁もない子を玉座に縛り付け、御子は手許に置いて大切に慈しむ。ああ、なんとも酷い話ではないですか」
カールの頭の中で警鐘が鳴り響く。
これ以上、この話を聞いてはいけないと。すぐに踵を返すべきだと。
そのように、直感的に理解する。だが、レグーラ大将の毒気に当てられて、足が根を張ったように動かない。
そんなカールに、レグーラ大将は、口を動かしながら、一歩一歩、歩み寄る。
「おやあ、顔色が優れませんなあ、陛下? ……くくっ、敏い子だな、今の断片的な情報で、話の行く末を、ある程度想像したか? ほら、更なるヒントだ」
レグーラ大将の口調が、がらりと変化する。
途中から、気持ちの悪い敬語ではなくなっていた。
「テオドラ、あの娘は何だ? ただの小姓が、王と同じ席で伴に勉学を学ぶ? 一国の摂政手自ら? それに、あの魔女が見せる、小姓への愛情はどうだ。度を過ぎているだろう? 翻って、お前にはどうだ? 確かに気遣い、よく面倒を見ている。だが、他ならぬお前自身が感じたことがあるだろう? その瞳の中に、罪悪感の色が見え隠れするのを。どうだ、記憶を探れ、心当たりがある、違うか?」
畳み掛けるようなレグーラ大将の言葉の数々。
カールは目を白黒させる。頭の中を、疑問が暴風雨のようにかき回る。
そんな思考の海に溺れている内に、レグーラ大将にすぐ目の前まで歩み寄られていた。
カールはびくりと、体を震わせる。
――シズク! 内心で彼の庇護者の名を叫ぶ。
だが、彼の庇護者は、雫は、未だ遥か南の戦地にあった。
にたあ、と嗤うと、レグーラ大将は口調を再度改める。
「疑問の解は得られましたかな? さあ、陛下、答え合わせの時間です。小官が、真実をお教え進ぜましょう」
レグーラ大将は、体をかがめると、カールの耳元に自らの口を寄せる。
そして、直接毒を流し込んだ。
****
その女官は、はしたないと自覚しながらも、パタパタと、王城内を小走りして回る。
常にない行動の理由は、昼食以降姿を見せない、国王を探してのことだった。
前々から授業に身が入っていないと、気付いてはいたが……。
まさか、サポタージュをなさるとは。
そんな風に、女官は心中で溜息を吐く。
摂政である雫が不在の状況での、この国王の問題行動。
身の回りの世話を任された、女官たちの監督不行届といえる。
まさか雫も、この一事だけで、女官たちを処罰しないだろうが。
それでも、彼女の中で、女官たちへの心証が悪くなるのは避け得まい。
それを思うと、女官は気が重くなる。
遠き国から来たという魔女。
その怒りを買うことは、女官たちにとって恐ろしい事であった。
女官は角を曲がり、あまり人気のない区画へと繋がる廊下へと足を進める。
そうして、小さな後ろ姿を見つけた。
「あっ! 陛下、こんなところに! 陛下? 陛下!?」
女官は慌てて、廊下の中央に震えながら蹲るカールの下に駆け寄る。
「如何なされました? お加減でも……」
「――――」
「えっ?」
「……嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ」
顔面を蒼白にし、心ここに在らずといった具合に、うわ言を繰り返すカール。
「へ、陛下!? しっかりなさいませ! ッ、誰か! 一大事です! 誰か!」
声を張り上げながら、女官は傍らの少年王の小さな体を抱きしめる。
その腕の中で、雨雪に曝されたかのような震えは、止むことはなかった。




