6-4
王都、その四方を囲む城壁。
その南方の門外で、私は少年王と対峙していた。
目の前で、私を見上げるその幼い顔立ちは、拗ねたように頬が膨らんでいる。
私はその頬を突っついてやった。
「ほら、そんな顔をしない。ちゃんと良い子で留守番するのよ」
「シズク、余を子供扱いするな!」
いやいや、子供以外の何だって言うのよ、その態度は。
私の呆れたような視線に、苛立ったのかカールが口を尖らせる。
「むー、やっぱり納得いかん。何故、テオドラは良くて、余は、戦場に行ってはいけないのだ」
「何故って、言わなくても、本当は分かっているでしょう? 王様が軽々に王都を空けていいわけないでしょ」
「ぐっ。むむ……。しかし、ずるい。なら、テオドラも王都に残れば良いのだ」
そう言って、旅装に身を包んだテオドラを、カールはじろりと見る。
その視線に、後ろめたさからか、テオドラは下を向いてしまう。
私はクソガキの頭を掴むと、その視線を無理やり私に戻させる。
「こーら、女の子を睨まない。そんなことじゃ、将来もてないわよ」
「…………嫁ぎ遅れた女が何を」
「あ゛?」
「ぐぁっ! 痛い、痛い! 離せ、シズク……!」
カールの頭を握り潰さんと、右手に万力を込める。
気分は正に、トマトを握りつぶす様な感じである。
「ほら、シズク、その辺にして差し上げて下さい」
横からリリーの声が掛かる。ふん、絶妙な横槍に救われたわね。
優秀な女将軍に、感謝しなさい、クソガキ。
私はカールを解放してやる。
バッと、一歩後ろに跳び下がったカールは、頭を擦りながら、涙目でこちらを睨みつけて来る。
まあ、涙目では、いくら睨もうが、滑稽でしかないが。
「あのね、テオドラは私の小姓として、仕事で私の傍に侍るの。陛下の、物見遊山と一緒にしては駄目よ」
「も、物見遊山ではない。余も仕事……そう、前線視察だ」
「苦しい言い分。またもや、落第ね」
私の返しに、カールはふんと、そっぽを向いてしまう。
全く、反抗期の子供の扱いは面倒だわ。
少しは、素直なテオドラを見習ってくれないかしらね?
私は拗ねたお子様から、友人に視線を向ける。
「兵を貸してもらって、悪かったわね。恩に着るわ」
「いえ。……色々と気掛かりなこともありますし、これくらいの手助けなら」
リリーが厳しい表情を浮かべる。
色々気掛かり……ね。
ああ、その懸念は当然だ。レグーラ大将、奴が何を企んでいるのか?
真っ先に思い浮かぶのは……。
南方は、私に恨みを持つ者が多い。
そんな連中に接触して、私を襲撃するよう唆すとか……。
それくらい、平然とやってきそうだ。
罠かもしれない土地に飛び込むのだ。
準備は万端にしておきたい。
そのため、自前の魔杖部隊五〇〇〇に加え、リリーの第七軍からも、同じく五〇〇〇の兵を借り受けた。
合わせて一万。それが、私が率いる援軍の兵力となる。
「貴女には、無用の助言かもしれませんが。どうか、油断せぬよう」
「ありがとう。カールをお願いね、リリー」
リリーが無言で頷く。
私は踵を返すと、少し離れた場所で直立不動の姿勢で待つ、一万もの兵たちの元へと足を踏み出す。
「ッ、シズク! その、気を付けるのだぞ!」
まだ声変りもしてない幼い声音。
その高い声音に、私はびっくりして、反射的に振り返る。
声を発したカールは、頬を赤らめると、ぶつかった視線を逸らす。
そして、テオドラの方を見やる。
「て、テオドラも気を付けてな」
「はい! ありがとうございます、陛下!」
テオドラは明るい声でそのように返す。
それに比べ、私は先程、何一つ返すことが出来なかった。
……ふん、ガキの癖に、私に奇襲攻撃を成功させるなんてね。
まったく、生意気じゃないか。
私は口角が上がらぬよう気を付けながら、兵たちの下に向かった。
****
南方への行軍は、恙無く完了した。
大きなトラブルもなく、私率いる援軍は、南部方面軍の総司令部が設置されている、その地へと到着した。
総司令部は、最前線である国境線よりも後方に位置する。
そこは豊かな自然で有名な、南部有数の景勝地。
そう、懐かしのフィーネ離宮であった。
フィーネ離宮に到着した私たちを、数名の騎兵が出迎える。
その先頭の男の、生真面目そう表情を見て、私は内心苦笑する。
まったく、大将閣下自らの出迎えとは、変わらず律儀なことだ。
「援軍の派遣、礼を言わせて頂こう。摂政殿下」
「いいえ、礼には及びません、大将閣下」
なんて、型通りの挨拶を交わし合う。
その最中、ふと、ラザフォード大将の傍らの騎兵の顔が目に留まる。
大将をそのまま若くしたような、少年騎士。
つまり生真面目そうな顔だ。
年の頃は、カールよりも少し年上くらいだろうか?
その年で、この落ち着きようは尋常じゃない。
初見ではあるが、その素性を言い当てるのは容易い。
唯、それでも、一応の礼儀として、大将に問い掛ける。
「大将閣下、そちらの騎士殿は?」
「ああ。紹介しよう、私の倅のウェンだ。11になる」
「ウェンです。摂政殿下のご高名はかねがね。お会いでき、光栄です」
と、こちらも、馬鹿正直に型通りの挨拶をする。
英雄に会えた、そんな風に声を弾ませて言ったなら、まだ可愛げもあるが。
どこまでも、平坦な声音であった。
疑いようもない程に社交辞令。
蛙の子は蛙。つまりは、そういうことだろう。
「……殿下、そちらの令嬢をご紹介頂いても?」
尋ねられたなら、こちらも尋ね返さねば。
そんな強迫観念にでも駆られているのか、ラザフォード大将が、私の傍らのテオドラに水を向ける。
「私の小姓のテオドラです。テオドラ、閣下にご挨拶を」
「で、殿下の小姓を務めております、テオドラです。お見知りおきを」
そう言って、緊張した様子で頭を下げるテオドラ。
そして、数秒置いて、伏せていた顔を上げる。
ラザフォード大将は、頭を上げたテオドラの顔をまじまじと見詰める。
「あ、あの……」
「私の小姓が、どうかされましたか、閣下?」
テオドラの戸惑った声音に被せる様に、私はラザフォード大将に問い掛ける。
「……いや、聡明そうなお嬢さんだ」
「あら、お世辞でも、嬉しい言葉ですね。テオドラ、お礼を」
「はい。あの、ありがとうございます」
ラザフォード大将は無言で一つ頷く。
「さて、まずは離宮でお休み頂こう。倅に、案内させよう」
「ありがとうございます。唯、部屋は場所だけ聞けば。勝手知ったる離宮ですし、部屋で休む前に、寄りたい場所があるのです」
「相分かった。摂政殿下にとって、因縁深い地だ。思うところも多かろう。好きにされると良い」
「はい。エルマ! ケンプ准将! 兵らを頼みます!」
「「はっ! 承知しました!」」
魔杖部隊を率いるエルマと、第七軍から借り受けた部隊の指揮官、ケンプ准将に、兵らの事を丸投げする。
「テオドラ、私の供をなさい」
「はい」
私はテオドラを伴って、二人、フィーネ離宮の中へと足を進める。
「……変わらないわね、この離宮も」
「嘗ての解放戦争、その際、解放軍の本陣が置かれたのでしたね?」
「ええ、そうよ」
私はテオドラの問いに答えながら、左右にゆっくりと視線を移す。
そうしながら、静かに離宮内の廊下を歩いていく。
「あの、シズク様」
「なあに?」
「どちらに向かわれているか、お聞きしても?」
「……着けば分かるわ」
「あ、その、ごめんなさい」
私はテオドラの顔を見下ろす。
「別に怒ったわけではないの」
そう言って、テオドラの手を取る。
そして、手を繋いだまま、廊下を進んでいく。
等間隔に並ぶ窓からは、温かな日差しが射し込んできていた。
その日差しが、繋いだ手の温かさが、石造りの廊下の冷ややかさを、うんと和らげてくれる。
暫く無言のまま、歩を進める。
そうして、目的地についた。
「どう、テオドラ、この部屋は?」
「……美しいお部屋です。あの、シズク様、このお部屋は?」
テオドラが、私の顔を見上げて来る。
「この部屋は、私の旧友、アンネリーが使っていた部屋よ」
「アンネリー…様。陛下の御母上、太后陛下のことですね」
テオドラの確認に、私は頷く。
「そう。……あの窓辺の席で、いつも外を見ながら、子を宿したお腹を大切そうに撫でていたわ」
私はそっと瞳を伏せる。
瞼の裏にその姿が思い浮かぶ。美しい銀髪に、そして……。
「シズク様……」
気遣わしげ声音に、私は瞳を開ける。
そして見上げて来るテオドラと目を合わせる。
私は繋いでない方の手で、その金砂の髪を撫でてやる。
「ごめんね、疲れているわね。もう用意された部屋で休みましょうか」
「あの、私はまだ大丈夫です……」
「私が疲れたの。……お前は良い子ね。本当に良い子に育った。ねえ……」
私は部屋を後にする前に、最後にもう一度だけ窓辺の席を見る。
「さあ、行きましょうか、テオドラ」
「はい。シズク様」
そうして二人、手を繋いだまま、アンネリーの部屋を後にした。




