5-11
走る、走る、走る。
解放軍の快進撃は止まらない。
第六軍を撃破し、ついにその後方、首都近衛軍の戦列に喰らい付く。
ここまで来れば……!
「逆襲! フィーネ騎士団、強力な逆襲を受け、被害甚大! 団長のヴォルフ卿戦死の由!!」
そんな悲報が突然もたらされる。
「なっ……。ライナスッ!」
あのバカ! 何やってるんだ!!
第六軍は既になく、後は張り子の虎の首都近衛軍だけ!
この状況でどうやったら……。いや、待って。まさか……。
「逆襲部隊の規模はおよそ五千! 現在転進し、主力第七軍を窺う動きを見せています!」
五千の逆襲部隊。コンラートを討った分遣隊の数も五千。やはりそうか。
「藤堂さん……!」
クソ! 転進して第七軍を窺う動きですって?
逆にこちらの首を狩る気か! マズイ……。
絶妙なタイミングだ。思わぬ逆襲。完全に攻勢に意識が傾いてしまった、その間隙を突く一撃。
何も奇襲とは、敵から隠れての攻撃だけではない。
相手の虚を突ければ、それは奇襲足り得る。例え真正面からの攻撃でも。
マズイ。下手したら、本当にリリーの首を狩られかねない。そうなったら……!
「逆襲部隊の位置は!?」
「はっ! 現在第七軍のほぼ正面! 一時の方向! 我ら魔杖部隊から見て、十時の方向です!」
悲報をもたらした士官が、即答してくる。
的確な回答だ。確かこいつは、第七軍から引き抜いた士官だったかしら?
庶民からなる魔杖部隊。
魔杖のお陰で、即席の兵士となれる庶民たちだが……。
残念ながら、兵卒を取り纏める士官は即席とはいかない。
そのため、彼のように他の部隊から無理を言って、士官を引き抜いたのだ。
彼は第七軍、正規軍から引き抜いた士官。
その言は、十分信用できるでしょう。
さて、ならばどうする?
与えられた情報から、最適解を模索するべく頭を回転させる。
もっとも、思いついたのは、気乗りしない手だ。だけど、仕方ない……か。
「総員傾注! 全力で駆けよ! 進軍速度を上げる! 一気に敵逆襲部隊の真横まで突出するわよ!」
「なっ!? 危険です! 魔杖部隊だけでの突出は! 我らに近接戦闘の能力は……」
「止むを得ないわ。第七軍に突撃せんとする敵逆襲部隊の無防備な横腹に一斉射撃を見舞う! それしかない!」
「一斉射撃……。されど、逆襲部隊が目標を我らに切り替えたら……」
私はそんな懸念を口にする士官に、不敵に見えるだろう笑みを返す。
「そうなったら、これ以上ない上首尾ね。私たちが逆襲部隊を引き付けている間に、第七軍が敵に止めを刺せる!」
「囮になると?」
「ええ。ただし、玉砕する気はない。敵逆襲部隊を引き付けたら、一目散に逃げ出すわよ。私も死にたくないからね」
「……承知しました」
これで問題無いはず。
一斉射撃で、藤堂さんの部隊に損害を与え、その勢いを殺す。
まずは、それが第一。
……その後は、相手の動向次第だ。
私たちに構わず、あくまで第七軍を狙うようなら……。
その時は、再装填、射撃。再装填、射撃を繰り返し、第七軍を援護する。
もし、私たちに標的を切り替えれば……。
その時は、一目散に逃げ出す。
再装填の余裕はないでしょうしね。迎撃は不可能だ。
そうして、藤堂さんの部隊を引き付ける。
その隙に、第七軍にはハインリヒ王の首を狩ってもらうとしよう。
また、こちらを追いかけた後、もしも途中で主戦場を離れ過ぎるのを嫌い、引き返す様なら……。
その時は、こちらも逃げるのを止め、再度嫌がらせの様に付かず離れずの距離で射撃を繰り返す。
中々のハラスメント攻撃だ。我ながらいやらしい。
まあ、こちらも命を懸ける必要はあるけどね。
さてさて、どうなるやら。
囮になる私たちの心情はともかく、戦術上はこちらに引き付けれた方が良い。
その点、心配はいらないと思う。
中々無視できるような嫌がらせじゃないし。それに……。
自惚れていいなら、きっと私の存在を、藤堂さんは無視できないと思うのだ。
そう、私が藤堂さんを思う気持ちの、ほんの一欠けら程度なら、彼女も私に興味を抱いてくれていると思うから。
って、ダメダメ! 何を急に乙女みたいな思考してるかな。いや、乙女だけど。
私は思わず苦笑いを漏らす。
「魔女様?」
「何でもないわ、エルマ」
私はエルマの疑問の声に答えると、気持ちを切り替える。
大きく息を吸い込んだ。そして、大声で激を飛ばす。
「走れ、走れ、走れ! 走るのが兵隊の一番の仕事よ!」
そんな何処かで聞いたような台詞を叫ぶ。
魔杖部隊から鬨の声が上がった。
交差する二本杖の軍旗を翻しながら、単独突出していく。そして――。
「見えた! あの部隊ね!」
目標となる藤堂さんの部隊を見つける。
一目見て、他の近衛兵たちとは一線を画する空気を纏った兵たちの姿。
そんな彼らが、今まさに第七軍に強襲をかけようとしている。
ッ、させない!
「総員射撃態勢に入れ! 目標、敵逆襲部隊!」
藤堂さんの部隊を指差しながら叫ぶ。
それを受け、各士官たちが魔杖兵たちに横列をとらせていく。
ほどなくして二列の細長い横列が形成される。
前列は膝を付き魔杖を構える。後列は立射の姿勢だ。
「撃て!!」
一斉射撃の命令を下す。
一拍置いて、パンパンパンパンと、魔杖が火を噴いていく。
いくらかの効果があったのか、バタバタバタと、何人もの兵が倒れていく。
正確な戦果は不明だ。
しかし、少なくとも藤堂さんの部隊の足は止めた。さあ、どうくる?
数秒間沈黙する藤堂さんの部隊。
ごくりと、生唾を飲みながら、その動向を注視する。
ひりつくような緊張感。どっちだ、どっちに来る? ……ッ、こっちに来るか!
「総員撤退! 撤退! 東に逃げなさい! そう、あの森の中に逃げ込むわよ!」
藤堂さんの部隊がこちらに駆けるのを見るや、撤退命令を下す。
目標は戦場の東外れにある森。あそこまで逃げ切れれば……。
後は地形を活かして、滅茶苦茶に逃げればなんとかなると思う。
統率された部隊行動は望めないけどね。
でも、一番厄介な敵部隊を受け持つわけだから。
ここでドロップアウトしても十二分の働きでしょう。
後は任せたわ、リリー。なんて、勝手に丸投げなんかしてみる。
走る、走る、走る。生き残るために走る。
少しでも足を止めれば、赤い死神に追いつかれる。逃げろ、逃げろ、逃げろ!
魔杖部隊のほとんどの兵は歩兵だ。
私は馬上から兵らを振り返る。その速度が余りにもどかしい。
このままじゃあ……!
徐々に、徐々に距離を詰め、迫ってくる藤堂さんの部隊。
その姿を見ていると、嫌でも悪い予想が頭につく。
そして往々にして、悪い予想は、良い予想よりも現実になってしまうものだ。
戦場の東外れにある森。その直前で、魔杖部隊の後方部隊がついに噛みつかれた。
上がる悲鳴。
無防備な背中をさらしているわけだから、こちらが一方的にやられていく。
マズイな……。この段階で噛みつかれているようじゃ、森に逃げ込んでも……。
最悪、敵味方入り混じった状態で森に突入なんてことになりかねない。
いくら地形を利用しても、そんな状況から上手く逃げ出せるものかしら?
……厳しいか。仕方ないわね。
「……エルマ」
「はっ! 何でしょう、魔女様?」
「貴女たち護衛部隊は、現刻を以て本隊から離脱しなさい」
「は? それはどういう……」
「貴女たちに、頼みたいことがあるの」
私はそう言って、エルマを手招きする。
そうして、彼女の耳元で頼みごとを囁いた。
****
手綱を離すと馬からひょいと降りる。
よいしょと、小脇に抱えていた魔杖を両手に持ち直した。
離脱するエルマから借り受けた物だ。
自前の魔杖は、鞍の上に置いている鞄に横向きに差している。
その鞄も鞍から下ろすと、背中に背負う。
連射性の効かない武器だ。複数本持てるなら持っておいた方がいい。
もっとも、流石にもう一本持つのは大変なので、二本に留めておいたわけだが。
私は手早く装備を整えると、前を見据える。
ここからは何の整備もされていない森の中。馬で進むのは難しい。
そのため、馬を捨てて、ここからは徒歩となる。
現状は、私たち先頭部隊が森の中に。
中央がやっと森の入り口に差し掛かったところ。
だが、後方部隊はおろか、この中央の部隊すら、既に敵に捕捉されつつある。
……急がないとね。
ガサ、ガサ、と地面を覆う落ち葉を踏みしめながら進む。
見上げる木々の枝には、辛うじて残った葉が寂しげに風を受けて揺れている。
それも、ちょっと強い風が吹けば、地面へと落ちてしまうのだろう。
木枯らしとは上手く言ったものね。
そんな風に先人の言語センスに感心する。
進む、進む、進む。背後から聞こえる断末魔に急き立てられるように。
そうして、進むこと暫し。
部隊の先頭を行く私は足を止めた。……そろそろ良い頃合いかしらね。
「魔女様?」
「射撃準備に移りなさい」
そのように、周囲の魔杖兵に声を掛ける。
「射撃準備? どういうことですか?」
「目標、直上。空に向かって一斉射撃」
そう言って、私は手に持つ魔杖の杖先を空に向ける。
困惑しながらも、周囲の魔杖兵も私に倣う。
「撃て」
言葉短く下命すると、自身の魔杖に火縄を押し付ける。
十数本の魔杖の重なる音が鳴り響いた。
そうして、魔杖をゆっくりと下ろす。
さて、合図の音は、エルマたちに聞こえたかしら?
「あの、魔女様?」
困惑した問いかけを、私は黙殺する。
そうして、その時を待つ。待ち望む。全てを染め上げる赤色を。
……5分……10分。……きたか!
私はニヤリと笑う。
最初の兆候は、森の方々から上がる黒煙。
断末魔の叫びはもう聞こえない。
代わりに森の中に響くのは、漣のようなざわめき。
次第に立ち昇る黒煙の量が増える。
そしてついに、木々を染める赤色が顔を覗かせた。
赤く、紅く、熱量を以て迫るその鮮やかな色彩。
漣のようなざわめきは、狂騒へと変わる。
その原初の色彩の前に、最早敵も味方もない。
燃え盛る炎、それに飲み込まれれば一溜りもないのだから。
誰もが我先にと逃げ惑う。きっとそうだろう。
見なくても、その情景を想像するのは容易い。
これで戦いどころではなくなった。追撃の心配も当然ない。後は……。
後は、私が生還するだけ。
味方の兵が皆助かってくれなんて、そんな贅沢は言わないわ。
敵諸共燃えてしまえばいい。
この混乱の中、私一人が助かりさえすれば、それだけでいいのよ。
私は醜悪な笑みを浮かべたのだった。




