5-7
瀟洒なキセルと、素敵なお薬。
このハッピーセットが大いに人気を博している今日この頃。
何とも有難いことだ。お陰様で懐が温かい。
地下牢での実験を経て、例のお薬を各地にばら撒き始めた。
売上は上々である。
流石に根拠地であるウィッラ領と、最大の後方基地であるリーブラが、中毒者だらけになっても困るので、こちらでの販売は自粛している。
しかし、それ以外の場所では遠慮なく売り捌いていた。
足が付かないよう、いくつものルートを経由しての販売。
中間マージンが鬱陶しいが、これは致し方ない。
まあ、金持ち喧嘩せずとも言いますし、少々のことは我慢しましょう。
ちなみに最大の売先は、ラティオ共和国だ。
闇商人を介して、火薬を購入し、お薬を売る。
お茶っ葉を欲して、阿片を売り捌いた英国紳士の如く、国家間を股にかける大規模な交易ルートと相成っている。
それもこれも、ワトソン君の大手柄のお陰だ。
奴め、意外とやりおる。
ルートの確立もそうだが、知らぬ内に共和国に自身の商会を立ち上げてやがる。
勿論、日の光の当らないような仕事ばかりする商会だ。
商会というより、ヤクザかマフィアという言葉の方が正確かもしれない。
そして、ワトソン君はそこのボスというわけだ。
なんともはや。部下の出世は嬉しい限りだ。うん、嬉しいねえ。
後で、個人的にお金を集りに行かねばなるまい。
着々と大軍団の戦準備が整っている。
睨み合いを続けたまま、越冬することになるのではと危惧していたのだが……。
この調子だと、冬が来る前に決戦を挑めると思う。
秋も深まりつつある現状。短期決戦が望ましい。
準備を終えた大軍を以て、前面の敵を打ち破る。
先の南部地域での戦いでは、レグーラ大将に見事にいなされたが……。
今度はそうもいくまい。
王国軍はこれ以上の後退は許容できないだろう。
致し方ない、むしろ賢明な判断だったとはいえ、南部一帯から後退したことで、南部貴族たちを解放軍に帰順させてしまったという事実がある。
ここで後退すれば、再び同じことが起こり得る。
ならば、後退は自らの首を絞める行為に他ならない。
彼らは、意地でも現在の前線を維持しようと考えるだろう。
即ち、こちらの思惑通り決戦と相成るわけだ。
ただ、決戦に際して気掛かりなのは、未だ戻らぬ第二軍と第五軍の二軍。
いやに遅くないだろうか?
共和国軍との戦いの後、いくらかの被害が出たのは間違いない。
その補充と再編に時間を取られている?
……やはりおかしい。そこまで時間がかかるとも思えない。
連中、一体何をたくらんでいる?
****
城壁の外に二万を超える軍団が一糸乱れぬ陣形を保つ。
誰もが直立不動の姿勢を取り、小揺るぎもしない。
そんな兵らを背に、二人の人物が並んで立つ。
一人は齢四六歳になる中年の男。小太りの体型で、気弱そうな顔立ち。緊張のためか額に汗をかいている。
隣に立つのは、未だ二十にも満たぬ女。少女らしい華奢な体躯に、自身に溢れた端麗な容姿。緊張とは無縁なのか、涼しげな顔をしている。
対照的な二人だが、この二人こそが背にする軍団のトップに立つ二人。
中年の男が、第六軍軍団長を務めるレグーラ大将。
少女が、王から派遣された軍監であり、首都近衛軍分遣隊の指揮官でもある朱であった。
この二人、引いては背後に整列する兵らが、何故雁首揃えて立っているのかというと、それは、援軍の出迎えのためであった。
ただ、余りに仰々しすぎる出迎え。さて、一体何者を出迎えようというのか?
共和国軍を迎撃するため離脱した第二、第五軍が戻ってきたのだろうか?
それも間違いではない。確かに、第二、第五軍も戻ってきた。
ただ、同格の大将を出迎えるため、レグーラ大将がここまでの礼を尽くす必要などあろうか?
当然答えは否だ。
これは、明らかに格上の人物への出迎えに他ならない。
そして、七将家の当主より明確に格上とされる立場の人間など一人しかいなかった。
レグーラ大将の視線は一点に吸い寄せられる。
近づいてくる大軍団、その中央に堂々と掲げられた一際大きな軍旗へ。
薔薇を象った紋章が刺繍された、その御旗へと。
――まさか、本当に。
レグーラ大将は、心中で呟く。
実際にその目で見ても俄かには信じ難かった。
そうまさか、前線でこの御旗を見ることになろうとは。
これを企てたのは、当然ながらレグーラ大将の隣に立つ朱だ。
良くも悪くも常識人であるレグーラ大将からすれば、何とも不気味で恐ろしい少女。
そんな彼女の発想は、レグーラ大将が想像だにしないものだった。
南部貴族を吸収し、その規模を拡大させた解放軍。
兵数では正規軍三軍を大幅に上回る兵力となってしまった。
正規軍より錬度で劣るとはいえ、数の暴力は油断ならない。
必勝を期するには、この兵数差を埋める必要があった。
しかし、他の正規軍は動けない。
この国内の騒乱に揺れるマグナ王国の隙を、虎視眈々と周辺諸国が窺っている。
第一軍は北のグラキエス王国の抑えに、第三軍は東のフレイル王国の抑え。
第四軍は既に壊滅し、第七軍に至っては敵軍の主力となってしまった。
そして、貴族の私兵軍は信用ならぬ。
どう足掻いても、現有戦力のみでの戦いが強いられる。
レグーラ大将はそう思ったのだ。
だが、朱は違った。
彼女は至極当然とばかりに、遊んでいる中央の兵を呼べばいいと言う。
レグーラ大将は、その言に反対した。
既に五千もの兵を首都近衛軍から割いているのだ。
これ以上引き抜けば、王の身辺が手薄な状態となる。
王都、あるいは、その周辺の貴族が解放軍に迎合すればどうするのか?
手薄となった王都は瞬く間に陥落し、ハインリヒ王の首が獲られてしまう。
そうなれば、こちらの敗北だ。
故に、王の身を危険に晒すわけにはいかぬ。
だからこそ、王の周囲を手薄に出来ないと反論した。
レグーラ大将にとって、なけなしの勇気を振り絞った反論である。だが……。
それを聞いた朱は一瞬キョトンとした後、普通の娘のように軽やかな笑い声を上げた。
そうして、意味も分からず狼狽するレグーラ大将に笑い交じりにこう言ったのだ。
――『王の周りを八万に及ぶ兵が固めるのに。これを手薄とは……。レグーラ大将は可笑しなことを言いますね』、と。
一人の若者が馬上からレグーラ大将を見下ろす。
レグーラ大将はでっぷりとした腹を押しつぶしながら腰を曲げる。
深々と下げた頭に、馬上の若者の声が落ちる。
「出迎え大義であったな、レグーラ大将」
「め、滅相も御座いません。むしろ臣こそ、ふ、不甲斐ないばかりに、陛下御自らの御出馬と相成りまして……」
「よい。卿らは良く働いている。謝罪は不要だ。そうであろう、アカネ?」
騎乗の若者は、自らが派遣した軍監である朱へと問い掛ける。
「はい。レグーラ大将は、敵軍に大きく劣る兵数で良く我慢したと思いますよ」
「だ、そうだ。余は軍監の言葉を信じるとしよう。余は、苦労した将兵の為、骨を折るのを厭いはしない。……まあ、正直呼び出された時は驚いたがな」
騎乗の若者は苦笑する。
「折角のお祭りですもの。王城に引っ込んで参加されぬは退屈と思い、ご招待させてもらいましたが……。ご迷惑でしたか?」
朱が小首を傾げる。
彼女の言葉に、レグーラ大将はビクリと体を揺らす。
その額の汗は、中々止まりそうにない。
「いや、心躍るようだ。よくぞ招待してくれた」
「なら、良かったです」
レグーラ大将の心情とは裏腹に、和やかに話す二人。
そんな三人の姿を、奇妙なものを見るように兵たちが黙って見つめる。
その兵たちの数は、およそ八万にも及んだ。
第二、第五、第六、そして首都近衛軍。正規軍四軍が前線へと集結したのだ。
王国軍は、解放軍との決戦の為、一枚の切り札を切った。
そう、国王親征という切り札を。




