4-15
ズカズカと廊下を歩く。
後ろに困惑した様子の少女を連れながら。
「シズク、説明して下さい。一体何用ですか?」
抗議の声が上がる。
まあ、何の説明もないまま急に腕を取って歩き出せば、誰でも彼女のような反応を返すだろう。
だが、素直に答えて上げるほど、私は親切な性格をしてはいない。
「二度手間よ。後でまとめて説明してあげるわ、リリー」
それだけを言うや、前を向いて歩き出す。
ハア、とリリーが溜息を吐いた。
「分かりました。いえ、何も分かってはいませんが……。ともかく、貴女の後ろをちゃんとついて行きますので、取り敢えず手を放してくれませんか?」
「そうね……」
チラリと、掴んだリリーの腕を一瞥すると、彼女の腕を解放してやる。
そうして、また前を向いて歩いていく。
会話なく歩くこと暫し、目的の部屋に到着する。
そしてノックも無しに、蹴破るような勢いで扉を開けた。
「はーい、ライナス。ご機嫌如何?」
カーテンの閉め切った薄暗い部屋の中、椅子に力なく腰掛ける部屋の主。
その暗く淀んだ瞳が、驚きに丸くなる。
「なっ……シズク、お前…………」
何かを言おうとして、結局言葉にならぬライナス。
「あらあら、湿気た顔してるわね。まだまだ仕事が山ほどあるのに……。そんなザマじゃ、困ったものね」
「仕事? ふざけているのか? それとも現実逃避か?」
「うん? マグナ軍との戦いに備えて、仕事が山積みなのは当然でしょう?」
私は、心底分からないといった風情に首を傾げてみせる。
「……現実逃避の方か。いや、現実が見えていないのか? 戦いは終わったんだ。我らの大義の拠り所である殿下を失ったことで」
「いーや、終わらない。大義が失われた? なら、新しい大義を用意してやればいい」
「何を言って……?」
ライナスが、そして傍で聞いているリリーもまた、その表情に疑問符を張り付ける。
その疑問を晴らすべく、私は懐から一通の手紙を取り出す。
共和国軍との随行中、リーブラから届いたその手紙を。
「この戦における大義、即ち我らが推戴すべきマグナ王家の正統なる後継者、それは未だ残されている。そう、アンネリーの胎の中に」
そう言って、アンネリーの手紙を高々と掲げて見せた。
共和国軍に随行中、私を驚かせたその手紙の中身とは、アンネリーの懐妊の知らせを記したものであった。
「殿下の御子……」
「それならば! いや、しかし……」
ライナスは呆然と呟き、リリーは何事かを口籠る。
私は、そんなリリーに水を向けてやる。
「しかし? しかし…何かしら、リリー?」
「それは……。まだ生まれてもいない御子では流石に……」
「ええ、弱いわね」
私はリリーの言葉に同意する。
相手は簒奪者とはいえ、既に玉座に座る王。対して、まだ生まれてもいない胎児では、対抗馬として弱い。弱過ぎる。
それでは、マグナ国内の諸勢力を振り向かせるに足りない。
「だからこそ、マグナ国内の諸勢力に訴えかけるインパクトがいるわ。その手法は既に考えてある」
「それは一体?」
リリーの疑問に対する解答を口にする。一つの冴えた答えを。
「戴冠式を執り行うの」
「戴冠式? 御子が生まれるのを待ってでしょうか?」
抜けたことを言うのね、リリーは。それでは遅きに失する。
「それでは遅すぎるわ。すぐにでも執り行うのよ」
私はそう断言する。
「馬鹿げている! まだ生まれてもいない胎児に戴冠? 何の冗談だ!」
それまで呆然としていたライナスが、声を荒げて噛みついてくる。
五月蠅いなぁ。それにしても、ライナスはトコトン常識人だこと。
主君だったコンラートとは大違いだ。
「問題無いわ、ライナス。産前戴冠には前例があるの。それも良い前例がね」
「前例? そんなもの聞いたこともないぞ!」
「でしょうね。私の故郷の話だし。大昔、産前戴冠した王様がいるの。戴冠式は、母親の腹の上に冠を置くことで対処したそうよ。長い在位中、名君と呼んで差支えの無い業績を上げられた王様なの。良い験担ぎになるわね」
嘘ではない。ササン朝ペルシアの王、シャープール二世のことだ。
彼は、まだ母親の腹の中にある時に戴冠した。
しかも、既に誕生している三人の兄王子を差し置いての産前戴冠という、ウルトラE難度の離れ業である。
当時の人々が何を考えたか、甚だ疑問だ。
何せ、三人の兄王子の内、長男を殺し、二男の目を潰し、三男を幽閉した上での産前戴冠の強行である。
常軌を逸しているにも程があるというもの。
だが、摩訶不思議なことに、それで万事上手くいってしまうのである。
謎だ。本当に謎だ。
まあ、謎だけど……。
それで上手くいくなら、我々も真似させてもらうとしよう。
「……狂気の沙汰だ。アカネといい、シズクといい、お前の国にまともな人間はいないのか?」
ライナスが何とも失礼な言葉を吐く。
「ふん、なら聞かせてもらいますけどね。常識に囚われたまま破滅する方が御望みなわけ?」
「そうではない。ただ、お前の奇天烈な手段で人心を得られるとは思えないだけだ」
まあ、それは確かに。
残念ながら民衆というのは保守的で、伝統や常識に囚われた者ばかりだ。
「……当然の危惧ね。だけど、甘んじて破滅を受け入れるよりも、博打でも足掻いてみせるべきではないかしら?」
「その結果、無駄に戦火を長引かせても?」
厳しい目付きでこちらを見据えて来るライナス。
私はその視線を受け流しながら、軽々しく答えてみせる。
「そんなの、些末な事よ。私にとって、そして貴方にとってもね、ライナス」
「……俺にとっては些末な事ではない」
怒りを押し殺したようなライナスの声。
そのくぐもった声を否定してやる。
「いいえ。貴方にとっても些末な事よ。そう、コンラートの遺志に比ぶれば」
「殿下の御遺志?」
「ええ。今語った事はコンラートも承知の事よ。コンラートは言ったわ、ハインリヒ王に負けたくないと。勝つためなら、どんな手段をも許すとね」
「殿下がそのような……」
ここにきて、ライナスの声に動揺が混じった。
私はライナスに向き直る。
「ライナス・ヴォルフ、卿は亡き主君の遺命に背くつもりなのか?」
厳かな声音で、ライナスにそのように問いただした。
「……それが、殿下の御命令ならば……是非も無い」
ついにライナスが折れた。
よし、頑固者の説得は完了っと。後は……。
私はくるりとリリーの方に向き直る。
「貴女はどう? 破滅を避けるため、一緒に足掻いてくれるわよね?」
「……ハア、乗りかかった船です。今更脱出なんて……出来ませんよね?」
未練がましく、そんなことを言うリリー。
「勿論。当船は、途中下船をお断りしております」
「でしょうね。仕方ありません。魔女の行う狂った賭け事に、私も一枚噛ませてもらいましょう」
リリーは諦めたように力なく笑う。
むう、おかしい。何故こうも二人とも抵抗を感じているのだろう?
そりゃ、常軌を逸しているという自覚はあるけれど……。
座して破滅を待つより、よっぽどいいに決まっているのにね。
「では、二人とも承諾ということね? まだ何か疑問点は無い?」
「疑問点……あっ!」
何かを思い当たったというように、声を上げるリリー。
「何かしら?」
「いえ……その、生まれてくる御子が女児ならどうなるのでしょう? 法に則れば、女王の即位は認められておりませんが……」
ああ、何だ。そんなことか。
「問題無いわ。別の男児と取り替えればいい」
弾かれたようにライナスが声を上げる。
「なっ! それではマグナ王家の血筋が……!」
「途絶えない。取り替えた男児が成人したのちに、本当の子供を妃に据えればいいだけよ」
私は予め用意していた答えを返す。
完璧な解答の筈なのに、ライナスの表情は優れない。
それどころか、もう限界と言わんばかりに頭を抱え出す始末。
本当に、これだから常識人は。内心溜息を吐く。
やれやれだ。
私は空気を変えるため、パンパンと手を打ち鳴らす。
「さて、リリーの疑問への答えは以上。問題無いわね? 他には何か? ……何もないなら、私からも聞きたいことがあるわ」
「……何でしょう?」
おっかなびっくりといった風情で、リリーが問い返してくる。
ライナスは無言のまま視線だけをよこす。
「子供の名前は何がいいかしら? 戴冠式の折に名前が無いではまずいでしょう?」
「ああ……」
リリーとライナスの二人が、それがあったかと納得顔を浮かべる。
「その……私たちが勝手に決めてしまっても?」
「うーん、大丈夫じゃない? アンネリーが反対するようなら、その時また考えればいいだけよ」
「はあ……」
「で? 何か良い名はない?」
「……伝統に則れば、過去の偉大なマグナ王と同じ御名前を付けるべきだろう」
ああ、〇〇何世って、そんな名前ね。
面白味は無いけれど、まあ無難な名付けかしら?
「……カールはどうでしょう?」
「カール?」
恐る恐るといったように呟いたリリーの発言。
彼女が出した名前を鸚鵡返しする。
「はい。カール一世陛下は、今から百五十年ほど前、マグナ王国が大変な国難に瀕した際に国を立て直した御方です。その業績を称えて、マグナ王国中興の祖と呼ばれる名君。その御名にあやからせて頂いてはどうでしょう?」
なるほど、国難で乱れた国を立て直した中興の祖……か。
うん、いいね。今のマグナ王国も王家の正統を巡り争うという国難に瀕しているといってよい。
その争いを収める、新国王の名に相応しいのではないだろうか?
「私は良いと思うけれど……。ライナスは?」
「俺も文句はない。後はアンネリー様が納得されるかどうかだが……。説得はお前がしろ、シズク」
「えっ! 私がするの?」
ライナスとリリーが、当たり前だろうという視線をよこしてくる。
うへー、面倒臭い。
そもそもコンラートの死を知ったら、あの娘、滅茶苦茶取り乱しそう。
その宥め役も私? うわー。マジか。マジだな。うわー。
あまりの前途多難さに、私もまた頭を抱えることになった。
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神聖歴七三六年、蒼蝶の月
ウィッラ領での戦いにて、悲運の王太子コンラート戦死する。
解放軍は旗頭を失い、瓦解するかと思われた。
しかし、古今東西類を見ない産前戴冠という、仰天動地のパフォーマンスを行うことで、その求心力を維持することに成功する。
以降、解放軍は、まだ王母アンネリーの腹の中にいるカール三世を名目上の総司令官に据える。
事実上の総指揮は、リリー・ギュンター大将が副司令として揮り、それを遠国の魔女シズクが総参謀長として支える新体制が築かれた。
また、シズクの計らいにより、引き続きアルルニア諸侯との協力関係を維持することにも成功する。
シズクは飴と鞭によってアルルニア諸侯を手玉に取ると共に、彼らが一致団結して反発することを避けるため、諸侯間の結束が固まらないよう腐心した。
具体的には、ある諸侯を厚遇する一方、別の諸侯は冷遇するといった、諸侯たちに対して一貫しないバラバラの待遇を示した。
その結果、アルルニア諸侯たちが団結することは終ぞ起こり得なかったのである。
こうして新生解放軍は、コンラート亡き後も解放戦争を継続していくことを可能としたのである。




