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【書籍化】魔女軍師シズク  作者: 入月英一@書籍化
二章

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20/88

2-3

 壁際に等間隔に設置された灯りが、廊下を薄暗く照らし出す。

 私はその廊下を、背後に護衛を従え歩いていく。


 酩酊し、ぼんやりとした頭と火照った体。また、食べ物と何よりたらふく飲んだワインのせいで重たくなった腹。

 それらのせいで足取りはひどく悪い。


 今夜開かれた大掛かりな酒宴の帰りであった。辺境伯府の大広間から自室への距離が、ずいぶんと遠く感じられる。


「閣下、大丈夫ですか?」


 背後を歩く護衛の男が心配げに声をかけてくる。


「大丈夫とは言い難いな。……全く、折角の銘酒が台無しというものだ」


 体調の悪さからくる苛立ち。腹立ち紛れに、そのように零す。

 もっとも、その悪態はまさしく、私の本音ではあったが。


 私は主催者として、今宵の酒宴に相応しい銘酒の数々を手配した。

 しかし、それらをよく味わえたのは最初ばかり。

 次から次へと、列席者たちから酒を勧められ、途中から味など分からなくなってしまった。

 こうなってしまっては、銘酒も安酒も同じである。


 だが、多少の体調不良を我慢してでも開かざるを得ぬ宴であった。

 ようは、辺境伯としての仕事の一環のようなもの。

 なれば、文句を言っても仕方がない。



 昨日、諸侯たちの軍勢、その全てがついにリーブラへと集結した。

 

 今宵の宴は、その諸侯と諸侯軍の高級武官たちを招いたものである。

 今後の協力を誓い合い、互いの武運を祈る、親善のための酒宴。そして同時に、我が辺境伯家の財力を誇示するための酒宴でもあった。


 列席者たちには、これでもかと豪華絢爛な食事と酒を供した。

 また、リーブラですら収容しきれず、都市の周囲で野営する軍団の兵らにも、食事と酒が振る舞われた。


 誰の目にも、辺境伯家の威光と、この戦いの本当の主役が誰であるかが、明らかになったことであろう。


 それを思うと、少しばかり気分も向上してくる。


 努めて、気分が良くなるよう、思考を繰り返すこと暫し。ようやく自室の前に辿り着いた。


「ここまででよい。下がれ」

「はっ」


 護衛の男は、深々と一礼すると私の傍から離れていく。

 もっとも、完全に護衛の任から外れるわけではない。この部屋まで通じる各廊下、そこに待機する衛兵たちの中に合流し、警備に当たるのだ。


 

 扉を開け、無人の自室へと入る。そして上着を脱ぎ捨てると、真っ直ぐに寝台へと向かった。

 服を着替えることもなく、寝台に体を投げる。


 瞼が重い。瞬く間に意識は淀み、泥のような眠りへと誘われた。




 あまりの苦しさに目が覚める。――何だ、これは!?


 圧迫するような腹痛。酷い発熱。苦しみに喘ぐ口元には、過剰に唾液が分泌される。次いで、今まで経験したことがないような嘔吐感。

 ッ、どう考えても、尋常な事態ではない!


 寝台から立ち上がろうと、床に足をつける。

 しかし、立ち上がることができず、無様に床の上へと倒れ込む。その原因は明らかだ。手足が痙攣を起こし、まともに力を込めることができないのだ。


 ――まさか……。確信に近い、疑念が頭を過る。


 助けを呼ぼうと、声を張り上げた。いや、張り上げたつもりであった。

 しかし、口から出るそれは、あまりにか細い。


 馬鹿な! これから、これからだというのに!


 痙攣した手足で、這いずりながら扉を、部屋の外を目指す。

 しかし、遅々として進まず、扉までの距離は無情なまでに遠い。


 混濁していく意識。その中で心中は、絶望へと黒く塗りつぶされていった。



****



 気持ちの良い風が木の葉を揺らす。その葉々の間を、燦々と降り注ぐ朝日が、細長くすり抜けてくる。

 木漏れ日を浴びて、私は馬をゆっくりと進ませていた。


「ずいぶん良くなりましたわね、シズク」

「アンネリーのおかげよ。お礼を言わないとね」

「この程度、礼など不要ですわ。私たちは友人なのですから」


 私と同じく、馬上の人となったアンネリーが親しげに声を掛けてくる。

 二人の間に穏やかな空気が流れていた。


 

 私はここ数日、早朝にアンネリーから馬の乗り方を教わっていた。

 それというのも、ある日の二人だけの茶会で、遠乗りの話題が出たのだが、その際、私が馬に乗れないという事実を、アンネリーが知ったのだ。


 仮にも軍人、しかも、最早一兵卒とは言えない私が馬に乗れないという事実。

 それは大問題だと、アンネリーが自ら、教練役を申し出てきたのだ。


 流石に、辺境伯家の御令嬢に頼むことではないと固辞したのだが……。

 アンネリーは、私たちは友人だからと嬉しげに言い張ると、こちらの言に耳を貸さず、毎朝の日課と相成ったわけだ。


 もしかしてこの娘、私以外友達がいないのでは、などと思ったのは秘密である。



「それでは後少し……「お嬢様! アンネリーお嬢様!」」


 アンネリーの発言を、遠くから声を掛けてきた男が遮る。

 

 アンネリーが眉を潜めて、その男に視線をやった。見覚えのある男だ。彼は確か……辺境伯家に仕える家令であったと思う。


「何事です、セバス。そのように慌てて……」

「お嬢様! 旦那様が、旦那様が……!」

「――? お父様が、いったいどうしたというのです?」


 訝しげな表情を浮かべるアンネリー。家令、セバスは、そんな彼女の傍に寄ると、耳元で何事かを囁いた。

 見る見る内に血の気が引いていく、アンネリーの表情。


 アンネリーは唐突に乗騎を翻すと、辺境伯府の方へと駆けさせていった。

 セバスもそんな彼女の後に続く。

 そして、私一人だけが、この場に取り残されてしまった。


 ……追いかけようにも、まだまだ初心者の私では追いつけないでしょうね。

 仕方なく、遠ざかる二騎の背中を見送った。


 それにしても、あの様子だと、メデス辺境伯の死体が見つかったようね。

 誰も見ていないのをよいことに、私は歪んだ笑みを浮かべる。


 どうやら、目論見通り、上首尾に終わったようだ。

 これで、全てが上手く回り出す。



 邪魔者を葬り去るのに採用したのは、古典的な手法――毒殺である。


 ありふれた手法と馬鹿にする勿れ。大昔から、暗殺に毒が多用されてきたのは、故無きことではないのである。


 毒殺のメリット、その一つ目は、飲食物に混入するだけでよいという安易さ。

 無論、毒を入れる場面を押えられたり、毒見などに阻まれる危険性はある。しかし、それも上手く機会を窺えば、回避することは難しくはない。


 二つ目に、犯人の隠匿性である。

 特殊な環境下でなければ、不特定多数に毒を混入する機会はある。犯人を特定することは困難を極めるだろう。

 殊更に、貴族のような利害関係が複雑に絡み合う間柄であれば、尚のこと。


 三つ目は、そもそも毒殺であるか否かが、不確かなケースも珍しくないこと。

 突然死をしたからといって、それが毒死なのか、自然死なのか判明しない場合も珍しくない。

 そう、現代と違って、法医学も発達してない中世では、死因を明確にすることは困難なことである。



 今回用いた毒は、『愚者の毒』の異名で知られるヒ素。

 その異名の由来は、簡単に死体から検出することのできる毒であるため、毒殺であることが一目瞭然になってしまうからだ。

 しかし、その検出方法が確立されたのは、私の世界で一九世紀のこと。


 それ以前は、愚者どころか、むしろ賢者の毒であった。


 その有効性から、歴史上幾度となく暗殺に用いられてきた。

 有名どころでは、かのボルジア家が政敵を葬り続けた毒入りワインの中身、カンタレラもまた、ヒ素が主な材料だったとか。


 ヒ素が毒殺に多用された理由は、まず、無色かつ無味無臭であること。

 その性質から、容易に、目標に毒を飲ませることが出来る。


 もう一つは、毒の量を調節することで、目標が死ぬまでの時間を巧妙にずらすことができたこと。一日でも、一ヶ月でも、一年がかりでも。


 無論、少量の毒を盛り続け、長期間かけて殺した方が、より自然死に見せかけることができる。

 もっとも、今回は残念ながら、そんな悠長に事を構えていられないので、辺境伯にはさっくりと退場して頂いたわけだが……。


 それ故に、毒殺の疑いは必ず出てくる。

 そして、私の描く今後の流れから、コンラートに最も疑惑の目が向くことだろう。


 しかし、この世界の医学では、辺境伯の死因を毒殺と確定できない。

 そうであるならば、辺境伯家の臣下たちは、ただの疑惑のみで、新しい主人・・・・・をどうして排斥することができるだろう?

 彼らは不満に思っても、なんら有効的な反撃などできるわけもない。



 私は自らの謀略、その成功を確信しながら、ゆっくりと帰途に就いた。



****



 その日は、しとしと、と小雨が朝から降り注いでいた。

 詩人であれば、天もまた、故人の死を嘆いている云々とでも、言うのかもしれない。


 棺の周りに、黒の喪服を着た参列者たちが、次々に花を添えていく。

 私も花を添え終わると、集まった参列者たちの中から、目的の人物を探す。


 幸い、目的の人物はすぐに見つかった。

 涙に瞼を腫らす少女と、その傍らに寄り添い慰めている貴公子然とした男。


 うん、上手くやっているわね、色男。

 私は、ゆっくりと二人の傍に歩み寄って行く。


「……アンネリー」


 私の呼びかけに、アンネリーは俯いていた顔を持ち上げる。

 交わる視線。私は努めて悲しげな、そして友人を気遣っている表情を作りながら、言葉を重ねる。


「この度はご愁傷様です……。ああ、何て言ったらいいのか……」

「ッ、シズク……。ああ、シズク……」


 アンネリーは正面から抱きついてくると、か細い声を漏らす。

 縋りついてくる体は、小刻みに揺れている。


 私はその細い体を抱きしめ返す。

 抱きしめ返す私の体もまた、同様に小刻みに揺れる。


 アンネリー、彼女が縋りついている女こそが、彼女の父を殺した張本人なのだ。

 その事実をアンネリーが知れば、どう思うだろう?


 ああ、何て事――。


 この状況に、罪悪感や自己嫌悪も、確かに感じてしまう。

 だけど、それ以上に、余りに滑稽過ぎて――笑いを噛み殺すのに苦労した。




 メデス辺境伯の葬儀後、しばらくして、辺境伯府からリーブラ市中にある布告がなされた。

 その内容は、コンラート王子と、辺境伯の遺児アンネリーの婚約であった。

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[良い点] 格好良い…! 毒殺決めて演技派な主人公めっちゃ好き
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