1-13
マグナ王国先遣軍を破ってから、九日の時が過ぎた。
リーブラでは現在、戦勝祝いが大々的にとり行われ、都市中のそこかしこで、兵や市民たちが祝杯を上げている。
まだ戦が終わったわけでもないのに、なんて暢気な連中だろう。
もっとも、都市上層部においては、怜悧な計算あってのことのようだが。
大々的に祝うことで、市民の厭戦気分を吹き飛ばそうというのだろう。
また、戦勝を喧伝することで、諸侯に対する、戦争参加の意欲を高める効果も期待しているに違いない。
勝ち馬に乗れると知れば、きっと彼らは、すぐにも重い腰を上げるだろうから。
もっとも、彼らが乗り込む船が、本当に大船である保障など何処にもない。
今回は運よく勝てたが、次に来襲するマグナ王国本軍に、例え諸侯の軍が加わっても、勝ち目があるかどうか……。
乗り込んだ船が、その実、泥船だった。そんな事態も十分にあり得る。
まあ、メデス辺境伯は、その点でもきちんと対策を打っているようだが……。
その一手目が、華々しい凱旋式だ。
迎撃に当たった辺境伯軍が、リーブラに戻った時の騒ぎようといったら、もう!
なんとも盛大な凱旋式で出迎えられたものだ。
そして、その凱旋式の主役は、誰あろう、敵将を討ち取ったコンラートであった。
辺境伯自ら、一傭兵を出迎えてみせるや、その両手を握り締めて、これでもかと感謝の言葉を述べたのだ。
凱旋式における、若き英雄のお披露目。
それは、次の展開を睨んでのことに他ならない。そう、私の推測が正しいと、仮定するならば……。
****
壁にかかったはしごを伝い、傭兵団屯所の屋上へと上る。
髪を撫でる夜風が気持ちいい。戦勝祝いの喧噪が遠くに聞こえる。頭上には、眩い月明かり。
なんとも、いい夜だ。
はしごを上りきると、目当ての人物はすぐに見つかった。
私とは真反対の壁際に一人座っている。
どうやら、こちらに気付いていない様子ね。……これは奇襲をかけるしかない。
懐からそれを取り出す。
近頃、遠く東方から伝わったとされるそれは、いわゆる爆竹の類だ。
中国文化にあるように、こちらでも、祝い事でこれを鳴らすことが、最近の流行になってきているらしい。
ふふふ、ここにくるまでの間、馬鹿騒ぎしている連中から、一つばかりくすねておいたのだ。
これを背後から投げ込まれれば、その効果は抜群に違いない。
さて、それでは……あれ、火種をどうしよう?
まさか、火打ち石を使うわけにもいかない。その音で、すぐにばれてしまう。
そもそも、火打石を持ってきてもいない。
ぐぬぬ……。千載一遇の好機だというのに、何とも口惜しい。
しかし、無いものねだりをしても仕方ない。
ふん、今回は普通に話しかけてやろうじゃないか。
「こんばんは、英雄殿」
「ああ、君か、リルカマウスちゃん」
コンラートがこちらを振り返る。
どうやら幸運なことに、あの趣味の悪い帽子は、戦場でなくしたらしい。
月明かりが、彼の金砂の髪を淡く照らし、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「こんなところで、一人で祝杯ですか?」
「まあ…ね。よかったら、リルカマウスちゃんも、一杯どうだい?」
そう言って、手に持つ瓶を軽く振るコンラート。
まだ、封のされているそれは、なかなか高級そうなワインボトルであった。
「私は酒を飲みませんので、結構です」
コンラートの申し出を、ばっさりと断る。
別に、日本の法律に義理立てしているわけではないけれど……。
ただ単純に、酒の美味しさというものが、私にはいまいち分からないのだ。
大人になれば、また違うのかもしれないが。
「そうかい? いやー、残念だなぁ、これはクスクスのワインなんだけどなぁー」
手に持つそれのラベルをしげしげと眺めながら、そんなことを言ってくる。
「だけど、飲めないなら仕方ないよねー」
「何の冗談です? クスクスのワインなんて、そんな……。ああ、詐欺にでも遭ったんですか?」
可哀そうな子を見る目で、コンラートのことを見やる。
クスクスといえば、アルルニア王国より遥か南にあるワインの名産地の名だ。
遠く異国のワインのため、流通量が少ない。その癖、馬鹿みたいに需要があるものだから、入手が極めて困難になっている。
そして、仮に入手する機会に恵まれても、その値段は文字通り天井知らず。とんでもない高値が付くのだ。
間違っても、一傭兵に手が出る代物ではない。
「……リルカマウスちゃん、そんな目で見ないでおくれよ」
「だって、到底信じられないんですもの」
その言葉を受け、やれやれと首を振るコンラート。
「何ですか、その態度は? まさか、本物だって言い張る気ですか?」
「ふふん、そのまさかだよ」
「嘘、いったいどうやって……」
「辺境伯さ。敵将を討ったご褒美に、秘蔵の酒を分けてもらったんだよ」
そうか、商人都市リーブラを治める辺境伯の財力なら、ワインの一本や二本、どうということはない。
つまり、あのワインは、本物のクスクス産のワインということか。
「この機会を逃せば、ひょっとしたら、二度と飲むことができないかもねぇ」
うぐっ、確かに、コンラートの言う通りだ。……みすみす、この高級ワインを飲む機会を不意にするのか?
もう二度と、飲めないかもしれないのに?
「……折角のご厚意ですし、そこまで言われるなら、少し頂きましょうか」
「ははは。うん、そうするといい。今回の戦、本当の功労者は、他でもない君なんだから」
本当の功労者……か。そうでも……あるかな! ふふふ、天才軍師と呼ぶがいい。
なんて、調子に乗りましたね。ごめんなさい
私なんか、所詮、過去の偉人の真似事をしただけに過ぎないわけだしね。
まあ、しかし、それはそれ。これはこれ。貰えるものは貰っておきましょう。
コンラートの横に腰掛ける。
すると、コンラートは、一つだけしかない杯をこちらに手渡してきた。
いやいや、一つしかないって。あんたは、ボトルから直接ラッパ飲みでもする気か?
絶対に回し飲みなぞせんぞ。乙女のプライドにかけて。
「ごほん! それでは……卿の働きを賞し、褒美を取らせる」
芝居がかった口調で語りながら、並々と杯にワインを注いでいくコンラート。
こちらも丁重に返礼をしましょうか。
「有り難く。コンラート王太子殿下」
「………………………………」
「どうかしましたか、王太子殿下?」
無表情で黙り込むコンラートに、追い打ちをかけてやる。
「……リルカマウスちゃん、聡明な君が、とんでもない間違いをしたものだ」
「そうですか?」
「そうだとも。僕、いや、俺は『元』王太子殿下だからね」
無表情から一転、悪戯気な笑みを浮かべるコンラート。
「それは、失礼を」
私は恭しく頭を下げた。それはもう、わざとらしい仕草で。
「いつから、気付いていたんだい?」
「疑い出したのは出陣前。凱旋式で、ほぼ間違いないだろうと確信しました」
「そうか……」
そう、疑いというより、違和感を覚えたのは、地形を利用して李靖将軍の戦術を模倣しようと思い立った時のこと。
その為には、詳細な地図がいると、傭兵団トップの二人に泣き付いた。
詳細な地図、それは一級の軍事機密だ。おいそれと、部外者に閲覧を許すものではない。
しかし、今は緊急事態。傭兵団のトップが頼めば、メデス辺境伯も出し渋りはしないのではないか?
そう、期待を込めて泣き付いたわけだが……。
それから一時間も待たずして、コンラートが地図を届けてきた。
確かに、傭兵団のトップなら可能性があると考えた。しかし、いくらなんでも、早すぎるだろう。
いったい、どういうことだと、違和感を覚えたわけだ。
団長、あるいは、副団長のいずれかが、辺境伯と特別なつながりがあるのか?
二人はいったい何者だろう?
そんな風に疑問に思うと、後は一直線。人の好奇心ほど抑え難いものもない。
出陣前だというのに、色々と探りを入れちゃいました。てへ♪
結果、分かったのは、コンラートが失踪中のマグナ王国元王太子であること。
そして、それを大して隠す気がないということだ。
何せ、堂々と本名を名乗っているし……。
それに傭兵団の名前、フィーネとは、彼が幼少時代を過ごした離宮の名前だ。
極め付きは、彼が親指にしている瀟洒な指輪。薔薇をモチーフにした意匠をしているが、他ならぬマグナ王家の紋章が、薔薇の花なのだ。
ここまでくると、ホント、隠す気があるようには見えない。
よって、出陣前に考えた可能性は二つ。
一つは影武者という可能性。
偽物を目立たせ、何処かに隠れている本物に目がいかないようにする。
あるいは、影武者を囮に、誰かを釣ろうとしているのではないか?
まあ、順当な推測だと思う。
もう一つは、近々、王太子として決起するつもりである、という可能性。
その際、自分が失踪中の王太子と、手早く周囲を納得させるために置いた布石。
それが、それらしいヒントを、事前に散らせることだったのでは?
うーん、中々リスキーだが、ありえなくはない可能性だ。
出陣前の段階では、そのどちらか判然としなかった。
しかし、あの凱旋式で確信した。コンラートは本物の王太子だと。
そうでなくては、何故、メデス辺境伯があのような演出をするだろう。
一介の傭兵風情ではなく、自身の騎士団を華々しく演出した方が、辺境伯にとってはおいしいだろうに。
それでも、辺境伯があのような演出をした理由。
それは、彼も知っているからだ。コンラートが、マグナ王国の元王太子だということを。
いや、単純に知っているだけでなく、コンラートと協力関係にあると見た方が自然だろう。
コンラートは、潜伏中の辺境伯の庇護と、決起の際の援助を求めて。
そして、きっと辺境伯は、コンラートが、対マグナ王国の切り札となることを期待している。
なにせ、マグナ王国軍は強い。
仮にアルルニア王国が一丸となって戦っても、勝てる公算は乏しい。
その敗戦濃厚な事態を打開するために、コンラートを利用しようというのだ。
マグナ王国に付け入る隙があるとすれば……。
それは、現マグナ国王の王としての正統性、そこにある大きな瑕だ。
纂奪という手段を以て、王位に就いた以上、必ず付いて回る弱点。
そこを、先の王太子、コンラートという切り札で攻め立てればどうなるか?
現マグナ国王の玉座、いや、マグナ王国そのものが揺らぐかもしれない。
上手くいけば、マグナ王国を二つに割ることもできよう。
そうなれば、マグナ王国は、アルルニア王国と戦争をしている場合ではなくなる。
それこそが、メデス辺境伯の狙いだ。
深慮遠望、権謀術数とはこのことか。貴族怖い。
などといった推測を、私は滔々と語る。
コンラートは聞き終わると、感心したように一つ頷いた。
「良い推測だ。おおむね的を射ている。流石だね、リルカマウスちゃん」
その言葉に、私は得意気な顔を浮かべると、手に持つ杯を呷った。
「うっ!? ……げほっ、ごほっ!…………ごほっ!」
何だ、これは!? 手の平で口元を覆いながら、思わず咳き込む。
ワイン愛飲家は、これを重厚な飲みごたえ云々などと、したり顔で語り出すのかもしれないが……。
私には、とてもではないが、飲めた代物じゃない。
「ははは! そんなところは、見た目通りお子様だね」
「……げほっ。笑わないで下さい! 誰がお子様ですか!」
「月下の下、銘酒を飲む。まるで、絵に書いたような風情。それを味わえないなんて……」
馬鹿にしたように、こちらを見やるコンラート。
何が風情だ。くそ、そんな目で見るな!
「……酒の味が分からなくても、風情ぐらい分かります」
「ほう? 例えば?」
「例えば……。ふむ、それでは詩でも吟じましょう」
馬鹿にされているのが堪らなく。つい、苦し紛れにそんなことを言う。
当然、私に詩の才能なんてない。
……しかし、勝算は皆無じゃない。絶対にばれないイカサマがある。
私は、私の世界で有名な詩を、こちらの言葉で紡ぎ出した。
――葡萄の美酒と夜光の杯。
飲もうとしたら、誰かが馬上で楽器をかきならし始めた。
酔って、地面の上で眠ってしまっても、どうか笑わないでおくれ。
古来、遠く異国へ戦いに赴き、いったい幾人が無事帰れたというのか。
紡ぎ終えた言の葉が、夜風に流される。
それでもコンラートは、しばらく瞳を閉じたままでいた。
暫しの沈黙。やがて瞳を開けると、徐に話し始めた。
「良い詩……なのだと思う。でも、今の俺には…………」
言葉を途中で切ると、コンラートはボトルから直接ワインを口に流し込む。
その顔つきは、あまりにも苦々しい。
「苦そうですね」
「……そうだね。折角のクスクスのワインなのに、とても苦い。まるで――」
――『騎士たちが流した血を飲み干したかのようだ』、そんな風に締め括るコンラート。
「後悔しているのですか?」
「それはどうだろう? ……もし、やり直せるとしても、それでも俺は、フーバー将軍たちマグナ騎士を殺しただろう」
「何故か聞いても?」
「……君が相手でなければ、王位の正統性のため、あるいは、暴君になろうとしている弟を止めるため、などといった理由を述べるだろうね」
王家の正統性。暴君の排斥。いわゆる大義名分というやつね。
しかし、まあ、それらは建前というものだ。
「なら、貴方の本音は? 私には何と答えます?」
「理由なんて単純なものさ。……弟にいいようにやられて、黙っていられる兄が、この世にいるはずもない。君もそう思うだろう?」
「……なるほど」
少し首を傾げ、同意を求めてきたコンラートに、私は頷く。
私は一人っ子だが、彼の言い分が納得できなくもない。
少なくとも、お綺麗な大義名分とやらより、ずっといい。
「さて、シズク。こんな自分勝手な俺に、君はついてくるかい?」
真剣な面持ちで尋ねてくるコンラート。
そんな彼に、私は――
「いいですよ。この身が危険に晒されない限りは……ね」
「何だ、その答えは?」
「我が身が一番可愛いもので。上手くいっている内はついていきます。本当にやばくなったら、逃げますけど」
悪びれもせず言い切ってやる。
「何て自分勝手な娘だ!」
「自分勝手はお互い様でしょう、コンラート」
「ふっ、違いない」
それから暫くの間、私たちは屋上で笑い声を上げたのだった。
****
神聖歴七三五年、黒獅子の月、八日。
メデス辺境伯軍と、フーバー将軍率いるマグナ王国先遣軍が激突。これより始まることとなる解放戦争の緒戦となった。
結果は、メデス辺境伯軍の勝利に終わる。マグナ王国軍は、フーバー将軍始め、数多の将兵が討ち死にした。
フーバー将軍を討ち取ったのは、悲運の王子として名を残すことになる、コンラート元王太子であったという。
この戦いの直後、コンラートは自らの身分を明かす。そして、王位の正統性を掲げ、纂奪者ハインリヒを討つことを宣言した。
この戦いは、解放戦争の始まりを告げる、重大な意味を持つ戦いであった。
また同時に、解放軍の主軸を担うことになる、シズクの名が初めて世に出た戦いでもあった。
この戦いで用いられたシズクの戦術は、極めて計算高い奇襲戦術であり、後世の歴史家や軍事評論家たちから絶賛されている。
しかし、当時の人々は、その戦術の余りの高度さと、華々しすぎる戦果に困惑し、たいそう不気味がったと伝わっている。
シズクの若過ぎる年齢と、異質極まりない容姿もまた、それに拍車をかけた。
結果、この戦い以降から、マグナ・アルルニア両国に、彼女の異名が轟くこととなる。――曰く、【遠国の魔女】と。




