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【書籍化】魔女軍師シズク  作者: 入月英一@書籍化
一章

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15/88

1-11

 目が覚める。……原因はこの喧噪か。

 陣内での喧嘩騒ぎか? ……いいや、違う。長年の戦場経験で培った感覚が告げる。

 そう、これは敵襲を受けた際の喧噪だ。

 そう判断し、寝台から即座に体を起こすと、手早く軍服に袖を通した。


「誰ぞ、誰ぞある!」


 そして大声で人を呼んだ。すると、慌ただしく二人の男が天幕内に転がり込んでくる。


「如何なる状況か!?」

「は、はっ! 敵軍の夜襲であります!」

「それは分かっておる! 被害は!? 敵軍の規模は!?」

「も、申し訳ありません! 混乱がひどく、何も分かっておりません!」


 ……敵軍の規模はおろか、自軍の被害状況も分からぬか。どうやら、よほど手酷くやられているようだな。

 しかし、何故だ? 夜襲に無警戒であったのなら、この状況も頷ける。だが、確かに俺は、哨戒網を密にし、交代制で防備を固めるよう命じたはず。……もしや、哨戒を担当する兵らが、任務を疎かにしたか!


「哨戒の兵たちは何をしていた!? 何故、敵の接近に気付かない! それに、防備を固める当直の兵は!?」

「ち、違うのです、閣下!」

「違う? 違うとは、如何なる意味だ!?」


 要領を得ない報告に一喝する。そうしながら、もう一人の男に手伝わせ、手早く鎧を身に着けていく。


「て、敵軍は北東の、北東の方角より攻め寄せて来ているのです!」

「何……だと。…………馬鹿な、何の冗談だ」


 怒りが霧散する。ありえない報告に、一瞬呆然となる。そこに畳み掛ける様に悲痛な報告が続く。


「冗談ではありません! 敵襲が、確かに、北東の方角から!」


 男を押しのけるように、天幕の外へと出る。そして、北東の方角へ目を向けた。

 ……確かに、北東の方角から、剣戟の音、馬蹄の轟、人々の悲鳴や怒号が聞こえてくる。


「奴ら……いったい、どのような魔法を使ったのだ?」


 思わず、そんな呟きが漏れる。この何かに化かされたかのような感覚は、未だかつて覚えのないものであった。


「閣下!」


 俺を呼びながら駆けてくる男の方に目を向ける。……ガームリヒ大佐か。


「閣下、北東からの夜襲とのことですが……」

「ああ、見た通り、いや、聞いた通りだ」


 顎で北東の方角を示す。


「……俄かには信じられませんな」

「全くだ。……どうやら、メデス辺境伯は、魔法使いを召し抱えているとみえる」

「魔法使いですか? それは、羨ましい限りですな」

「ああ、実に羨ましい。しかし、魔法使いでない我々は、この状況を現実的な手段で対処する必要がある」


 俺と、ガームリヒ大佐の視線が交わる。その瞳の中に迷いを見つけた。大佐がそれを口にする前に、こちらが言葉にする。


「ここまで混乱しては、収拾もつけられぬ。……陣地を放棄。敵から距離を取り、軍隊を再編する」

「しかし、今まさに戦っている兵たちは……」

「あの様子では統率能うまい。……見捨てて、敵軍を防ぐ壁になってもらう」

「……………………」

「ガームリヒ大佐、これは俺の、軍指揮官の命令なのだ。迷わず、遂行せよ」

「……はっ、承知しました」


 ガームリヒ大佐が、悔恨にであろうか、表情を歪ませる。

 大方、上官に今の言葉を言わせてしまったことを恥じているのだろう。

 

 ……馬鹿なことを。軍事における、あらゆることの責任の所在は、最終的に、その場の最高位の指揮官に帰属する。

 つまり、部下を見殺しにする罪は、他の誰でもない、俺が背負うべきものなのだ。

 

 だから、貴様がそのような表情をする必要なぞ、何処にもないというのに……。


「早くしろ! 少しでも被害を小さく抑えるのだ!」

「はっ!」


 一喝しながら、再度、命令の遂行を求める。

 迷いを振り切った軍人の顔をすると、ガームリヒ大佐は動き出した。



 さて、後は時間との勝負だ。どれほど、被害を最小限に留めれるものか……。急がねばならない。

 最後にもう一度、北東の方角に目を向けると、ガームリヒ大佐の後を追った。



****



 思いもよらぬ北からの奇襲。そこから逃れるために、南へとひた走る。

 軍団の再編のため、安全圏に至るまで急がねばならない。なんとか形にした、不格好な隊列で闇夜の道を往く。

 

 ……むう、この闇夜の強行軍では、落伍するものも多かろう。陣内に見捨ててきた兵らといい、最終的にどれほどの被害となるか。

 中軍にあって、何とか司令部の統率下にある部隊を纏めながら、気を揉む。


 しかし、将軍として、冷静な顔を見せねば。そうでなくては、兵たちに動揺を与えてしまう。

 努めて、平然とした素振りを見せながら、馬上で目の前の闇夜を見据えた。


 もっとも、その演技も長くは続かなかった。

 何故なら、先行する部隊の進軍速度が目に見えて落ち、後続の部隊が行き詰まり始めたからだ。


 しまった! この先の道は……! 大天幕で見た地図を思い出す。

 自らの馬鹿さ加減に怒りすら覚える。この先は、大森林と湖に挟まれた隘路ではないか!

 進軍が遅くなるのも無理からぬこと。マズイ、このままでは……。


「…………ガームリヒ大佐、現在統率下にある部隊の中で、最後尾の部隊は誰が指揮する部隊か?」

「はっ! ……最後尾は、クラウス殿の部隊です」

「……クラウスか」


 瞳を閉じる。呻き声を何とか抑えた。……将軍として決断せねば。より多くの将兵の命を救うために。


「クラウスの部隊を反転させ、敵軍の襲撃に備えさせよ」

「ッ、殿しんがりをお命じに?」

「…………撤退も降伏も許さない。本軍に時を与えるため、命尽きるまで戦い続けよと、命じるのだ」

「なっ!? 閣下、しかし、クラウス殿は……「黙れ、大佐!」」


 声を張り上げ、ガームリヒ大佐の言葉の続きを殺す。


「頼む、それ以上何も言うな、大佐」

「……閣下」

「クラウスは、まだ若く未熟だが、祖国への忠誠心と軍務への真摯さは、誰にも負けぬ。いかに理不尽な命令であれ、必ず遂行しよう」

 

 俺の言葉に、ガームリヒ大佐は、何も言わずに頭を下げた。




 後方に残した兵らの命を代価に、闇夜を進む。

 急げ、急げ、急げ! 何としてでも、この隘路を抜ける。そして軍団を再編し、犠牲になった兵らの弔いに、敵兵の首を捧げるのだ!


「先行部隊、もう間もなく、隘路を抜けます!」


 伝令の叫びに、周囲から歓声が上がる。

 そうか、この苦しい行軍も残り僅かか! 吉報に心を奮わせ……。


 その直後、風に乗って、その音が聞こえた。

 それは、紛うことなき戦場音楽。甲高い剣戟と悲鳴の音。低い怒号と馬蹄の轟。


 歓声が止む。程なくして新たな伝令が、悲鳴のような報告をする。


「伏撃です! 先行部隊、敵伏兵の襲撃を受け、被害甚大!」


 伏兵! 何と抜け目ない! 先行部隊の被害甚大だと……。いや、それよりも、隘路の出口を塞がれたか!


「増援を送れ! 敵兵の数は僅かだ! 出血を恐れず、突破するのだ!」


 不安げな兵らを鼓舞するため、声を張り上げる。


「進軍せよ、進軍せよ、進軍せよ! 生き残る為に、待ち構える敵軍を突破せよ!」


 このままでは挟撃される。その前に敵伏兵を突破せねば!

 損害を無視すれば、強行突破は可能のはず。何せ敵軍は、寡兵を奇襲部隊と伏兵部隊の二つに割っているのだから。

 ……問題は時間だ。突破にかかる時間が、勝敗を左右する。


 

 隘路の出口を塞ぐ敵兵を突破するため、増援部隊を闇夜の先に突撃させた。

 しかし、一向に鳴りやまぬ戦場音楽。無情にも時間だけが過ぎていく。


 じりじりと、精神を削るような時間。まだか! まだ、突破できぬか!


 俺も前線に赴き、兵らを鼓舞するか?

 いや、司令部が最前線に出ていくわけには……。

 軍全体の統率に支障を来たすし、逆に兵らを不安がらせるだけかもしれん。


 耐えろ、耐えるのだ。そして、兵らを信じよ。

 何処に出しても、恥ずかしくない部下たちだ。必ずや、敵兵を突破し、吉報を届けてくれるはず!


「閣下!」


 前線から馬を駆り、伝令が訪れる。その顔と声は、喜色に溢れている。

 待ちわびた知らせか! 勝ったぞ、我々が勝ったのだ!


「前線部隊、敵軍を突破しつつあり! 敵軍を突破しつつあり!」

「よし、よくやった! 更に駄目押しの増援を送れ! このまま一気に……」

「閣下!」


 真逆の方角から、新たな伝令が駆けてくる。その声音は、あまりにも悲痛なものであった。


「閣下! こ、後方より、敵騎兵来襲!」


 後方からの敵騎兵の来襲。それが意味するところは、つまり……。


「クラウス……」



 

 猛将は、愛息子の名を呻くように呟くと、天を仰いだ。



****



 今、相対している敵軍の更に向こう。闇夜の先から、悲鳴や怒号が聞こえてくる。

 その声を聞き、歓声を上げる味方。そして、目に見えて浮き足立つ敵勢。


 どうやら、ウェルテクス騎士団が間に合ったようね。

 なんとか、挟撃に成功……か。

 あー、助かった。安堵感から、肩の力が抜ける。


 危ない、危ない。あと少しで、私のいる伏兵部隊が崩れるところだったじゃない。

 まあ、傭兵と市民兵の寄せ集めだしね。むしろ、よく持った方かしら。


 まったく、こんな危険があるから、リーブラでお留守番したかったのに……。

 だけど、作戦立案者が、危険だからと安全地帯に引っ込んでは、兵たちは作戦に不安を持ってしまう。

 泣く泣く、戦場に出てくるしかなかったのよね。


 戦場の途方もない緊迫感。あーもう、寿命が縮んじゃうわ。

 深々と息を吐き、心を落ち着かせる。


 しかし、それにしても上手くいったわ。

 今回、地形を活用して、李靖将軍の戦術を模倣したわけだけど……。

 散々、地図と睨めっこした甲斐があったというもの。ここまで見事に、作戦が嵌るなんてね。


 主要街道を外れ、二手に分かれた辺境伯軍。

 歩兵主体の伏兵部隊は、真っ直ぐに東の湖と西の森林に挟まれた隘路の出口へ。

 

 騎兵のみで構成された奇襲部隊は、湖を東回りに大きく迂回した上で北進。敵軍の後方に浸透し、無防備の後背を衝くことに成功したようだ。


 北から攻められては、咄嗟に逃げ出すのは、真逆の南側だろう。

 問題は、その後の敵軍進路だが……。

 軍神のように読むことは無理。無理なので、逃走経路を限定させてもらった。


 東西を湖と森で塞ぎ、その間を真っ直ぐに進むしかできないようにと。


 その作戦の結果は、見ての通り。歴史に残るであろう、大勝利だ。


「リルカマウスちゃん」


 戦勝に浸っていると、声をかけられた。


「何です、コンラート副団長?」

「これから、浮き足立つ敵勢に一気に攻勢をかけ、止めを刺してくるよ」


 馬上で、剣を抜きながら言い放つ副団長。背後に傭兵団の兵士たちを従えている。


「いつになくやる気ですね?」

「まあね。勝ち戦に張り切るのが、傭兵というものさ」

「なるほど。……ちなみに、負け戦では?」

「真っ先に逃げ出す。いや、寝返るかな?」

「最低ですね。まあ、死なない程度に頑張ってきて下さい」

「ふふん、勿論そのつもりさ」


 言葉の応酬を終えると、真っ直ぐに敵軍へと突っ込んでいく、コンラート副団長と傭兵たち。

 よくやるわ、本当に。仕方ない、私はここで大人しく見ていて上げよう。



 私は、彼らの姿が戦場の真っ只中に消えるまで、その後ろ姿を見送った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ク、クラウス…!(刺さった)
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