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目が覚める。……原因はこの喧噪か。
陣内での喧嘩騒ぎか? ……いいや、違う。長年の戦場経験で培った感覚が告げる。
そう、これは敵襲を受けた際の喧噪だ。
そう判断し、寝台から即座に体を起こすと、手早く軍服に袖を通した。
「誰ぞ、誰ぞある!」
そして大声で人を呼んだ。すると、慌ただしく二人の男が天幕内に転がり込んでくる。
「如何なる状況か!?」
「は、はっ! 敵軍の夜襲であります!」
「それは分かっておる! 被害は!? 敵軍の規模は!?」
「も、申し訳ありません! 混乱がひどく、何も分かっておりません!」
……敵軍の規模はおろか、自軍の被害状況も分からぬか。どうやら、よほど手酷くやられているようだな。
しかし、何故だ? 夜襲に無警戒であったのなら、この状況も頷ける。だが、確かに俺は、哨戒網を密にし、交代制で防備を固めるよう命じたはず。……もしや、哨戒を担当する兵らが、任務を疎かにしたか!
「哨戒の兵たちは何をしていた!? 何故、敵の接近に気付かない! それに、防備を固める当直の兵は!?」
「ち、違うのです、閣下!」
「違う? 違うとは、如何なる意味だ!?」
要領を得ない報告に一喝する。そうしながら、もう一人の男に手伝わせ、手早く鎧を身に着けていく。
「て、敵軍は北東の、北東の方角より攻め寄せて来ているのです!」
「何……だと。…………馬鹿な、何の冗談だ」
怒りが霧散する。ありえない報告に、一瞬呆然となる。そこに畳み掛ける様に悲痛な報告が続く。
「冗談ではありません! 敵襲が、確かに、北東の方角から!」
男を押しのけるように、天幕の外へと出る。そして、北東の方角へ目を向けた。
……確かに、北東の方角から、剣戟の音、馬蹄の轟、人々の悲鳴や怒号が聞こえてくる。
「奴ら……いったい、どのような魔法を使ったのだ?」
思わず、そんな呟きが漏れる。この何かに化かされたかのような感覚は、未だかつて覚えのないものであった。
「閣下!」
俺を呼びながら駆けてくる男の方に目を向ける。……ガームリヒ大佐か。
「閣下、北東からの夜襲とのことですが……」
「ああ、見た通り、いや、聞いた通りだ」
顎で北東の方角を示す。
「……俄かには信じられませんな」
「全くだ。……どうやら、メデス辺境伯は、魔法使いを召し抱えているとみえる」
「魔法使いですか? それは、羨ましい限りですな」
「ああ、実に羨ましい。しかし、魔法使いでない我々は、この状況を現実的な手段で対処する必要がある」
俺と、ガームリヒ大佐の視線が交わる。その瞳の中に迷いを見つけた。大佐がそれを口にする前に、こちらが言葉にする。
「ここまで混乱しては、収拾もつけられぬ。……陣地を放棄。敵から距離を取り、軍隊を再編する」
「しかし、今まさに戦っている兵たちは……」
「あの様子では統率能うまい。……見捨てて、敵軍を防ぐ壁になってもらう」
「……………………」
「ガームリヒ大佐、これは俺の、軍指揮官の命令なのだ。迷わず、遂行せよ」
「……はっ、承知しました」
ガームリヒ大佐が、悔恨にであろうか、表情を歪ませる。
大方、上官に今の言葉を言わせてしまったことを恥じているのだろう。
……馬鹿なことを。軍事における、あらゆることの責任の所在は、最終的に、その場の最高位の指揮官に帰属する。
つまり、部下を見殺しにする罪は、他の誰でもない、俺が背負うべきものなのだ。
だから、貴様がそのような表情をする必要なぞ、何処にもないというのに……。
「早くしろ! 少しでも被害を小さく抑えるのだ!」
「はっ!」
一喝しながら、再度、命令の遂行を求める。
迷いを振り切った軍人の顔をすると、ガームリヒ大佐は動き出した。
さて、後は時間との勝負だ。どれほど、被害を最小限に留めれるものか……。急がねばならない。
最後にもう一度、北東の方角に目を向けると、ガームリヒ大佐の後を追った。
****
思いもよらぬ北からの奇襲。そこから逃れるために、南へとひた走る。
軍団の再編のため、安全圏に至るまで急がねばならない。なんとか形にした、不格好な隊列で闇夜の道を往く。
……むう、この闇夜の強行軍では、落伍するものも多かろう。陣内に見捨ててきた兵らといい、最終的にどれほどの被害となるか。
中軍にあって、何とか司令部の統率下にある部隊を纏めながら、気を揉む。
しかし、将軍として、冷静な顔を見せねば。そうでなくては、兵たちに動揺を与えてしまう。
努めて、平然とした素振りを見せながら、馬上で目の前の闇夜を見据えた。
もっとも、その演技も長くは続かなかった。
何故なら、先行する部隊の進軍速度が目に見えて落ち、後続の部隊が行き詰まり始めたからだ。
しまった! この先の道は……! 大天幕で見た地図を思い出す。
自らの馬鹿さ加減に怒りすら覚える。この先は、大森林と湖に挟まれた隘路ではないか!
進軍が遅くなるのも無理からぬこと。マズイ、このままでは……。
「…………ガームリヒ大佐、現在統率下にある部隊の中で、最後尾の部隊は誰が指揮する部隊か?」
「はっ! ……最後尾は、クラウス殿の部隊です」
「……クラウスか」
瞳を閉じる。呻き声を何とか抑えた。……将軍として決断せねば。より多くの将兵の命を救うために。
「クラウスの部隊を反転させ、敵軍の襲撃に備えさせよ」
「ッ、殿をお命じに?」
「…………撤退も降伏も許さない。本軍に時を与えるため、命尽きるまで戦い続けよと、命じるのだ」
「なっ!? 閣下、しかし、クラウス殿は……「黙れ、大佐!」」
声を張り上げ、ガームリヒ大佐の言葉の続きを殺す。
「頼む、それ以上何も言うな、大佐」
「……閣下」
「クラウスは、まだ若く未熟だが、祖国への忠誠心と軍務への真摯さは、誰にも負けぬ。いかに理不尽な命令であれ、必ず遂行しよう」
俺の言葉に、ガームリヒ大佐は、何も言わずに頭を下げた。
後方に残した兵らの命を代価に、闇夜を進む。
急げ、急げ、急げ! 何としてでも、この隘路を抜ける。そして軍団を再編し、犠牲になった兵らの弔いに、敵兵の首を捧げるのだ!
「先行部隊、もう間もなく、隘路を抜けます!」
伝令の叫びに、周囲から歓声が上がる。
そうか、この苦しい行軍も残り僅かか! 吉報に心を奮わせ……。
その直後、風に乗って、その音が聞こえた。
それは、紛うことなき戦場音楽。甲高い剣戟と悲鳴の音。低い怒号と馬蹄の轟。
歓声が止む。程なくして新たな伝令が、悲鳴のような報告をする。
「伏撃です! 先行部隊、敵伏兵の襲撃を受け、被害甚大!」
伏兵! 何と抜け目ない! 先行部隊の被害甚大だと……。いや、それよりも、隘路の出口を塞がれたか!
「増援を送れ! 敵兵の数は僅かだ! 出血を恐れず、突破するのだ!」
不安げな兵らを鼓舞するため、声を張り上げる。
「進軍せよ、進軍せよ、進軍せよ! 生き残る為に、待ち構える敵軍を突破せよ!」
このままでは挟撃される。その前に敵伏兵を突破せねば!
損害を無視すれば、強行突破は可能のはず。何せ敵軍は、寡兵を奇襲部隊と伏兵部隊の二つに割っているのだから。
……問題は時間だ。突破にかかる時間が、勝敗を左右する。
隘路の出口を塞ぐ敵兵を突破するため、増援部隊を闇夜の先に突撃させた。
しかし、一向に鳴りやまぬ戦場音楽。無情にも時間だけが過ぎていく。
じりじりと、精神を削るような時間。まだか! まだ、突破できぬか!
俺も前線に赴き、兵らを鼓舞するか?
いや、司令部が最前線に出ていくわけには……。
軍全体の統率に支障を来たすし、逆に兵らを不安がらせるだけかもしれん。
耐えろ、耐えるのだ。そして、兵らを信じよ。
何処に出しても、恥ずかしくない部下たちだ。必ずや、敵兵を突破し、吉報を届けてくれるはず!
「閣下!」
前線から馬を駆り、伝令が訪れる。その顔と声は、喜色に溢れている。
待ちわびた知らせか! 勝ったぞ、我々が勝ったのだ!
「前線部隊、敵軍を突破しつつあり! 敵軍を突破しつつあり!」
「よし、よくやった! 更に駄目押しの増援を送れ! このまま一気に……」
「閣下!」
真逆の方角から、新たな伝令が駆けてくる。その声音は、あまりにも悲痛なものであった。
「閣下! こ、後方より、敵騎兵来襲!」
後方からの敵騎兵の来襲。それが意味するところは、つまり……。
「クラウス……」
猛将は、愛息子の名を呻くように呟くと、天を仰いだ。
****
今、相対している敵軍の更に向こう。闇夜の先から、悲鳴や怒号が聞こえてくる。
その声を聞き、歓声を上げる味方。そして、目に見えて浮き足立つ敵勢。
どうやら、ウェルテクス騎士団が間に合ったようね。
なんとか、挟撃に成功……か。
あー、助かった。安堵感から、肩の力が抜ける。
危ない、危ない。あと少しで、私のいる伏兵部隊が崩れるところだったじゃない。
まあ、傭兵と市民兵の寄せ集めだしね。むしろ、よく持った方かしら。
まったく、こんな危険があるから、リーブラでお留守番したかったのに……。
だけど、作戦立案者が、危険だからと安全地帯に引っ込んでは、兵たちは作戦に不安を持ってしまう。
泣く泣く、戦場に出てくるしかなかったのよね。
戦場の途方もない緊迫感。あーもう、寿命が縮んじゃうわ。
深々と息を吐き、心を落ち着かせる。
しかし、それにしても上手くいったわ。
今回、地形を活用して、李靖将軍の戦術を模倣したわけだけど……。
散々、地図と睨めっこした甲斐があったというもの。ここまで見事に、作戦が嵌るなんてね。
主要街道を外れ、二手に分かれた辺境伯軍。
歩兵主体の伏兵部隊は、真っ直ぐに東の湖と西の森林に挟まれた隘路の出口へ。
騎兵のみで構成された奇襲部隊は、湖を東回りに大きく迂回した上で北進。敵軍の後方に浸透し、無防備の後背を衝くことに成功したようだ。
北から攻められては、咄嗟に逃げ出すのは、真逆の南側だろう。
問題は、その後の敵軍進路だが……。
軍神のように読むことは無理。無理なので、逃走経路を限定させてもらった。
東西を湖と森で塞ぎ、その間を真っ直ぐに進むしかできないようにと。
その作戦の結果は、見ての通り。歴史に残るであろう、大勝利だ。
「リルカマウスちゃん」
戦勝に浸っていると、声をかけられた。
「何です、コンラート副団長?」
「これから、浮き足立つ敵勢に一気に攻勢をかけ、止めを刺してくるよ」
馬上で、剣を抜きながら言い放つ副団長。背後に傭兵団の兵士たちを従えている。
「いつになくやる気ですね?」
「まあね。勝ち戦に張り切るのが、傭兵というものさ」
「なるほど。……ちなみに、負け戦では?」
「真っ先に逃げ出す。いや、寝返るかな?」
「最低ですね。まあ、死なない程度に頑張ってきて下さい」
「ふふん、勿論そのつもりさ」
言葉の応酬を終えると、真っ直ぐに敵軍へと突っ込んでいく、コンラート副団長と傭兵たち。
よくやるわ、本当に。仕方ない、私はここで大人しく見ていて上げよう。
私は、彼らの姿が戦場の真っ只中に消えるまで、その後ろ姿を見送った。




