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【書籍化】魔女軍師シズク  作者: 入月英一@書籍化
一章

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14/88

1-10

 夜の帳が下りる。闇が辺り一面を覆い、そのビロードの奥に多くのものを隠してしまう。

 そんな闇の中を、辺境伯軍は主要街道を外れて行軍していた。リーブラを発ってから二日、主要街道を外れて数刻のことである。


 必要最低限の松明、その中でも、最も前方で集団を先導していた、その灯りが動きを止める。

 そして、暫しの時をおいて二手に分かれていった。

 一方は騎兵のみで構成された部隊。もう一方が、歩兵を主体とした部隊である。


 私は歩兵主体の部隊の中から、遠ざかる騎兵隊の姿を見送った。


 ……本当にこれで良かったのだろうか? 何か見落としがあるのでは?

 そんな風に、疑念が次から次に湧いて出る。もっとも、そう簡単に表情に出すほど、私の仮面は脆くはないのだが……。


「どうしたんだい、リルカマウスちゃん? いつになく、ピリピリしているじゃないか」


 背後からの気安い声。容易く気取られるか……。この道化師め。

 私は背後を振り返り、視線を騎乗の男のそれと合わせるため、持ち上げる。

 背後からの声、その主は気狂い帽子、もといコンラート副団長であった。

 

「……この状況で、底抜けに明るい貴方の方が異常なんですよ、コンラート副団長」


 こちらはこちらで、道化師の異常性を指摘してやる。

 まったく、この男は……。何が、『えー、そうかなぁ』だ。


 わざとらしく溜息を吐いてやる。ついでに、アメリカンみたいに、肩でも竦めてあげようかしら。


「嫌だなぁ、溜息なんて吐いて……。大丈夫、大丈夫、気軽に行こうよ、リルカマウスちゃん」


 お気楽な声を上げる大馬鹿者に、半目で睨み返してやる。


「何の根拠があって、大丈夫と言うのです、副団長?」

「それは勿論、僕の…「勘ですか?」……その通り。でも、馬鹿にしてはいけない」

「よく当たるから?」

「そう、不思議とよく当たるんだ」


 もう一度溜息を吐く。まったく馬鹿馬鹿しい、何の気休めにもならない。

 しかし、まあ、こんな馬鹿を言う男の傍で、真剣に悩むのもまた、馬鹿らしいというもの。

 なるようになるさ、ケセラセラ。心の中で、最高の開き直りの呪文を唱える。

 すると、どうだろう、強張った肩の力も抜けてきた。……偶には、馬鹿のモノマネもいいものかも、なんてね。



 私は真っ直ぐと目の前の闇を見据え、歩き出した。



****



 司令部として設置した大天幕の中へと足を踏み入れる。

 地図を広げた中央の机を囲むように立ち、俺に向けて敬礼してくる男たち。どうやら、司令部要員は全員揃っているようだ。


 つまり、俺が一番最後だということだが、それを咎める者はいない。

 まあ、当然である。何せ、俺こそが、この先遣軍の司令官。マグナ王国七将家が一、フーバー家の当主、アドルフ・フーバー大将、その人なのだから。


 俺は軽く答礼すると、上座へと移動する。そして、地図に目を落とした。


「情報参謀、敵軍の動向を報告せよ」

「はっ!」


 俺の問い掛けに、生真面目そうな情報参謀が、背筋を伸ばして声を上げる。


「敵軍は五日前に、リーブラを発った模様。その後、二日程度は敵軍の動きを追えたのですが、以降の足取りを斥候部隊は掴めておりません!」


 ひどく緊張した顔つきで、情報参謀は士官候補生のような大声で締めくくる。

 まあ、彼の気持ちは理解できる。今の報告は、仕事ができていないと言っていることと同義であるからだ。

 ましてや、その報告相手が、猛将と名高い指揮官であれば、……さもあらん。


 実際、昔の俺なら、机に拳を叩きつけて怒鳴り散していたことだろう。

 もっとも、流石に五十も近い歳になって、この程度で怒鳴ったりはしない。


「…………何故、掴めない?」


 怒鳴ったりはしないが、言葉短く低い声が出る。まあ、この程度で許すのだから、まだ穏便と言えるだろう。


「はっ! どうやら、敵軍は主要街道を外れたらしく……。その数刻後、陽が落ちたこともあり、敵軍を見失いました。申し訳ありません!」


 深々と頭を下げる情報参謀を視界の隅に捉えながら、頭の中で考えを巡らせる。

 主要街道を外れて行軍か……。寡兵ならではだな。我が軍ほどの大所帯になれば、まず不可能な行軍方法だ。


 しかし、寡兵なら可能と言っても、決して楽ではない。

 それでもあえて、主要街道を外れるその意図は……。


「閣下!」


 呼びかけてくる声に視線を向ける。声の主は、長年連れ添った作戦参謀のガームリヒ大佐であった。


「どうやら敵軍は、我らに気付かれずに近づきたいようですな。その意味するところはつまり……」

「奇襲か」


 俺の返答に、御明察とばかりに頷くガームリヒ大佐。そして、意気消沈している情報参謀に問い掛ける。


「ケッター中佐、敵軍はいったい、どの辺りまで近づいてきているものか? 君の意見を聞かせてくれないか?」

「はっ、はい! ……リーブラを発った時、敵軍は騎士に傭兵、それから徴発したと見える市民兵の混成軍だったとのことです。軍団の構成から予測される進軍速度では……順当にいって、我が軍の野営地より南に五〇〇マルス。無理をして、三五〇マルスといったところでしょうか」


 筋道立てて説明する情報参謀のケッター中佐。

 そんな彼の推測に、ふむ、ふむと頷きながら、更に問い掛けるガームリヒ大佐。


「仮に南に三五〇マルスの距離であったとしよう。考えられる敵軍の襲撃はいつになるだろうか?」

「この距離ですと、敵が急げば、夜明け前に野営地を来襲される恐れがあります」

「なるほど、なるほど。閣下、私もケッター中佐の意見に同意します。今晩、奇襲を警戒すべしと具申します。如何でしょう?」


 そう言って、こちらに向き直るガームリヒ大佐。

 ふん、相変わらず気遣いの上手い男だ。この男がいなければ、気が長いとは言えない俺に、いったいどれほどの部下がついてこれたものか。


 何とも、良き幕僚に恵まれたものだ。そんな腹心の部下の声に、重々しく頷く。


「俺もケッター中佐の意見に重きを置くべきと考える。南の哨戒網を密にせよ。さらに、夜間交代制で南側の防備を固めるのだ」


 警戒に越したことはない。軍勢の数・質、共にこちらが優勢なのだ。万一負けがあるとすれば、それは奇襲ぐらいのものだろう。

 なれば、その可能性を摘むよう行動するべきだ。


 俺の発した命令を受け、一斉に頭を下げる幕僚たち。そして、頭を上げると、己の職分を果たすべく、それぞれが慌ただしく動き出す。


 俺はそんな部下たちを尻目に、地図を見下ろしたまま黙考する。

 現在、野営をしているのは、だだっ広い平野部だが、ここより少し南に下れば、西に大森林、東にも大きな湖と、両者に挟まれる地形となる。


 マグナ・アルルニア両国国境から、リーブラに真っ直ぐ伸びる主要街道の中でも、最も狭くなる道程だ。

 つまり、軍隊が進軍する道は限定される。

 これまで主要街道を外れ、索敵を逃れてきた敵軍だが、ここからは気付かれずに我が軍に近づくことは不可能だろう。


 念を入れ、哨戒網を密にした今、それは間違いない。 

 ならば、奇襲など恐るるに足らん。相手に気付かれればそれは、最早奇襲でも何でもない。


 むしろ厄介なのは……。地図上の主要街道上に指を走らせる。そして、ある一点で指を止める。

 大森林と湖に挟まれた地形、その出口に敵軍が布陣していた場合だ。


 狭い地形では、満足に大軍を展開できない。

 実際に敵軍と刃を交えるのは、先頭に立つ一部の部隊のみということになる。

 こちらにとって、大軍の利点を活かせず、敵にとっては寡兵で守り易い地形ということになる。

 無論、厄介とはいえ、我が軍の勝利は疑いようもない。しかし、いくらかの出血を強いられることを覚悟しなくてはならない。


 ……遥かに劣る敵軍相手に、消耗戦など面白いものではないな。

 ふん、と鼻を鳴らす。


 ましてや、敵軍を破って終わりなのではない。少なくとも、後詰の本軍が到着する前に、リーブラぐらいは陥落させねばな。

 そうでなくては、あの忌々しい女に何と言われるか……。


 ぎりっ、と歯ぎしりを立てる。拳を強く握り締めた。

 あの毒婦め! 新王に取り入って、増長しおってからに!


 怒りに腸が煮えくりかえる。机を破壊したい衝動を、何とか抑えた。


 ……これ以上、あの女にでかい顔をさせてなるものか。そのようなことは許されない。

 そのためには完全な勝利を。些細な失敗すら、するわけにはいかない。


 ふー、と一つ大きく息をする。そうして肩の力を抜くと、地図から目を離す。

 思わず熱くなってしまった。少しは、年相応の振る舞いというのを心掛けようと思ってはいるのだが……。

 生来の性格というものは、そう簡単に矯正できないもののようだ。



 少し休憩がてら、風に当たろうと、天幕の外へと出る。

 天幕を出て、真っ先に目に入ったのは、見事な夕陽であった。しばらく、その光景を眺める。


「閣下」


 見入っていると、聞き慣れた声に呼びかけられた。


「何だ、ガームリヒ大佐?」

「いえ、見事な夕日ですな」

「……ふん、こんなもの珍しくもあるまい。今までも、そしてこれからも、幾度となく見る風景にすぎん」


 少し気恥ずかしくなって、夕日から目を離すと、そのように言った。


「おやおや、閣下は風流というものを、お分かりにならないようですな」


 嘆かわしいと言わんばかりに、わざとらしく首を振るガームリヒ大佐。

 何が風流か、この大馬鹿者め。

 軍人らしからぬ、その容貌を睨みながら言い返す。


「黙れ、大佐。武人にそのようなものは不要なのだ。武人が知るべきは、兵法と、国家への忠誠心のみよ」

「おお、なるほど! 閣下の金言、このガームリヒ、しかと心に焼き付けましたぞ!」


 またもや、わざとらしいほど大袈裟に返答するガームリヒ大佐。……というか、紛れもなくわざとだ。

 どうやら、良き幕僚に恵まれたという、先程の考えは改めねばならないらしい。

 

 

 そんな風に考えながら、今にも大佐の首を捻じ切らんとする両手を、理性を総動員して抑えつけたのであった。


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