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酒罵微忘碌  作者: 久世
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妖怪スナック 中編

 その妖怪スナックには、ボトルも入れ、名前も覚えてもらっているはずのほやほやのうちに、早く2度目の訪問をすべきだったが、なかなかその勇気を出せずに少しだけ日が進んだ。ママとチーママである真琴さんには覚えてもらったであろうとはいえ、常連客のほとんどには面通しができていないわけなので、サッカーW杯予選でいうところの完全アウェイとは言わないまでも中立国でのアウェイゲームぐらいの緊張感は存在する。それぐらいに地域密着の地元スナックの敷居は高い。


 2戦目に挑むに向けて、目標を定めた。


《真琴さん(もらった名刺で漢字を把握した)の連絡先をゲットすること》


 普通、地元のスナックなんてところは、会社帰りにふらっと寄って、酔って、良いってもんだけれど、目標を真琴さんに定めたからには僕の意識はいやがおうにもたかぶる。


 一張羅をバシっとキメて、ガソリンを胃袋に流しこんでから、少々血流がよくなるのを感じ取ったのち、夜の戦場へ足を運ぶ。一張羅と言っても、小綺麗なシャツにジャケットを羽織る程度のことではあるが、普段着でふらっと寄るのとは全く心持ちも変わってくる。ただ飲みに行くのではなく、きちんとした明確なゴールが存在し、それに向けてアクションするのだから僕にとっては夜のお仕事である。


 2回目の訪問から、3回目、4回目ぐらいになると、ようやく構えることなく入店できるぐらいにはホーム感は出てくる。常連客の中にも、「またあの人だな」とお互い認識しあえるぐらいの人もちらほら出てきたし、客同士での会話を楽しめる余裕も生まれてきた。


 僕は割と策士であり、良い人、良い客を装い続けることが多い。装い続けられるのだから、それが本質なのかもしれないけれど、意図的にそうしている部分は確かに存在する。お客ではあるけれど、店に迷惑をかけるような振る舞いはいくら酔いが回っていても自重できるし、変な客があれば店側の目線にたって、いくぶんか配慮した行動を取る。


 たとえば、酔客がやたらと別の客やチーママにことさらに絡んでいたりすれば、雰囲気を見つつ、その絡み先を自分に向けて回収するように仕向けたりとか。そういうものは周りも察してくれるようで「さっきはありがとうね。あのお客さん、酔いが進むといつもああなのよ。助かったわ」なんて、言葉をぽろっとこぼしてくれるようにもなる。


 特に内輪に入り込みたいというわけではないが、表面上の接客を受けて暴れ回って自分だけ気持ちよくなって帰るよりも、ある程度礼儀正しく打ち解けて飲める方が楽しみが大きい。


 そういうふうに取り繕ってはいるので、真琴さんの連絡先狙いではありつつも、ギラついた感じで言い寄ることはしない。酔ったおじさんのママたちへのセクハラはスナックでは一定の市民権を得ている行為でもあるけれど、僕にとっては、そんなことはもってのほかだ。


 スナックなので指名のようなシステムがあるわけではなく、行けば必ず真琴さんとおしゃべりができるわけでもない。しばらく通っていると、他にもチーママが三人ほどいることを知った。中堅どころの女性がひふたり、最近働き始めた女性がもう一人。三人とも外国籍で、日本語としてはカタコトより少し上手な程度だったが、スナック用語的には饒舌だ。店内の状況によっては、外国籍のチーママとしかおしゃべりできずに帰ることも多かったが、それでもご近所住まいという地の利を生かして幾度もチャレンジした。


 ちなみに、スナックの価格は安い。数千円払ってボトル一本入れておけば、酒代はママやチーママにごちそうする分も含めてその代金のみだし、あとは時間制の安いセット料金が発生するお店もあれば、そこのお店に限っては時間制限なしで何時間でも居座ることができた。ダラダラと長い時間くっちゃべりながら呑みたい人間にはとても心地良い空間だ。


 さて、タイミングタイミングで真琴さんとの会話機会も得られるにつけ、彼女がわりと漫画やアニメヲタクだということは早い段階で把握した。当時、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開が直近ということで、それをことさら楽しみにしているようだった。


 一方で、10代後半から20代中盤にかけて、バンド活動しかしていなかった僕はアニメや漫画というジャンルにはまったくもって疎かった。それこそ、アニメは子供の頃に観た地上波のキン肉マンや聖闘士星矢、おぼっちゃまくんにドラゴンボールZと言ったところぐらいまでが守備範囲で、漫画はというと、ちょうどONE PIECEの連載が始まった頃にジャンプの毎週購入をやめたのを記憶している。


 そんな話を彼女にも伝えていたのだけど、ある日唐突に僕は口走った。


「真琴さん、ヱヴァの破、一緒に観に行こうよ」


 きょとんとした顔をされたのをよく覚えている。


「え、観たことないんでしょう?」

「うん。今から追いつくから」

「え? でも、私、初日の朝一の回とかに行くと思うよ」

「うん。ついてく!」

「追いつけたら考えるわ」


 やっかいな客だと思われただろうか。文字で書くと、ギラついた感じで誘っているようにも見えるけれど、僕お得意の半分冗談として受け止められても良い程度の雰囲気で、その実、真剣にハードルを超えていく作戦でもある。とにかく、第一歩、あるいは半歩ぐらいは前に進むための布石は打っておかないも、いつまで経ってもことは進まないし、このために僕は良い客を装っていたのだ。良い客風の範疇として受け入れられる程度には多少の図太さも混じえなければ、本当にただの良い人間で終わってしまう。


 有言実行の男たる僕は、地上波全編と旧劇場版、新劇場版:序までを短期間で一気観した。付け焼き刃なのは否めないが、重要なところはメモを取り、wikiを調べ、暗記もした。彼女とのトークになんとかついていけるぐらいの最低限の情報量で十分だし、わからなかったことは復習すればよい。予習、実践、復習。この繰り返しだ。


 当初、半分冗談として受け止めていただろうし、当然のように訝しげに僕を見ていた彼女も、健気にもちゃんとエヴァトークをアップデートしてくる姿勢にキュンと胸打たれたかは定かではないけれど、大事な「新劇場版:破」には、実際に一緒に観に行く約束をしてくれた。


 夜の妖怪スナックを起点とした、とても健全な人間活動だ。

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