再生
「……嘉睿、感謝する」
ヴィンスはふらふらと彼の前へと歩むと、血の絡んだ声を出した。彼の身体がゆっくりと動きだす。
懐に潜り込むような馬歩冲捶の足捌きから把子拳、頭部狙いの寸勁、さらに腰を落としつつ身を捻り拳を突き出す。
震脚、拳がさらに一寸伸びて巌の如く固定される。
嘉睿のそれと酷似した、[猛虎硬爬山]であった。
嘉睿は苦笑した。
「私は弟子を取った気はないぞ」
「あんたは俺の師匠だよ」
「ふん、二撃目の入りが甘いな。怪我が治ったら教えてやるよ」
嘉睿は槍の穂先を拾いあげると、昇降機へと向かった。ヴィンスはその後ろ姿に深々と頭を下げた。
ヴィンスが昇降機を降りていくと、係官と兵士の脇にブリジッタが胸に手を当て、泣きそうな顔で見上げているのが見える。
「ヴィンス!」
ブリジッタが叫ぶ。
ヴィンスの口から少し掠れたような声が出た。
「ここは選手以外立ち入り禁止なのでは?」
「さすがにこの状況で来るなとは言えますまい。特別に許可していますよ」
係官が答える。
「もう!そんなことより……」
昇降機が停止すると、ブリジッタが駆け寄って何か言いかけ絶句する。
ヴィンスの胸を今も穴が貫通しているのを眼前にしたからである。
ヴィンスはブリジッタの頭を撫でようとして、その手が血まみれなのに気づき躊躇する。
ブリジッタは中途半端に上げられたヴィンスの手を抱きしめた。血がブリジッタの頬を汚す。
「大丈夫だ。死なないよ。今、肋骨の代わりに〈念動〉で胸を固定して広げている。肺も血流も、全て〈念動〉でちゃんと動かしているから」
「んなばかな……」
横で見ている兵士がうめいた。
「治せないの?」
「いや、治せる。ただ想像以上に反魔術師はしんどかった。魔力ガッツリ減っていてね。〈再生〉使う前に魔力補充しておきたい」
「待ってて!」
ブリジッタは部屋に走って戻ろうとして、この空間の入り口付近の廊下に佇んでいたダミアーノから荷物を受け取る。中から取り出すのは、先日の悪食竜の血を使った霊薬だ。
販売するもの以外に自分たちの分もいくらか確保しておいたのだ。
「魔力回復の方だけで良い」
ブリジッタは硝子の瓶を渡す。〈保存〉の術式が瓶自体にも中身にもかけられたもの。
見ている係官が息を呑む。あれ一本で自分の年収を軽く超えるものだ。
「ありがとう」
ヴィンスは霊薬を飲む。竜の血から作られているとは思えぬ透明な液体。ぐいっと飲むと腹の当たりが熱くなり、魔力が満ちてくる。彼は体内で魔力を循環させた。
「〈再生〉」
胸の穴が塞がりはじめた。
ヴィンスはふう、とため息をついた。
ブリジッタは不安げな指先でヴィンスの胸に触れようとする。
ヴィンスはブリジッタを抱きしめながら昇降機から降りた。
ブリジッタがヴィンスの胸にそっと頬を寄せる。
ペキペキと骨の動いていく音、肉が動いていく振動が伝わってくる。
「鼓動が聞こえないわ」
「そこまですぐは治らないよ。大丈夫、心臓は筋肉だから内臓の中では治しやすいほうだ」
「んなわけねー……」
兵士のぼやきが空間に響く。
「医務室は?」
ダミアーノが声を掛けた。
「行かない。ベッドに横にされてうっかり治り切るまでに俺が寝てしまうと不味い」
ダミアーノは頭を掻いた。
「どれくらいかかるんだ」
「数時間だろ。完治なら半日。普通ならもちろん起きてられるが、これでも疲れてるからな」
「ブリジッタ、今日は1日ヴィンスについていろ。寝かすんじゃないぞ」
「う、うん!」
「あと2人とも水浴びして血を落としてこい。んで後でちゃんと風呂に入れ。組合に風呂も出来たが、それで街中歩かせるわけにはいかんからな」
2人は頷く。
「ヴィンス」
ダミアーノがヴィンスをじっと見上げる。
「良い決闘だった」
「ありがとう」
貴賓席に並んで座る2人の少年少女が呟く。
「兄様負けちゃった」
「ヴィ兄様負けちゃったね」
ウィルフレッドとイヴェットは顔を見合わせる。
「……アルマが言ってた勝てない相手ってやっぱり彼だよね」
「じゃない?今日は観に行くって言ってたもの」
ウィルフレッドはぐるりと観客席を見渡す。
「どこにいるかわかんない」
「うーん、ちょっとまってね」
イヴェットが目を瞑って深く意識を鎮めた。彼女の指が一点を示す。
「あっち」
ウィルフレッドには小柄でフードを被った人物がちらりと見えたような気がしたが、すぐに人混みに紛れてしまった。
「なんで分かるの?」
「ウィルよりアルマといっしょにいる時間が長いからかしら?」
継嗣としての教育のため、父ユリシーズや家令についている時間が増えたウィルフレッドに対し、イヴェットは母トゥーリアと共にいる時間が長く、それはアルマと共にいる時間が長いことを示す。
だが、この闘技場の数万の観客から1人の魔力を知覚するのは並大抵の技ではない。
「アルマはなんでぼくたちと一緒に観ないんだろう?」
「お母様が来ないからじゃない?」
トゥーリアが闘技場に足を運んだのは昨年の最終戦の時のみだ。その時、アルマは付き従っていたが、わざわざ〈幻影〉の術式で耳を隠していた。
エルフは確かにスティバーレ王国でも珍しい。それでもアルマは伯爵領にいるとそのまま出歩くのに、王都ではほとんどタウンハウスから出ず、出たとしてもフードを深く被るなど姿を隠そうとするのだ。
「まあ、でも兄様楽しそうだった」
「それなら良かったのかしら?」




