嘉睿戦・決着
〈念動〉術式で全ての骨と肉を正しい位置に固定する。そして同じく念動の一種である〈操り人形〉、さらに〈跳躍〉。間合いを取って左手で〈治癒〉の魔法文字を描いて胸に当て、右の拳を構えるところまで。
それと〈治癒〉を多重発動、さらに〈血液増加〉〈覚醒〉の術式。
つまり気を失うと後方に跳躍して間合いを取り、治癒魔術をかけつつ気絶を回復させるという組み合わせだ。
嘉睿がもし振り返らなかったら。魔術が封じられた圏内にいることとなり、これは発動しなかっただろう。
そのままとどめを刺されていたら死んでいた。
だが嘉睿はヴィンスに致命傷を与えていた。常人なら即死、魔力により防御力の高いヴィンスであっても心臓を突かれ噴血した状態だ。まさかそこから動くとは思わなくても無理はない。
「不死身か……?」
再び拳を構える。そうして死闘が再開した。
この戦いを見ている実力者たちはふと気がついた。
客席の上位の決闘士たち、魔術師、戦士たち。当然、この決闘をひっそりと見ているアルマも。
ヴィンスの動きが時間を追うごとに洗練されていくことに。
戦うその場で八極拳の要諦を掴んでいくのである。
それは乾いた大地に根を張る巨木が、慈雨を受けて花開かせる様すら思い起こさせた。
「恐ろしい男だ」
無論、嘉睿こそヴィンスの腕前が上がっている事を一番分かっている人物と言える。目の前で見ているのだから。
ヴィンスは答えず、にやりと笑った。
「次に戦うと私はもう勝てぬかもしれんな。だが……」
今なら勝てる。いや、今殺す。
「絶招は耐えたぞ、だがまだ上がある顔をしているな」
……竜を屠る技を以って討つ。
屠竜之技という言葉がある。はるか古代、紀元前の思想書、『荘子』は列禦寇篇にある言葉。
ある男が千金を費やし、三年をかけて竜を殺す技を完成させるも、生涯それを使う機会は無かったという故事。無用の技術という意だ。
だが。
今に生きる武人の心に浮かぶ想いはただ一つだ。
竜がいない時代に産まれるとは残念だったな!
今季の開幕、ヴィンスとブリジッタが悪食竜を討伐する戦いはもちろん彼も観戦していた。
彼の心に去来するのは称賛と妬ましさである。
自分があの悪食竜を討伐できるかというと厳しいだろう。
少なくともヴィンスのように耐えることなど誰にもできやしない。
だが、竜に挑む機会を得られるなら。そこでの死など何の問題があろうか。
竜を倒すことは困難である。だがそれ以上に竜に挑む機会を得るのは困難なのである。
武術家は竜を屠るがための技を磨き、そしてそれが通用するか試す機会を得る前に老いるのだ。
目の前のこれは竜殺しの人間だと思っていた。だがもはや竜殺しの化け物とみなすべきだ。今、それを使おう。
闘技場を縦横に動いていた2人が、開始位置、中央付近へと戻った。
ヴィンスの右の拳が突き出される。
ボクシングのジャブにも似た素早く、だが利き腕を前にしているため重い拳だ。
嘉睿はそれを拳で迎撃する。
その動きは[猛虎硬爬山]の初撃、馬歩冲捶からの拳。ただし開手、掌打であった。
ヴィンスの手が骨まで響く威力で強く弾かれる。
竜の鉤爪を弾く一撃。
嘉睿はヴィンスの懐に入り、胸の中央、壇中に二撃目の寸勁を開手のまま[鉄砂掌]で撃つ。軽く叩いているように見えて勁を徹し、岩をも砕く技だ。
竜の鱗を罅割る一撃。
そして三撃目は頂肘。人体の部位で最も硬い肘で当たる。
竜の鱗を砕く一撃。
ヴィンスの胸が陥没してその身が吹き飛ぶ。[猛虎硬爬山]、必殺の連撃を完遂してなお嘉睿の動きは止まらない。彼は地に突き刺さしていた槍、六合大槍と呼ばれる、3mはある長柄の槍を掴んだ。
「ヅエェェァッ!」
それを手の中でまわすと、狙いを定め、まるで投擲するかのように全勁を込めて突き出した。
八極拳の動きは槍術の動きである。
竜の肉を穿つ一撃。
――これぞ我が屠竜之技!
ヴィンスの腕が交差受けに動く。その動きは頭部を護る動き。
しかし槍はヴィンスの心臓の上、胸に大穴を開けて貫通した。
百舌鳥の早贄の如く。槍が1mほど彼の身体を貫通している。
だが彼は膝すらつかず、その足は地面を捉えたままだ。
「決闘士ヴィンス!」
審判が駆け寄ろうとする。ヴィンスの手が持ち上がる。
右の手のひらが審判を拒絶した。
槍が完全に背まで貫通している状態でヴィンスは拳を構える。
虚ろな焦点の合わぬ榛の瞳が、それでも嘉睿を見つめている。
槍が炎に包まれた。柄が燃え落ち、胸の大穴が露わになる。
ヴィンスの胸から間欠泉のように噴き出す鮮血が、びちゃびちゃと砂を染めた。
「そこまで!」
審判は一瞬躊躇したが、その声が闘技場に響いた。
嘉睿の全身は汗に塗れていた。漢服は破れ上半身は剥き出し。その両の腕は指先から肘まで真紅に染まっている。全ては返り血だ。
一方のヴィンスは全身が血塗れであった。彼の周囲の砂地が広範囲にじっとりと血を吸い、錆色に染まっている。
「勝者、嘉睿!」
歓声が上がる。
私は本当に勝ったのか?
嘉睿は思う。
気功で覆われているはずの彼の手は、幾度の打撃に痺れ感覚がない。拳の骨も折れているやも知れぬ。
そして魔力も尽きかけている。立っているのは虚勢に近い。
ヴィンスの瞳がふ、と焦点をとりもどした。
自分の正面にいる審判にぽつりと尋ねた。
「……負けたか」
「ええ、あなたの負けです。決闘士ヴィンス」




