断罪
「なっ……」
「麻薬成分が僅かにふくまれるもの。けむりを吸うと意識がめいていするていどのものであり、無論これ自体違法ですが、重い罪ではない。
……ただ、あなたが精神系術者なら話がかわる」
ピーノは初めて貴族というものの手の長さを知った。そして知った時にはもう手遅れなのだ。
ピーノが何も言えずにいるとウィルフレッドは続ける。
「魔術師くずれ、軍の魔術師養成機関を途中退学。精神操作系術者としての教育を受けているなら重い罪になるのはご存じですね」
精神を操作する上位術式、〈魅了〉や〈隷属〉は国際的に禁呪である。極めて限られた場合、対魔族の尋問などにしか使用が認められないものであり、ピーノが扱えるはずも無い。
彼が習得しているのは精神操作系のより下位の術式であり、判断力を一時的に低下させるようなものだ。
それら術式を人へと使用することも罪であり、それを麻薬や酒と併用して行うのは罰金では済まされない重罪となる。
「き、貴族ごときに平民の何が分かるってんだ」
ウィルフレッドは不思議そうな表情を浮かべる。
「わかりませんよ、わかるはずがない。逆に言えばあなただってわたしのことをわかってるとでもいうのですか?
そうですね、例えば魔力容量については才能が大きいでしょう。ですが、魔術を覚えるのは全て努力によるものです。あなたが養成機関にいた時の成績を見ましたが、当時のあなたより11さいのわたしの方があつかえる魔術の数が多い。……あなたは勉強をまじめにやったことあるのですか?」
あまりにも尊大な物言いである。
魔術を覚えるのだって頭の出来も違えば幼少からの教育にかけられる時間や金といった、才能や出自によるあまりにも大きな差がある。
そんな反論がいくらでもピーノの中に浮かぶが、それはウィルフレッドの蒼の瞳を見た時に全て掻き消された。
彼の瞳の奥にある魔力に、知性に、自信に。
彼は自らが全力で学んだ上で今の自分があることを全く疑っていない。
豊かな才能も恵まれた家庭環境も全ては下地であり、その上で全力で積み上げたものがある。それは例えば同年代の貴族令息の誰にも負けないという自負であり、その上でさらに高く積み上げる途上なのだ。
それは彼が尊敬する兄や偉大な父の背に追い縋るため。努力などそのための手段に過ぎないのであった。
「さあ、もういいでしょう。どうつぐないます?」
ピーノが再び黙り込み俯いたため、ウィルフレッドが尋ねた。
「ザ、ザイラ嬢に補償を……」
「いえ、それは求めません。彼女はだまされた側でもありますが、自省してもらわなくてはなりませんから。
彼女がうかつであるからヴィンスやロドリーゴ氏にめいわくをかけた。
ただ、彼らは彼女をゆるし、いっしょうけんめい記者として仕事することでつぐないとした。それが守られる限り、わたしはとやかく言いません。
……ですがあなたは別だ」
怯えて俯いていたピーノが正面を、ウィルフレッドを見据える。
その瞬間、卓上に置かれていた薔薇の切り花が爆発的にその蔓を伸ばし、ピーノの腕と首に絡む。
花瓶が卓上に倒れ、鈴のような声が響いた。
「それいじょう、魔力をこめてはだめよ?」
ウィルフレッドの隣に座り、茫洋と話を聞いているのかすら分からなかった少女。
その翠の瞳が爛々と輝いている。
「ころしてしまうわ」
今、ピーノがウィルフレッドを見た瞬間、ピーノの中で魔力が高まったのだ。何か精神系の魔術を使って状況を打開しようとしたのか、感情に任せて思わずなのかは分からない。
だが、黙って話を聞いていたように見えたイヴェットは、ピーノが魔術か暴力を行使しようとすることだけを警戒していた。
ピーノの首の皮膚を棘が突き破り血が垂れる。
彼の魔力が霧散した。
それを感じて薔薇の蔓がその戒めをゆっくりと解いていく。ウィルフレッドが口を開いた。
「あなたはわたしを害そうとした。殺されても文句はいえませんね」
「あ、う……」
「3つせんたくしをさしあげます。
1つ、ここで死ぬ。
1つ、あなたを告発したうえで、王都新聞をスカンディアーニ・ローズウォール・ブトゥーの3領への持ち込みを禁ずる。
1つ、あなたが仕事を辞め、魔封じの首輪をつけて2度と王都とこれらの地を踏まない」
ピーノは崩れ落ちるように地に手を突き、頭を下げた。
そうして魔封じの首輪をここでつけさせられる。奴隷用の外せないものを。そして引き立てられるように出て行った。
しばし部屋を沈黙が支配する。表で彼が馬車に乗せられる音、カラカラと馬車の去る音が部屋に響いた。
「あー……つかれた」
ウィルフレッドは椅子の中をずり落ちていく。
「ふふ、ごくろうさま。ウィル」
その夜、ヴィンスの元に1通の手紙が届いた。
そこにはウィルフレッドによる字でこう書かれていた。
『トルメッゾの別荘に植わっていた難波薔薇は我が最愛に植え替えました。蜜蜂たちも喜んでいるようです。
ラツィオの黄薔薇は決闘士の胸を飾るには相応しくありません。切り花として南方へと運ばれるでしょう』




