喜べない勝利
ヴィンスは真の魔術師というものを知っている。それは魔導伯たる父ユリシーズであり、クィリーノら宮廷魔術師である。
広域殲滅魔術に代表される彼らの魔術の強大さに比べれば、なんのことがあろうか。あれは都市部での使用が国際的に禁じられているほどのものだ。
こんな闘技場を覆う程度の術式にこれほどの時間をかけるのか。
ヴィンスは上位の風術師というものを知っている。それはつい先日彼と戦ったチェザーレである。
戦いは一瞬で決着がつきヴィンスが勝利したが、あれは僅差の戦いであった。大気の圧縮、風を剣に纏わせることで絶大な破壊力を有し、風に乗ることで高い機動力も有していた。
彼はそれを一瞬で発動してみせたのだ。
確かにこの〈竜巻斬〉はチェザーレの〈嵐の目〉よりエネルギーという意味では上回っているのかもしれない。
だが発動にこれほどの時間をかけていては。
チェザーレが相手なら詠唱の間に100度斬られていただろう。逆に彼が詠唱に同じだけの時間を掛けていれば、闘技場は消し飛ぶに違いない。招嵐術士ともなればそれくらいはやってのけるはずだ。
なるほど、かつてアルマがすぐにA級に上がるよう言ったのはこれか。とヴィンスは思う。
B級は中途半端に魔術師的な意味での力量が上がり、そのせいでC級より詠唱時間をかけてしまいがちなのだろう。
ヴィンスの身体に無数の風の刃が当たる。だがそれは全てヴィンスの体表で弾け、彼の身体を傷つけることが叶わない。幾重にも重ね掛けられた防御の魔術を抜けないのだ。
ヴィンスはゆっくりと前傾し、筋肉が膨張、一気に加速。
「〈突き〉」
ヴィンスの右手を起点に竜巻が切り裂かれ、飛び出したヴィンスはその勢いのままアンドレアの盾を貫き、鋼の胸鎧に指を突き立てる。
そのまま紙でも破るように鎧を引きちぎった。
「こ、降参だ!」
アンドレアは地面に尻餅をつき、杖を手放す。
「そこまで!勝者ヴィンス!」
風がやみ、ヴィンスが拳を掲げるのに観客が称賛の声を送る。
ヴィンスは地下の控え室へと戻った。
「おめでとう!」
「おう、やったな」
ブリジッタとダミアーノが声を掛ける。
エンツォとチェザーレはここにはいない。白銀の野牛立ち上げと訓練に追われているのだ。
「おう」
ブリジッタと手を打ち鳴らす。
「ふん、余裕の勝利も不機嫌だな」
ヴィンスはブリジッタからタオルを受け取ると顔についた砂を拭う。
「そうだな……だめだ、髪にも砂が入り込んでるわ。ちょっと洗ってくる」
ヴィンスは控室を後にした。
「なんで不機嫌なの?」
ブリジッタはダミアーノに尋ねる。
「決闘の相手が弱いからさ。楽に勝てて良かったと思えないんだよ、あいつは。
……変なやつだぜ。いかにも紳士って所作もできるくせに闘士の魂を持ってやがる」
ヴィンスは共用の水浴び場へと向かう。決闘士たちが傷口や付着した血を洗う場所だ。水は流れ、清潔でもあるがそれでも血臭は漂う。ヴィンスは手甲、脚甲を外し、中に入った砂を落とす。
「後でちゃんと分解しないと軋んで仕方ないな」
全身鎧ではないからマシではあるが、それでも手首、足首の関節部分に砂が詰まるとどうしても軋み、動きが悪くなるのだ。
――なぜ俺は勝ったのに不機嫌なのか。
ヴィンスは自問する。
「よう、竜殺し、勝利おめでとう」
「ああ」
「流石だな、圧勝じゃないか」
「ありがとう、そちらは?」
「ああ、勝ったぜ。辛勝ではあったけどな」
「良かったじゃないか。おめでとう」
「ありがとうよ、痛てて、んじゃお先に」
名も知らぬ決闘士に声をかけられる。こちらは知らなくても向こうは当然竜殺しを知っている。こういうことが増えた。
彼は全身に何箇所も傷を負い血を流していたが、深傷と言うほどのものでは無かった。
傷を痛がりつつも、それでも満足そうな笑みを浮かべて出ていく。
ヴィンスは壁際の棚に防具を置き、その上にタオルを乗せた。
腰巻きを外し、一糸纏わぬ姿となる。
腰巻きを叩いて丁寧に砂を落とす。長い髪を束ねる紐も解いて棚に置く。
逆の壁、水が壁の上部から滝のように流れ落ちているところへと向かい、頭から水を被った。
地下水がヴィンスの頭を冷やしていく。
――分かっている。相手が弱いことに失望しているのだ。
去年はまだそこまで感じることはなかった。別にこの1年でヴィンスの力量が跳ね上がったからという訳でもない。
だが、竜とチェザーレという強者と連続して戦ったために、その落差に失望しているのは間違いない。
そして、B級以上の時間をかけて魔術を練り、ぶつけ合う風潮が、強化術士というヴィンスの戦法に噛み合いすぎているのである。
そしてB級程度の平均的な魔術の威力では、ヴィンスの守りを抜けないのだ。
「だめだ、このままでは強くなれない……」
ヴィンスは水に打たれながら呟く。
彼は気づいていない。
自分が決闘士になったのは爵位と名誉を求めてであったことを。
そして竜殺しという名誉は既に得ており、男爵位ならもはやそれを利用すれば直ぐに手に入ることを。
彼は気づいていない。
自分の目的が変わっていることを。
なぜそこまで強くなることに拘っているのかを。
強くなって何に勝ちたいのかを。
そして彼は気づいていない。
彼が唯一勝ちたい相手が、牙を研いで立ち塞がろうとしていることを。
決戦まであと半年である。




