不戦敗と一勝
その後、ヴィンスは順位戦の開幕戦、第1節に出られなかった。
闘技場受付のジュディッタが、申し訳なさそうに眉を寄せて言うには。
「闘技場の規約として四肢喪失以上の怪我をした場合、2週間の出場停止となるんです」
「つまり初戦が不戦敗となると。怪我が完治していても?」
「はい、申し訳ありません。一般的に〈再生〉術式で欠損再生した場合、10日ほどかかりますよね?
かつて完治していないのにごまかして出場させての事故や後遺症の悪化が絶えなかった時代がありまして」
なぜ完治しているのかと呆れたような視線を向けられ、ヴィンスは肩をすくめた。
「仕方ない。大人しくしていよう」
だが、ヴィンスの周りは慌ただしいのであった。
まずは取材、そして貴族からの社交の誘い。竜の素材の売却の打診。
取材は順次受ける。これは仕方ない。社交や売却は全てローズウォール家に投げた。
2つばかり、出る必要があると言われたパーティーにブリジッタを伴い出席した。
そのブリジッタはC級初戦に出場した。
ヴィンスもこの1年、多くの決闘士たちの戦いを観戦し、学んできた。
その彼から見て、ブリジッタは決闘士としてそこまで強くはない。
C級なら優位に勝ち進めるだろう。だがB級以上では苦戦するのではないか。そう思う。ブリジッタの破壊力、特にあの流星落としという技は極めて高い。
だが対人で当てるのは無理だろう。
観客が多い。C級の決闘とは思えぬほどに。
「黄金の野牛所属、斧闘士・重力支配者、ブリジッタ!
そしてこうも言えましょう、ブリジッタ・竜殺し!」
アナウンサーが彼女の名を呼び、ブリジッタは巨斧を棒切れの如く頭上で軽々と振り回すと観客が湧く。
そして対戦相手はそれに怯えたような視線を向けた。
ブリジッタの身長は平均的な女性程度である。それは決闘士の大半が男であり、また体格にも恵まれた者が多いこの環境においては極めて小柄に映る。
それがああも巨大な武器を軽々と振る様は、なるほど華がある。
そして悪食竜との戦いは全ての決闘士たちも見ていたであろう。
対戦相手にとって当たればただでは済まないのは分かっているし、竜殺しの二つ名を聞けばその威力も恐怖として思い起こされる。それは彼女にとって有利に働くのだ。
ブリジッタはのびとびと戦い、最終的には対戦相手を砂地に沈めた。重量を増した戦斧の面で上から叩き潰したのだ。
ヴィンスたちは彼女の勝利を祝った。
そしておそらく、この時期最も忙しかったのはダミアーノであろう。
ヴィンスとブリジッタの試合、社交やらの調整や大金の管理、それに伴う各種契約という仕事が発生したのは勿論だし、押し寄せる取材やファンたちを捌く必要もあった。
ちなみにファンを管理するために公式のファンクラブを立ち上げ、ファンクラブの中で管理させる体制を構築したという。
ヴィンスとブリジッタは顔をしかめたが、瞬く間に会員の番号が4桁になったと聞いてため息とともに感謝の言葉を告げた。
それらが一斉にこの天幕に押し寄せたら恐ろしいことになると容易に想像がつくからだ。
そして何より彼の手を煩わせたものがある。
組合への加入希望者たちだ。
去年、ヴィンスがC級で活躍していたため、バルダッサーレ戦の後ぐらいからわずかではあるが希望者は来ていた。
だが黄金の野牛が無限の複合獣に睨まれているという話はラツィオの決闘士たちの間では有名である。
その話をして追い返していたのと、特に悪食竜が闘技場に降り立ってからは希望者はぱたりと途絶えた。
しかしここに来て周囲の予想を裏切っての竜への挑戦での勝利である。
また、ヴィンスとインノチェンテが交わした、『今後無限の複合獣は黄金の野牛に不干渉である』という話が新聞に掲載されたこと。
インノチェンテが行方不明であること。
これら要因が合わさり、連日、決闘士になりたい若者たちが列をなすのだ。
「元B級決闘士、教練士エンツォ。いくぞ」
もはやエンツォは天幕の前に立ち、門番のような趣である。
1日に何度もこの声を聞くが、何だかんだ言ってエンツォは強い。
実のところこの空間は闘技場の間合いよりも狭いので、碌に詠唱の時間が取れない。ちょっと魔術が使えて半端に武器が扱える程度の者だとエンツォには敵わないのだ。
ほとんどの加入希望者はエンツォに木剣を抜かせるほどの力もなく、エンツォに魔術を使わせた相手は1人もいない。
「くそっ、お前ら誰も加入させない気かよ!ずりぃぞ!」
今もエンツォの拳に沈んだ若いのが引き摺り出されていく。
「これから決闘士になろうってのに俺みたいな老いぼれに勝てないんじゃ話にならねえよ。まずは養成所で学んでこい」
どさり、と敷地の外へと追い出される。
ぱちぱちと拍手。
毎日エンツォが何戦もやっているので、その見学者やそれ目当ての物売りまで出る有様であった。
ヴィンスの練習を見学しているファンクラブの女性からタオルまで差し出される。
今日はそこに声が掛けられた。
「よう!エンツォの伯父貴、元気そうだな!」
「……チェザーレか!」




