ドレスアップ
今日はガーデンパーティーと夜会をどちらも行うという滅多にないスケジュールの主催である。
ガーデンパーティは気さくなものであり、デビュッタント前の少年少女を連れた家族なども多い。妙齢の女性が比率的には少なめで、彼女たちは夜会一本に絞って今頃は家で支度に余念がない事だろう。
ブリジッタもそう、ここにはいない。今頃大変だろうとヴィンスは同情する。
ヴィンスの周りを取り囲む兵士たちが、剣や槍、槌を持ってヴィンスへと全力で攻撃を仕掛けた。
その全てを避けることなく身体で受け止める。
金属同士がぶつかり合うような甲高い不協和音が響き、どよめきがおきる。
〈鋼の肌〉などの防御術式によるものである。
ヴィンスは掌で剣を握り潰し、槍の柄を膝で叩き折り、槌を拳で叩き割った。
観衆たちからの拍手。
美しい服に身を包んだ少年たちがキラキラとした瞳でヴィンスを見つめる。
ヴィンスは紳士の礼を取った。
微笑みを浮かべる裏で自嘲する。式典の後は見世物かと。
面倒なものだとは思う。だがこれが自分の選んだ道だし、決して嫌という訳ではない。
ガーデンパーティーが終わると急いでタウンハウスへと戻って風呂で汚れを落とし、髪を整えて丁寧に梳る。そうして今朝完成したばかりの礼服を持つフェリーチェのもとへ。
ヴィンスは鏡の前、純白のシャツに袖を通し、トラウザーズを穿く。
黒の蝶ネクタイを締めて位置を整えると、後ろに立つフェリーチェが持つジャケットに袖を通した。
共布に包まれたボタンを止める。
「良くお似合いで」
「ああ、ありがとう」
ジャケットは雌鹿革が如き柔らかな手触りの羅紗織、胸元の下襟は上端が尖った剣襟。
深い闇を思わせる落ち着いた墨黒の礼服の中で、蝶ネクタイ、拝絹が施された下襟、それとトラウザーズの両脇の側章、革靴のエナメルが夜会服らしく艶かしい光を照り返す。
「後はこれを」
胸元には白麻のポケットチーフ、腰には金鎖の懐中時計。袖にはサファイアのカフリンクス。
ヴィンスはそれらを身につけると、鏡に全身を映して微笑んだ。
「完璧です」
ふあぁぁ、とフェリーチェは大きく欠伸をした。
「そりゃ何より。あっしは眠いんで、これで失礼しますよ。もう歳なんでね、徹夜仕事は堪えますわ」
ヴィンスは頷き、身体を動かす。体にフィットする作りでありながら一切動きを妨げない。部屋の中を歩き、壁際へ。
「フェリーチェ親方」
「なんです?」
ヴィンスは隠すように置かれていた、紙に包まれた瓶を手渡した。
「俺からの感謝の気持ちです」
フェリーチェの口角が上がった。手にしたのは赤ワイン。ラベルには楽譜が描かれ、シスタームーンの文字。
「ふん、あんた職人ってもんを良く分かってるよ。ヴィンス卿、ぜひ今後ともご贔屓に」
「俺にはあなたの服なんて手が出せないぜ」
「今はまだ、だろ。あんたがA級へと昇格し、うちで新しいの作ってくれるのに期待しているよ。
そう遠くない将来にね」
こうして握手を交わして別れた。
部屋を出ると、扉の前で控えていたアルマが瞠目する。
「これはこれは、大した男ぶりで」
「ありがとう」
「むむ、彼女に渡すのが惜しくなる程ですよ。
……奥様は今少し仮眠を取っておられます。今はブリジッタ嬢の着付けが終わったところなのでそちらに」
ヴィンスがブリジッタのいる扉をノックすると、中から直前まで着飾っていたのだろう、お針子や侍女たちがヴィンスの横をすり抜けるように退出していく。
最後の一人がヴィンスに淑女の礼を取り、少し待っていると中から声が掛けられた。
「どうぞ」
ブリジッタの声だ。いつもとは違う、小さい、緊張をはらんだ声。
ヴィンスが部屋へと入り、扉を閉めずに先へと進むと、部屋の中央には一人の美しい令嬢が立っていた。
「どう……かな」
不安げに彼女は尋ねる。
普段、短く切られて少し跳ねている彼女の髪は整えられ、ウィッグで肩ほどの長さにまで伸ばされている。だが頭全体を覆うものではなく、彼女の特徴的な一筋の金の髪はしっかりと主張し、濡れ羽色の髪の中で一筋の流星のように主張していた。
いつも明るく愛嬌ある表情を見せるブリジッタであるが、今の彼女は緊張と戸惑いもあろうが静謐な印象。化粧も施され、濃紺の瞳はいつもより大きく、頬も色付き、輝いて見える。
「綺麗だ。ブリジッタ……」
ドレスは光沢ある瑠璃色の生地、彼女の瞳が魔力を帯びたときの色だ。形状は上半身から太腿までのラインが艶かしく出て、膝上あたりで華やかに広がるマーメイドライン。
全体に精緻な刺繍がなされてるのだが、首回りは白の透かし編みのみで覆われ、筋肉質な身体を隠しつつ清楚な印象を与えている。刺繍は胴回りの括れから腰の曲線に向かうにつれて銀糸で施され、瑠璃の海に輝く波濤の如き印象に。腰から下はヴィンスの髪色に合わせたような金糸で施され、熱帯魚の鮮やかな尾鰭のような印象を与えるグラデーションとなっていた。
彼女がぎこちなく笑みを浮かべる。
「ありがと、でもこんなヒラヒラしたの似合わないよね」
胸元には青地のシェルカメオのブローチ。三日月の下で抱き合う若い男女が透明感のある白で幻想的な浮き彫りに描かれている。
――夜明けの“月”の恋歌。
変わらぬ愛をうたう有名な恋歌をモチーフにした意匠だ。
「いや、あまりにも似合っていて……びっくりした。とても」
ヴィンスは彼女の前で片膝をつく。
「ブリジッタ。今の君はアドリア海に佇む、静謐なる夜の女神が如き美の化身。
今宵、その手を取り、エスコートする権利を恵んでいただけないだろうか」
「あ、あう……。はい」
「手を」
ブリジッタがそっと差し出すのは肘上まである純白の手袋に包まれた手。
日々斧を振り、硬くなった手も今は見えない。
ヴィンスはそれをそっと掬い上げるように持ち上げると指先に、そして手の甲へとそっと唇を落とした。




