職人は悟る
フェリーチェは机に型紙を広げると、猛然とペンを走らせる。
「あっしはこれ書いたら一旦工房に戻りますが、ヴィンス殿は何かご希望ありますんで?」
「そもそも何も聞かされずにここに来てるんだが、作るのは礼服?」
タキシードやディナージャケットとも言われる形状のものだ。
「ええ。ローズウォール卿からはどこでも潰しが効くようなの一着用意しろと伺っております」
貴族の男であれば相手のドレスに合わせた衣装や、権勢を表すように華やかな衣装を仕立てるものだ。
だがヴィンスは平民。それとしての最上位の衣装でどこでも潰しが効くとなれば黒の上下に白のシャツだ。エスコートする女性が何色のドレスを着ていても合う。
ただ、相手を考えれば……。夜会でイヴェットやブリジッタを伴うことはあるのだろうか?と考える。
「金の差し色ができるか?あとは翠と瑠璃色」
しゃっと紙の上をペンが走る音がしばし部屋を支配する。
「金に翠はここのお嬢さんだね。あと瑠璃色……ふむ、ポケットチーフとカフリンクスでちょうど良いの探しておきますか」
「ありがとう」
「生地はどうかね。羊毛の番手は30から100超えるのまで用意があるが」
「普通でいいよ」
「あっしはあんたのお父上のも仕立ててるが、ブリテンの生地で番手の低いのを好んでいるよ」
「へぇ。……どこで気づいた?」
フェリーチェは手を止めず苦笑した。
「あんた仕立て屋に身体を測られた経験があるだろ。服を仕立てることなんざ王侯貴族か豪商の出さ。平民の振りするには姿勢も所作も良すぎるし、その上でローズウォール卿と良く似ているとくればな」
ヴィンスは髪をつまむ。
「似ているか?同じ金髪とはいえ色褪せているし顔立ちも似ているとは思わないが」
「素人さんには分からんでしょうがね、骨格と筋肉のつき方がそっくりなんですよ。
あと番手なんて言葉、庶民は知らないさぁ」
番手とは糸の太さの単位だ。羊毛を撚り合わせてどの程度まで細く伸ばした糸を使用しているかという意味であり、糸が細くなるほど番手の数字は大きくなる。
細い糸で織られた布は柔らかく肌触りも良い一方で耐久性は下がる。
糸を紡ぎ、織る自体にも魔術による補助が必要で有り、保存にも魔術がいる。
最高のものはブリテンの大魔術師、ロビンソン夫人が金魔羊か絹糸吐き蜘蛛の糸を織った生地というが、服1着で軽く城が立つと言われる。
だがこれらは平民には必要ない知識というものだ。
「なるほど。反省しよう」
「ま、お客様の秘密を漏らさないのも仕立屋の矜持ですんで、ご心配なさらず。また仮縫いの時にお邪魔しますわ」
そう言って紙を丸めて急ぎ部屋を後にした。
一方その頃、黄金の野牛組合の前には再びローズウォール家の馬車が停まっていた。
「あ、あたしをですか!?」
天幕に女の声が響く。
ブリジッタをローズウォール家に招くためである。
「は、そのように伺っております」
ローズウォール家の従僕が頭を下げる。女性を迎えると言うことで隣には侍女も控えていた。
「おい、ブリジッタ」
ダミアーノが困惑する彼女を手招きする。
迎えの者たちから少し離れさせて耳打ちした。
「悪い話じゃない。というか絶対に行くべきだ」
「ムリよ、お貴族様なんてムリムリムリ。失礼して首刎ねられちゃうわ!」
「それはヴィンスがフォローするだろ。それにローズウォール伯は辺境を護る武闘派だ。北方の冒険者や荒くれ者達とも共闘することを厭わないと聞く」
それは彼が貴族らしくない、新興の貴族ではないため誇りがないなどと多くの貴族達からは貶される点ではある。だが、しょせんは強者・成功者へのやっかみにすぎない。
伯自身や、真に力ある貴族にとって気にすることではなかった。
「ならいいけど……行くべきってのは?」
「インノチェンテだよ」
ぴくり、とブリジッタの肩が揺れた。
「お前は無限の複合獣組合に狙われてるんだろうが。向こうにいる間は奴らも手の出しようがない」
「そうだけどその間だけ安全でも……」
「その後もだ。別にローズウォール伯がお前を後援するんじゃなくても、目を掛けたとみなされるんだよ。そうすりゃインノチェンテには手出しが出来なくなる」
そもそも調教師組合という大組織がブリジッタに直接手を出せないのは、決闘士が建前として全て王の配下であるためである。
だからこそインノチェンテは黄金の野牛組合を瓦解させるよう圧力をかけていたのだ。
「ホントに?」
「余程の奇策でもなきゃな」
だが、王の配下といっても王や王家が直接C級の決闘士を見ているわけではない。大貴族が直接後援者となるのはまた別の重みがある。
特にローズウォール伯の領地である北方は南の新大陸に次ぐ魔獣の捕獲地域だ。無限の複合獣としても事を構えて関係を悪化させたくはないのだ。
「でもいいのかな、そんな利用するみたいに」
「馬鹿か、呼んでるのは向こうだろうが」
「そっか」
ブリジッタは振り返るとローズウォール家の使用人に頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
侍女は頷いた。
「結構。ただ、わたしたち使用人に頭をお下げするのはおやめ下さい」
「う、……はい」
「では早速行きましょう。まずは服屋に寄るので急ぎますよ」
「ええっ」
ブリジッタは驚き、侍女はブリジッタを天辺から爪先まで眺め、わざとらしく鼻で笑った。
「タンクトップにホットパンツなどという破廉恥な格好のあなたを奥様の前に連れて行ったらわたしが首を刎ねられますからね」




