ティツィアーノ
ティツィアーノは42歳、15歳の時に決闘士となり27年。ヴィンスが産まれるより前からこの闘技場で命を賭けてやりあっていた男だ。
20代の時、彼がB級に昇格して2シーズン目。
6年かけてC級からB級へと昇格し、B級の1年目は4勝6敗と負け越しはしたものの、決して悪くない成績。
組合でも来季に期待されていたし、新聞でも評価され、後援者やファンもつき始めていた。
そして翌シーズンの初戦も勝っての2戦目だった。
彼が対峙したのは緑がかった銀髪をした、褐色の肌の女エルフ。
何の変哲もない鉄剣をそれぞれの手に力なく下げた構え。
ティツィアーノは愛用の両手剣を右肩に担ぐように構える。
女決闘士ということで慢心があっただろうか?小柄で体重はティツィアーノの半分もないだろう。
否、相手はC級全勝で上がってきたと聞いていた。気合も入っていたはずだ。
だが審判の「始め!」の声と共に彼女がこちらを見上げた時、その緋色の瞳に魂まで射竦められた。
女が声もなく、人の出せる速度とは思えぬ加速でこちらに迫る。術式を編む間も後退する間も無かった。
「ちぃっ!」
ただ、剣を振り下ろすしか出来なかった。上段からの重さも力も生かした得意パターンではある。だが腰の入ってない一撃にさせられた。
女は更に加速、剣舞士であるのに剣で受けすらしなかった。
ただ、彼の剣は虚空を泳ぎ、懐に入った女の剣はティツィアーノの左腕と右太腿を貫いている。
ぞっとするほど冷たい鋼の感触。女の唇が動く。
「弱い……」
「……ま、まちやがれ」
女はそれに答えず剣を引き抜くと、彼の腕はだらりと下がり、脚からは鮮血が噴き出した。あの一瞬で正確に腕の腱と大腿動脈を貫かれたのだ。
「そ、それまで!」
「強い、強すぎる!剣舞士アルマ、剣士ティツィアーノをまさに瞬殺だぁ!」
倒れゆくティツィアーノの耳に審判とアナウンサーの声。観客のどよめきと歓声、罵声が響く。
目に映るのは噴き出る血を避けもせず、こちらを虫でも見るような無表情で見下ろす女。
くるりと踵を返し、おざなりに右手の剣を掲げて観客の声援に応えると昇降機へと向かった。
その年はそれから負け続けた。なんとか後半に2勝もぎ取ったものの3勝7敗。
別に悪くはない成績と組合長も言った。後援者も応援を続けようと言ってくれた。
だが酒に溺れた。
素面でいると、ふとした時にあの赤い瞳を思い出し、身体が震えるのだ。
翌年は2勝、次は1勝。ファンも後援者も段々とティツィアーノを見限り離れていく。
アルマという女は破竹の勢いで連勝を続け、無敗のまま頂点へと立っていた。そしていなくなった。
ティッツィアーノは20代中盤から30にかけての決闘士として最も脂の乗る時期を酒に溺れ無駄に過ごした。
そしてついにはC級に降格する。B級に昇格した時に結婚した女は、C級への降格が決まった日、彼に何も言わず子供とともにいなくなった。
その時はまた酒に荒れたが、酒が抜けた日に思い出した。
最後に見た妻の顔は青く腫れていた。
酔って手を出したのだ。決闘士の自分が。
決闘士が一般人に暴力を振るうことは重い罪だ。
彼女はそれを告発せず、ただ立ち去ったのだ。それが彼女の最後の慈悲、彼はそう解釈し、酒を断った。
しかし落ちたC級でも勝ちきれない。5割を下回る勝率。
訓練を怠った身体は重く、酒に溺れた頭は魔術の精度も下げていた。
誰もがティツィアーノは終わったと思った。だが、彼は決闘士を続ける。
他の生き方を知らないのだ。
酒に溺れ、夜の街で作った借金は時間をかけて返済した。
残った僅かな金もほとんど使いはしない。
ただひたすらに身体の衰えに抗い、勘を取り戻していく。
それでも簡単にB級に舞い戻れるほど甘い世界ではなかった。
決闘士には定年制度がある。
決闘士が闘技場を去るのに一番多いのは死亡または重い怪我による引退、次いで自発的な引退宣言、そしてC級からの降格。
定年が問題となることは滅多にない。だが連続10季C級在位は引退せねばならないという規則があり、今年、ティツィアーノはその年を迎えていた。
彼は愛剣の先端を落とし、短くした。
剣の構え方を、右肩に担ぐような構えから頭上で持ち上げるような構えへと変えた。
刹那の差でも、初撃の剣速を高めるために。
それが功を奏したか、覚悟が力となったか、最終戦を前にここまで7勝2敗。
彼がC級に落ちてから最高の成績だった。
今期の全体の勝ち星から考えて8勝すればほぼ間違いなくB級に返り咲ける。7勝だと無理だ。引退となる。
組合長が彼に告げた。
「ティツィアーノ。最終戦の相手が決まった。
……ここまで全勝の新人、黄金の野牛組合のヴィンスだ」
黄金の野牛と聞いて、彼の魂の奥底が震える。
あの時のエルフの女、後に北斗七星アルマと呼ばれた女のいた組合だ。
「あー、なんだ。ヴィンスはもう9勝して昇格が確定しているし、浮かれているかも……」
「否」
ティツィアーノが黙していたため、組合長が彼を鼓舞しようとして続けた言葉を遮った。
ティツィアーノも当然、勝ち残って来ている者達の戦いは見ているのである。
「あの少年はそんな凡百の決闘士ではあるまいよ」




