それから
この場は明らかにヴィンスにとって不利である。
アルマはその魔術によって武器を何処でも取り出せるが、ヴィンスは完全に無手であったこと。
エルフは種族的に夜目が効くが、ヴィンスは〈暗視〉のために術式を1つ使う必要があったこと。
そして闘技場の屋上の縁という足場の悪さ。ヴィンスが動くには狭く不安定であり、一方のアルマにとっては……。
「はっ!」
アルマが空中を蹴って跳ぶ。
彼女の空間的な軌道は〈空中歩行〉や〈飛行〉ではない。全てはあまりにも卓越した〈念動〉の制御能力と身体能力によるものである。
アルマはかつて言った。
『単純な〈念動〉の出力で言えば、わたしなど大した術者ではありません。奥様、トゥーリア様を100とすればわたしは1あるかどうかでしょう。
ですが近接戦闘において〈念動〉をそれなりの力で、複数を、素早く、精密に扱うことに関してはそうそう負ける気はありませんよ』
アルマは自分の靴の裏が空中にあるうちに〈念動〉を一瞬だけかけているのである。足の踏み込む方向とは逆に。
彼女が卓絶した使い手なのは、この時に術式の出力と方向を自在に調整することだ。空中にありながら加減速も慣性を無視した動きも意のままであるのだ。
闇夜を切り裂くように飛び跳ねるアルマ。
さらにそれを追随し、ヴィンスへと斬り掛かる剣。
ヴィンスが右手で打ち払い、宙に浮く剣を叩き折るという絶技をみせても、その空間には即座に射出された別の剣が埋め、隙はない。
アルマは不規則な動きでヴィンスの背後を取る。小柄なアルマが空中を踏むことで、横薙ぎの一閃が頸動脈狙いの斬擊となった。ヴィンスはそれを避けるためには前に倒れ込むしかない。
どの攻撃を受けどの攻撃を避けるか、その避け方、踏み込む方向。ヴィンスの一挙手一投足の全てがアルマの支配下にあった。
結局、ヴィンスは屋上から4階席へと落下させられて、その落下中に四肢が剣で貫かれて地面に磔にされる。
アルマは落下するヴィンスを宙を走って追いかけ、その腰の上へと尻から落ちるように跨がってマウントポジションを取ると、首筋ぎりぎりに剣を突きつけた。
「……参りました」
「ふふ、1万と1敗目ですね。夜目が効かず、足元を気にしているようではこういった場所では勝ち目がありませんよ?」
全ての剣が虚空へと消える。
「はい。……〈血液増加〉〈治癒〉」
ヴィンスの傷から余剰の血液が噴き出して塞がり、血溜まりの上で身を起こそうとする。
アルマは彼を引き寄せて抱きしめた。
「ヴィンス、強くなりなさい。全てを暴力で押し切れるように」
「はい」
「わたしよりも強くなりなさい」
「…………はい」
アルマが身体を離し、彼女の緋色の瞳がヴィンスの榛色の瞳をじっと覗き込む。
「あなたの人生は困難に満ちていますが、恋もして良いのですよ」
「うん……でも」
アルマは笑う。
「我が弟子は真面目ですねえ」
アルマの顔が近づき、唇がヴィンスと重ねられた。
「人生を楽しみなさい、愛する弟子ヴィンス。
あなたに祖霊の加護あらんことを」
「愛する師アルマ。あなたに神々の加護あらんことを」
彼らの耳はカツカツと石の廊下を叩く足音を聞く。随分と騒がしくしていたのだ、警備の兵士も近づいてくる。
「そこにだれかいるのか!」
カンテラの灯りが2人に向けられた時、アルマは取り出したモップに腰掛け、高く宙を舞っていた。
ヴィンスは椅子に飛び乗り、そこから壁の上へと飛び移っていた。
2人は紅い月光の下、笑みを交わして別れる。
そして兵士の灯りに照らされたのは、残された大量の血痕のみ。
悲鳴が上がり、後にこの夏の夜の一件は闘技場の怪談として語られるようになった。
そしてその後、ヴィンスは闘技場にて第7節から第9節まで簡単に勝利を収める。
バルダッサーレに勝ったことにより、ファンも増えてきた。ただ、勝敗の賭けに関しては儲からなくなったとダミアーノから笑いながら文句を言われたが。
9連勝がヴィンスしかいなかったこともあり、この段階でヴィンスが来季B級へと昇格することは決定。
黄金の野牛組合の前にローズウォール家からの正式な馬車が訪れ、お仕着せを来た従僕から銀盆の上に載せられた封書が届けられる。
薔薇の紋章の印璽で封されたローズウォール家の正式な文書。
ヴィンスの後援者へと名乗り出るというものだ。ヴィンスはその場でそれを快諾。
この知らせは貴族や決闘士、王都の住民たちに驚きをもって迎えられることとなった。
そして秋、いよいよ今季の最終戦を迎えることとなる。
組合のテントの中、ダミアーノが言う。
「最終戦の相手が決まった。相手は獅子王剣組合のティツィアーノだ。
戦法は剣士・強化術士。お前と同じ強化術士とは言え、他の系統も使うが、どちらかといえば剣士メインと考えていい」
エンツォが天を仰いだ。
その仕草を見てヴィンスは首を傾げる。
「強いのか?」
「いや、今季7勝と調子は良いがお前の相手になるような奴じゃない。
単にエンツォと同期なんだよ。古参と言えば聞こえは良いが、老いぼれだ。さっと全勝優勝を決めてこい」
ダミアーノは表情に何も浮かべず淡々と告げた。




