告白
魔道書とは、ある意味で魔術師や決闘士にとって無価値なものである。その大半は全て脳裏に深く刻み込まれているものだから。
一方で自分の命より大切なものでもある。それこそが子孫へ、あるいは弟子たちへと継いでいくべき叡智の結晶なのだから。
故にそれを開きっ放しで置いておくなんてことはあり得ないのだ。
「ブリジッタ……」
「何なのよ!〈再生〉使えるってあんな形で伝えて……」
ぽろぽろと涙が頰を伝い落ち、ヴィンスの服に染みをつくる。
「あ、あたしみたいな奴隷の娘に同情して怪我を治してやるとでも言うの!」
「同情ではない」
「そんなわけない!だってヴィンス、あんたあたしに惚れたとかそういうんじゃないじゃないか!
……お前が追ってるのはアルマさんだけだ。あたしなんて目に入ってないだろう」
「アルマは……いや、俺がアルマに抱いている感情は大き過ぎる。恋ではない」
ヴィンスにとって彼女は恋の対象である以前に師であり、師である以前に家族であった。
そこに愛はある。
だがその愛がどういった種類のものであるのか、彼はそこに蓋をして名をつけていない。
「じゃあ何なんだよぅ……」
ヴィンスは寝転がったままブリジッタの襟首を掴むとぐっと引き寄せる。
「俺はまだ恋だなんだ言ってられないんだよ、ブリジッタ。それでもだ。
あー、えーとだな。ブリジッタ、お前を好ましくは思っている」
「勘違いするからやめてよ……。だってヴィンスはエンツォだってダミアーノだって好ましく思ってるだろ。仲間として」
「すまん……。でもな、俺はお前を助ける力を有しているのに、それを黙っているという選択肢は選べなかった」
「じゃあなんで直接話をせずに、こんな手段で伝えたのさ」
ヴィンスが表情を引き締める。
そしてブリジッタの耳元に顔を寄せた。頬と頬が重なる。
「ななな、なに?」
「このまま聞いてくれ、……俺の魔術には欠陥がある」
「……え?」
「秘密に……してくれるか?」
「うん……」
囁くようなヴィンスの声にブリジッタは頷き、頰が擦れあう。
「俺は一切魔力放出ができない。欠陥体質なんだよ」
ひゅっとブリジッタが息を呑む音をヴィンスは聞いた。
彼女の血の気が引くのが分かる。
決闘士として、あるいは魔術師としての致命的な弱点を明かされたのだから。
「ダメ、それは!言ってはイケない!」
「どうせいつかはどこかで漏れることだ。お前からならそれはそれで構わない。
そう思えるようになるのに半年かかったんだよ」
決闘士は上に行けば行くほど、能力を、弱点を知るために諜報戦すらなされるようになる。それは魔術的に精神を覗くことも含めて。
「ヴィンス……」
「いいか、俺は治癒術士がするみたいにお前の腰に手を翳して、〈再生〉、はい治りました。とはできないんだ。
だから、ブリジッタに〈再生〉使ってやれるとは口には出来なかった」
「じゃあ結局あたしに〈再生〉はかけられない……?」
ヴィンスは言い淀んだ。
「ブリジッタ、もしお前がそれを許すのであれば。
今日俺がやったみたいに、お前の腰に指を突き立て、接合がずれているか癒着しているであろう骨を削り取ってから、そこに手を当てて〈再生〉術式をかけることができる」
ブリジッタは今日の決闘の最後の光景を思い出す。
「成功率は?」
「失敗してもやり直しはきく。だから100%だ」
「なによ……それ……」
ブリジッタの身体から力が抜けた。
「腰に指突っ込まれて骨を折られるんだぜ、嫌じゃないのか?」
「そんなの平気よ。でも魔力足りるの?」
「俺の魔力は」
「待って!」
ヴィンスの言葉をブリジッタは遮った。
「ヴィンスまた秘密を打ち明けようとしないで。
あたしにはヴィンスの魔力が分からないんだけど、とにかく足りるのね?」
「ああ、充分に」
ヴィンスは肯定した。ブリジッタは絞り出すように言う。
「お願い……します。〈再生〉の適正な代金は来年以降のあたしの決闘で得た収入から払いますから。
……あたしの腰を治して下さい」
正直、ヴィンスの魔力量からしてみれば、〈再生〉術式にそんな金を取るような必要は感じない。
だがダミアーノが言ったように、ここで施しを与えることはブリジッタの誇りを奪うことになるだろう。
「分かった。そうしよう」
「ありがとうっ……!」
ブリジッタはヴィンスに抱きついた。
嗚咽と鼻を啜る音。
ぽんぽんとヴィンスは彼女を宥めるように背中や後頭部を叩きながら、天の河を眺める。
「感謝は治してからで良い」
「うう……だって……」
地面に仰向けとなっているヴィンスの上でもぞもぞとブリジッタが動く。
柔らかい胸や腰が押し付けられる。ヴィンスは身体の芯が震えるのを感じた。
「慎みがない」
「もー、反応くらいしてよ」
「お前は俺が反応しないためにどれだけの意識を割いているか知らないからそんなことが……やめろ、動くんじゃない」
ヴィンスはブリジッタを引き剥がしながら、腹筋の力で起き上がる。
「もー……キスしていい?」
「……親愛のものなら」
ブリジッタの唇がヴィンスの頰に寄せられて離れる。
えへへ、と彼女が笑った。




