バルダッサーレ戦・後
「ふふん、〈自動治癒〉ですか……。
何、あなたが苦しむ時が伸びただけですねぇ!」
ヴィンスはそれには答えない。
「〈幻影行進〉!」
闘技場の砂地が見えなくなり、まるでサーカスの舞台のような、派手な色彩の地面となる。そこには無数の炎の輪や風船、ボールなどが現れた。
なるほど、道化師の2つ名に相応しい術式である。
「ははぁ、行きますよ!」
何もない空間から無数の短剣が出現し、ヴィンスに迫る。
その全てがヴィンスに刺さり、掻き消えた。幻だ。だがその中に1つ本物が混じっていて、それは彼の首に刺さっていた。
次いで炎の輪が迫り、肌を焦がすが微動だにしない。鞭が振られ、肉が抉れてもだ。
ヴィンスは左手で〈血液増加〉の術式を用い、血が激しく噴出する。
しかし火傷も裂傷も傷を負うはしから、すぐに治癒していくのだ。
回避に手間をかけることなく、黙々と左手で強化術式を発動、重ねがけていく。
ヴィンスは首に刺さったままであった短剣を無造作に引き抜くと、バルダッサーレに投げ返す。それは鞭で叩き落とされた。
首からは勢い良く血が噴き出し、すぐに止まる。
「終わりか?そろそろこちらから行くぞ」
ヴィンスは話しながらも、左手で強化魔術を自身の身体に重ね続ける。
「貴様ぁ!なぜ立ってられる!なぜだ!」
「お前が俺に与えるダメージより、俺の回復量の方が多いからだよ」
「そんな訳あるか!そんな〈自動回復〉などあるはずがない!」
確かにその通りだ。それは長期戦で有用な、少しずつ傷が塞がっていく術式。いくら魔力量を込めても、ここまで早く傷の塞がるはずは無い。
彼が使ったのはそれより遙かに高度で莫大な魔力を使う術式、〈自動再生〉。
今のヴィンスは骨が折れようと四肢がもげようともその場で治る状態だ。
この術式を最初にアルマ相手に使った時、あまりの再生能力の高さに、アルマが辟易して負けを認めたほどだ。ヴィンスにとって初めてのアルマへの勝利をもたらした術式とも言える。
ちなみに翌日からモップではなく鉄剣で訓練が行われるようになり、容赦なくヴィンスの身体は斬り刻まれることとなったが。
「〈万華鏡〉!」
バルダッサーレの身体が鏡映しのように分裂し、無数に増えていく。
幻影の鞭が、短剣が、無数に分裂してヴィンスへと襲いかかる。
それは不可避の攻撃。
だが攻撃の手数そのものは増えていない。傷つけられても、それはすぐに治癒していく。
バルダッサーレは思考を巡らせる。ヴィンスがそこまでの治癒魔術に魔力を割いたというなら、幻影で翻弄し続ければ先に魔力が尽きるだろうと。
幻影は規模に反して魔力消費量が少ない系統だ。〈万華鏡〉で舞台を埋め尽くして行けば、奴の拳が自分までたどり着く事は無いと。
ヴィンスが拳を構える。
「〈突き〉」
ヴィンスは右拳を突き出して突進。彼の触れたバルダッサーレの幻影が何体も掻き消えた。
「お前のその右手……!
ただの威力と速度ある突きをしているかと思いましたがぁ、そうではありませんねぇ?」
バルダッサーレは熟練の幻術士である。彼の幻影は触れれば掻き消えるほど脆いものではない。
「〈解呪〉ですか……!」
「その通りだ」
ヴィンスの〈突き〉これは彼のオリジナル複合術式である。
彼の右手の中指には接触型の〈解呪〉が付与されている。あらゆる魔術的な護り、効果を打ち消す攻撃なのだ。
「〈解呪〉」
ヴィンスは術式名を口にする。右の足に接触型の〈解呪〉を付与し、震脚。
ダン!と地面を叩く音と共に〈幻影行進〉の術式が掻き消された。
幻影は1ヶ所が破壊されると、術式全体が綻びていく性質がある。
ヴィンスの足元に吸い込まれるように、サーカスの舞台のような幻は消え、闘技場の砂地が視界に戻ってきた。
ヴィンスはバルダッサーレの攻撃からは身を躱さず、幻影を次々と撃破していく。
そうして残り1人となったバルダッサーレと向き合った。
「ちぃっ!」
バルダッサーレが横薙ぎに鞭を振る。しかしそれはヴィンスに誘導された攻撃だ。
バシィ!と音。ヴィンスが左手で鞭の先端を掴んでいる。
軌道が分かっていれば、強化魔術を重ねたヴィンスにはもはや掴むことすら可能、ヴィンスの手のひらは破れ、血が零れ落ちる。だがその瞬間からヴィンスの傷は小さくなっていく。
ヴィンスが鞭を引いた。バルダッサーレは鞭が奪われそうになるのに抵抗する動き、しかしこれもヴィンスに誘導されている。
本来、〈筋力強化〉されているヴィンスが全力で引いたなら、バルダッサーレに抗する術はない。敢えて軽く引いたことによりバルダッサーレをその場に踏ん張らせ、動きを固定したのだ。
ヴィンスは一気に詰め寄った。右手を突き出しての捨身の突進。
その瞬間にバルダッサーレは叫ぶ。
「〈幻惑〉!」
ヴィンスの視界が歪み、視界が斜めに。三半規管が不調を覚え、身体が傾きかける。だが、これは訓練で想定済みだ。
体幹と地面を踏みしめる足裏の感覚を信じて前へ。
「〈突き〉!」
ヴィンスの声をバルダッサーレが耳に捉えた時、身を低くして飛び込んできたヴィンスの攻撃は既に終わっていた。
「あ?」
見下ろしたバルダッサーレの目が捉えたのは自分の右腰に突き刺されたヴィンスの抜き手。付与魔法で強化されたズボンが破れ、彼の手が見えない。バルダッサーレの腰に手首まで埋まっているからだ。
「あ、あ……」




