デビュー戦・後
セノフォンテが再び合言葉を唱える。
「襲え氷よ!」
今度は鷲の形状となった氷が高く舞い、それがヴィンスに向かって急降下。さらに術式を続けられ、虎の形状の氷が正面から迫る。
ヴィンスは落ち着いて後退。着弾のタイミングをずらして順に捌いていく。
アルマの剣の方がよほど速く、精密な動きで迫ってきたものだ。
実のところ、火炎などのエネルギーではなく、物質を射出してくる手合いは、ヴィンスにとって最も慣れ親しんだ相手なのである。
セノフォンテの射出しているのは氷なので被弾すれば体温が奪われる、凍傷などの効果はあれど、当たらなければどうと言うことはない。
ヴィンスが攻勢に出ようと前に。
「〈凍てつく壁〉!」
その刹那、セノフォンテの術式が発動する。
地面に散らばっていた氷の像の残骸。それが魔術の媒介となり、ヴィンスの周囲の空気が極低音まで冷やされる。空気中の水分が一瞬で凍結し、細氷が舞う。
ヴィンスはバックステップ。目の前で数mの規模で極低温の冷気の塊がわだかまり、ゆっくりと広がっていく。
「ちぃ、避けやがったか」
「セノフォンテ、やんちゃと聞いていたが随分と堅実な戦いをする」
「あぁ?バカにしてるのか?」
「いや?感心しているんだ」
「そうか……よ!〈吹雪の群れ〉!」
セノフォンテは構えを変え、右手の剣を〈凍てつく壁〉で構築した巨大な冷気の塊に向けた。冷気が狼のように牙を剥いてヴィンスへと向かう。
氷雪系の術士の中でも、下位の氷術士とその上位である極冷術士を分けるのは、単純な魔力量による出力と共に物質としての氷ではなく冷気そのものを操れるかということが大きい。
セノフォンテは魔力量の多い氷術士であろう。
だが、魔術剣の補正を受けて冷気そのものも操れる、思ったより厄介だとヴィンスは考える。
ヴィンスはこれを避けることもできた。
だが、敢えて吹雪に飲み込まれる。
「〈震え〉、〈発熱〉」
術式名を口にする。全身の筋肉を高速で震えさせる術式と、体温を上昇させる術式。
どちらかといえば弱体化や呪いに属する術式だが、ヴィンスの魔力量で出力を調整すれば低体温や凍傷に抗する効果も得ることができる。左手で魔法文字を描いて使用していた〈防寒〉の術式と合わせれば、ほぼ冷気を無効化できると確信できた。
セノフォンテは隙なく盾を構え、いつでも術式を撃てるようにしながら吹雪の中のヴィンスを見つめる。
まだ倒れる様子はない。
そもそも本質的に大型の盾を持った相手に拳で勝てる筈はないのだ。一般的に言って相性は圧倒的であると言える。
ヴィンスは射撃魔術を撃ってくる訳でもない。吹雪に呑まれた時を除き、魔術を詠唱をしている風でもない。
よってセノフォンテは自身の攻撃を相手に対処され続けていることに、イラついてはいたが、敵を寄せ付けていない。つまりこちらが押している、優勢であると思っていた。
否である。
ヴィンスは口頭での詠唱をしていない。だがセノフォンテから見えぬ角度で左手を用いて魔法文字を描き続けているのだ。それは今、吹雪に呑まれているさなかですらも。
〈加速〉〈筋力強化〉〈視力強化〉〈鎮痛〉〈魔力鎧〉〈素早さ〉〈韋駄天〉〈鋼の手〉〈鋭さ〉〈魔術抵抗〉〈防寒〉……。
強化術式は効果の持続時間がある。つまり間合いを取って攻撃を耐え続けられていると言うことは、それら術式が幾重にもヴィンスに重ねがけされていると言うことである。
「……行くか」
ヴィンスが呟いた。
その瞬間、砂地が爆発し、吹雪は吹き飛ばされ、ヴィンスの姿も掻き消えた。
それはただヴィンスが一歩、全力で前へと踏み出しただけ。ただ、地を蹴る力があまりにも強すぎて地面が吹き飛ばされたのだ。
見失うほどの速度で一歩前へ、10m程も先に着地して再度砂地が爆発。右手を突き出して捨身の突進。
「〈突き〉」
セノフォンテはヴィンスの声を聞いた。だがそれは騎兵が突撃槍で鎧を貫くが如き金属音に搔き消される。
右の貫手がセノフォンテの掲げる鋼の盾を貫いていた。盾の表面に描かれていたオッキーニ家の家紋の獅子を突き破っている。
「ひぃっ!」
思わず漏れる悲鳴。
盾の中央を突き破ったヴィンスの指は、そのまま盾を掴むと、その下半分を引き千切った。
セノフォンテは紙を引き裂くように破れた金属盾から腕を引き抜き、後退しつつ身体を回転。左半身から右前に変えつつ、右手の魔術剣をヴィンスに叩きつけんとする。
だが彼はその剣の軌道から余裕を持って身を躱す。剣の切っ先を見切ることができ、それより速く全身を動かせる以上、そんな斬撃が当たることはない。
そしてヴィンスの右手の突きがセノフォンテの腕を貫く。セノフォンテは剣を取り落とした。
「ああああぁ、畜生!」
セノフォンテが叫びながら左手で鎧の胸元を叩く。発生する青白い光。
やはりこれも魔術道具か!ヴィンスは思う。
「〈氷の短剣〉!」
本来なら魔力でナイフのように尖った氷柱を1つ作って射出する術式である。
既に近寄られ、盾も失われたため、氷属性の戦闘術式でも集中時間が短いそれを選択したのは理解できる。だが、現出したのは無数の氷柱であった。
これも魔術道具である鎧の効果によるもの。
セノフォンテを中心に全方向に氷柱が射出される。
ヴィンスは冷静に自分に向かってくるものを捌く。
体幹に刺さりそうなものは全て弾くも、全身を何本も掠め、鮮血が舞う。
だがヴィンスは構わずセノフォンテの懐へ入り、拳を握りしめて顎を打つ。顎の骨を折った感触。
ヴィンスは追撃の構えを解かずに一歩後退。
一瞬の静寂。
脳を強く揺らされたセノフォンテは糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
審判が右手を上げて高らかに叫ぶ。
「勝者ヴィンス!」




