デビュー戦・前
円形闘技場の地下、控室を出ると石造りの廊下が続く。
等間隔に明かりはあるものの冷たく、薄暗く、綺麗に掃除されていても消しきれぬ血臭、死の臭い漂う廊下。
そこを独り歩きつつ、ヴィンスは呟く。
「気の良い者たちだ」
寂れ、権力者に睨まれた組合だが悪くない。
大体この5年間、ほとんどアルマとしか話してなかったのだ。大人数の組合に入ったら人酔いしてしまったかもしれない。
籠手を見る。……良し。
薄暗い廊下を進み、突き当たりは床が迫り上がる形の昇降機。その前には槍を持ち武装した兵士と係官が立つ。
「黄金の野牛のヴィンスだな。ここで待て」
係官の声が石に反響して響く。
ヴィンスは頷くと、周囲を見渡した。
壁際には筋骨隆々とした男の像。
22柱の人類守護神が1柱、“力”の神像が飾られていた。
そうか、闘技場は“力”の加護のもとにあるのか。とヴィンスは思う。
ヴィンスはその前で跪き、胸元で力の魔術文字を描き、勝利を祈願する。
ヴィンスが立ち上がると、待っていたかのように係官が声をかける。
「……決闘士ヴィンス、時間だ。この上に乗れ」
係官は昇降機を指し示し、ヴィンスはその指示に従い、円盤の中央に立つ。
係官が腕を上げると、床に仕込まれていた魔法円が輝き、ゆっくりと音も無く昇降機は浮上していく。
上を見上げれば井戸の底にでもいるかのように。
切り取られた青空が段々と大きくなっていく。
青空が大きくなっていき昇降機が停止した時、ヴィンスは砂地の上に立っていた。
アナウンサーの声が闘技場に響く。
「黄金の野牛所属、打撃系格闘士・強化術士、ヴィンス!」
ヴィンスが拳を上げて見渡すと、そこは巨大なすり鉢状の円形闘技場の底であり、客席のまばらな観客がおざなりな拍手を送っている。
「対するは無所属、剣盾士・氷術士、セノフォンテ!」
ヴィンスに対するおざなりな拍手とは異なる大きな歓声。
ヴィンスは苦笑する。仕方ない、それだけ向こうに賭けてるのが多いだろうから。
ヴィンスの姿は腰巻をベルトで止めたものと、四肢に手甲と脚甲のみ。手首足首の甲側だけを守る物で、指先はあらわだ。
一方のセノフォンテは左手には盾、右手には剣という、いわゆる剣闘士スタイルに類似しているが、本質は大きく異なる。
まず盾が大きい。手で持つ小型盾ではなく、腕で固定する騎士盾だ。湾曲する金属盾の表面にはオッキーニ家の紋章の獅子が描かれている。
そして剣も極めて上等な品だ。魔力を伝達する杖としての機能もある魔術剣。
身に纏うのは金属製の胸当てや脚甲。
決闘士は剣闘士と異なり、装備品が同程度であるという規約がない。魔術道具の類も使用できると言うことであり、セノフォンテの剣は明らかに魔術道具である。ヴィンスの見立てでは胸当てもそうだ。
とは言え装備がほぼ完全に無制限となるのはA級からであり、C級、特に新人にはかなりの制限がある。セノフォンテの装備一式は明らかにその上限を超えているが、審判はそれを目こぼししているのか。
「おいおい、間違えて拳闘奴隷でも来たんじゃないだろうな」
セノフォンテがヴィンスに声をかける。
貴族らしい整った風貌ではあるが、表情や姿勢に品がないな。ヴィンスは思った。
「いや、決闘士だ」
「そんな貧弱な装備で大丈夫かよ?」
ヴィンスは拳を顔の前に。
「お前を殴り倒すには十分だ、問題ない」
「てめぇ……」
「静粛に」
砂地の中央に立った審判が声を発する。
彼に装備品が不正であると伝えるべきか?……否。
アルマの言葉をヴィンスは思い出す。
『闘技場にいれば依怙贔屓や不正、審判の買収、闘技場外での妨害、その他予想外の事態が色々とおこるでしょう。
ですがヴィンス。全て暴力で押し切り、黙らせなさい』
彼の唇が弧を描いた。審判が手を挙げる。
「構え!」
セノフォンテは右足を一歩後ろに引き、盾を持ち上げた。
左前の半身。全身のほとんどが盾に隠れる構え。盾の上から彼の目だけがこちらを覗いている。
近衛儀仗兵の集団防御戦術の構え。
口元も杖も盾の裏に隠して並び、盾の上から眼だけがヴィンスを見つめている。
手堅い構えではある。
ヴィンスも右前の半身となって拳を前に。
5年間磨き続けた、フェンシングを元とした構えだ。
「始め!」
審判が腕を振り下ろし、その声とともにセノフォンテが後退しつつ術式を発動。
「襲え氷よ!」
魔術の名前ではない。合言葉を口にすることで、複数魔術を同時に発動できるようにしているのだろう。
セノフォンテの構える盾の裏で魔力が高まり、剣が青白く発光した。
周囲の温度が下がり、巨大な氷の塊が彼の横に現出する。それは見るまに変形し、獅子の形状を取った。
水晶のように美しくも獰猛な姿。
「行け!」
牙を剥く獅子の形の氷像がヴィンスに迫る。
ヴィンスは思う。〈氷作成〉と〈念動〉の類の複合魔法か。だが……。
ヴィンスは左手で〈筋力強化〉の魔法文字を描く。
「シィッ!」
ヴィンスの筋肉が隆起し、裏拳のように右手の甲で獅子の牙を打ち払った。
獅子の牙が折れる。
右手を返し、掌底で獅子の顎を撃ち抜くと顔面は砕け、その身体はヴィンスの前に倒れる。
〈生命付与〉されたのでないなら、結局はちょっと形に凝っただけの射撃術式だな。
ヴィンスはその場で手招き、セノフォンテを挑発した。
「てめえ……!」




