調教師組合
ヴィンスが書類に記入していると、足音高く革靴を鳴らして1人の男が入口に立った。
整えられた髭、撫でつけられた髪の中年の男。金糸で刺繍された華美な服装を纏うが、何処か軽薄さを感じさせた。
彼は受付を見渡すと、ダミアーノの方に向かった。
「ようダミアーノじゃねえか!」
「……インノチェンテか」
ダミアーノは顔を顰める。
ジュディッタがヴィンスに耳打ちした。
「無限の複合獣の幹部、インノチェンテさんです」
ヴィンスは思う。偶然?いや、自分たちがここに入ったすぐ後に出て行った男がいたなと。おそらく伝えにいったのだろう。
「どうするんだダミアーノ、お前のところ決闘士がいないだろう。誰か代理でも立てたのか?それともエンツォでも復帰させたのか?」
明るく、心配しているような声だが、目は笑っていない。明らかにダミアーノを見下していた。
「いや、新人が入った」
ダミアーノは親指でヴィンスを指さす。
インノチェンテの笑みが一瞬固まった。
「へえ、今更お前のところに入りたがるような新人がいるとは思わなかったぜ」
「お陰様でな」
インノチェンテはくるりと受付にいるヴィンスを見た。
「少年!いい身体してるじゃないか!
こんな落ち目の組合じゃあなく、無限の複合獣組合に来ないかね。待遇も良く、環境も充実しているぞ」
ヴィンスが書いた登録用紙を抱えたジュディッタが口を挟む。
「インノチェンテさん、登録と同じ季の移籍は規則違反です」
「今そいつを渡せばまだ登録されてねえだろう、ジュディッタ。その紙をよこしな」
「きゃあっ!」
インノチェンテがジュディッタに手を伸ばし、それをヴィンスが掴んだ。
「戦場に立つのでは無い女性に手を出すのは、高貴なる振る舞いとは言えないな」
「貴様!俺は無限の複合獣の幹部であり、俺個人も王国から準男爵の地位を頂く貴族だ。それに手を出したらどうなるか分かってるのかね?」
インノチェンテが手を振り払おうとするが、ヴィンスの手は万力のように動かない。
「ではインノチェンテ卿。貴族が無抵抗の女子に無体を働こうとした場合、平民がそれに抗して決闘を宣言する権利があることをご存じか?」
「なっ……、ハッタリだ!」
実のところ極めて珍しい、王国でも成立するのは10年に1度あるかないかという状況ではあるが、存在する法だった。
ただ、貴族として生まれた子は幼い頃に教えられるものだ。遥か昔、ヴィンスも母トゥーリアより教えられた。
「そ、それに決闘士や剣闘士の私闘は罪が重くなるぞ!」
インノチェンテの言葉にヴィンスが笑う。
「まだ登録されてないと言ったのは卿でしょう。ただの平民、ヴィンスと申します。お見知りおきを。
もうじき黄金の野牛所属のC級決闘士ヴィンスとなる予定ですが」
ヴィンスはジュディッタに目配せすると、「奥へ」と告げた。
ジュディッタは頷き、書類を抱えて受付のカウンターから距離を取る。
ヴィンスが手に込めた力を緩め、インノチェンテは、ちっ、と舌打ちして手を振り払った。
「後悔するぞ」
「生憎だが女性を庇って後悔するような教育は受けていない」
インノチェンテが受付から立ち去ると、屯していた決闘士たちから歓声が起きた。
決闘士登録からの帰り道、もう日は落ちかけているが、闘技場の内側は煌々と灯りがともされ、光と歓声が漏れる。
街路灯にも魔術師見習いの学生が〈光〉の魔術をかけて回り、家々からは炊事の匂い。
ヴィンスはダミアーノに話し掛ける。
「ブリジッタの怪我もあいつらのせいか?」
「怪我してると分かるのか?日常生活には支障がなくなってるのに」
「そもそも彼女が今季、登録しないのならそういうことだろう。
それと、歩いている時の歩調が僅かに乱れていた。腰かな」
「……ああ、その通りだ」
ふむ、とヴィンスはしばし考える。
「そもそも恨みをかってるのも彼女に関係あるのか」
ダミアーノの足が止まる。
「なぜ分かる」
「元々はもっと人数がいたのだろう?既に組合が追い込まれてるのにまだ嫌がらせを受けているなら、まだ原因が残っているからだろう」
ダミアーノは再び歩き始める。
「まあそうだ。理由は教えんぞ」
「なぜだ」
「お前もアルマの件を秘密にしているからだ」
ヴィンスは肩を竦めた。まあ、もっともではある。
「さっきジュディッタさんに聞いたが、ダミアーノたちは悪いことをしていないと」
ダミアーノは頭を搔き、溜め息をつく。
「まあそうだな。権力あるのに睨まれるバカな真似したとは思うが。
だからお前も逃げてもいいぞ。その時は組合を畳むだけだ」
今度はヴィンスが足を止める。ダミアーノが振り返った。
「逃げないよ。逃げることはない。
俺はアルマの弟子だ。10歳の時から5年近く、アルマを師と仰いできた」
5年だと……!
ダミアーノの目が驚愕に見開かれる。仮にも決闘士の頂点に立った女が、餓鬼を5年もかけて育て上げたというのか!
ヴィンスはいたずらっぽい笑みを浮かべ、手を広げて言った。
「なあ、ダミアーノ。アルマならこういうとき何て言った?俺には彼女の声が聞こえるんだ。
抗いなさいと。そして……」
「「全て暴力で押し切り、黙らせなさい」」
ヴィンスとダミアーノの声が揃った。




