P-081 布が出来た!
俺達がラビー狩りから帰って来ると、サルマンさんの奥さんとシグちゃん達はまだ経糸をセットしている最中だった。
ルーペを使っても、かなり細かな作業らしい。俺とレイナスでは間を飛ばしそうだから先ず無理な話だ。
一段落したところで、ファーちゃんがお茶を入れてくれる。今日の作業は終わりらしい。
「明日には全て通し終えますよ。どんな感じに織れるかは分かりませんが、少しは織ることが出来そうです」
「毎日申し訳ありません。これは今日の獲物です。スープの出汁にでも使ってください」
サルマンさんの奥さんに、そう言って丸々と太ったラビーを1匹渡した。俺達に出来るのはこれ位だからな。
「まあ、立派なラビーですこと。主人の好物ですから喜びますわ」
お世辞でも、そう言ってくれると嬉しいな。
「できれば、シグちゃん達が織れるまで様子を見て下さるとありがたいんですが……」
「それは考えてますからだいじょうぶですよ。織ながらの作業も色々あるんです。でも、細かな作業ですから、もう1つルーペがあると良いですね」
俺とレイナスは顔を見合わせて頷いた。
すでに雑貨屋に頼んであるから、そろそろ手に入るかも知れない。
予想を上回った、4日間も費やしてどうにか経糸を通すことが出来たようだ。
5日目の朝。ついに織機が動き出した。
最初は丁寧に、サルマンさんの奥さんが織機を動かして調子を見ている。1時間程動かしてどこにも異常が無いことを、シグちゃん達と細部に渡り点検をしている。
あの細い経糸だからな。切れてないかと心配そうに見ていたぞ。
それが済むと、本格的にサルマンさんの奥さんが織機を動かし始めた。
トントンカラリ、トンカラリ……。
懐かしい音が俺達がパイプを楽しんでいる外まで聞こえてくる。
ゴミやホコリは厳禁らしいから、機織りをしないときは、織機を布で包んでいる。
そんな事は想定してなかったから、パイプを楽しむ俺達は普段は追い出されてしまうんだよな。
「俺達はハンターを誇りにしてるが、ホコリの塊だとは言われたくなかったぞ」
「だよな。まあ、冬の間だけだろうから我慢するしか無さそうだ。もっと寒くなったら、隣の番屋で漁師さん達と一服することになりそうだけどね」
シグちゃん達3人で織機を動かしても1日で織れる長さは30cmも無さそうだ。織り始めて3日も経つと、夜中までシグちゃん達が機を織っている。
単調なリズムを聞いていると、ここに障子があったら何て思ってしまう。
障子の向こうで鶴が機を織っているのを聞いた若者も俺と同じようにちょっと寂しい気持ちを抱いたんだろうな。障子を破って覗いたのも、興味というより頑張って機織りをしている娘さんを気遣っての事に違いない。
「どうしたんだ? ジッとシグちゃんを見てたけど」
「ああ、ちょっと昔話を思い出してな。……こんな話なんだ」
絵本で読んだ昔話をお茶を飲みながら話し終えると、サルマンさんの奥さんが涙ぐんでいた。
「初めて聞きましたが、そんな話もあるんですね。その中にどれだけの教訓が含まれているか……。でもね、恩返しはどんな時にも見返りを求めてはいけませんよ。それに、親切心の裏を探ってもいけません。たぶんそれを伝えたかったんでしょうね」
「それを知ってるから、お前も布を織ろうとしたんだな。だいじょうぶだ。ファーやシグちゃんが鳥に化けることは無いと思うぞ」
思うだけなのか? と言ってやりたいけど、常に見てるから大丈夫だろう。
「織り始めて5日目ですが、すでに6D(1.8m)程の布になってますよ。このまま織り続ければ、1っか月と少しで目標の40D(12m)になるでしょう。でもね、体を休めることも必要です。5日織ったら1日休みと言うことで進めましょう」
サルマンさんの奥さんが提案してくれた。
確かにそうだよな。俺とレイナスは冬の定番の罠猟を始めたんだが、シグちゃん達はずっと交替しながら織り続けている。
「そうですね。たまに休むのは賛成です。明日はのんびりお風呂に入って休んでもらいます」
俺達にニコリと微笑むと、サルマンさんの奥さんは帰って行った。
だいぶ遅い時間だけど、旦那さんであるサルマンさんは何も文句を言わないそうだ。
「あれだけ好き勝手に生きてきたんですから、たまに私が自分の好きな事を初めても文句は言えないんですよ」
そんな事を言ってたけど、サルマンさんの意外な事実を知った感じだったな。
シグちゃん達が織機を丁寧に布で覆っている。
それが終わったところで、2人でお風呂に向かったようだ。冬場は結構遅くまでお風呂が焚かれている。
絹織物の最中だから番屋を留守には出来ない。俺達はシグちゃん達が戻ってから出掛けるつもりだ。
織り始めて10日が過ぎると、いつの間にか見学者が集まって来るようになった。
漁師の小母さんや娘さん達なんだが、見学と言うよりも次の織手をサルマンさんの奥さんが見つける為のようだ。この村の産業として定着させるには確かに必要な事だ。
皆が、布の光沢に感嘆の溜息をついているけど、来年は自分達でと言う思いが俺にも伝わって来る。
20日も過ぎたころには何人かの娘さん達がシグちゃん達の指導を受けながら機を織り始めた。
サルマンさんがたまたま様子を見に来て、数台の織機を作ろうかなんて俺に相談してきた位だ。
機を織り始めて2か月近くたったころ。関係者全員が見守る中、サルマンさんの奥さんが織機から布を切り出した。
クルクルと丸めて、テーブルの上に鎮座した絹織物は、少なくともこの王国では初めての物に違いない。
「出来たな。滑らかで光沢がハンパじゃねえ。リュウイ、これをどうするんだ?」
「ガリナムさんの奥さんに進呈しようと思ってます。最初の品ですから値は付けようがありません。王都でもそれなりに交友範囲があるようですから、値段は向こうで付けてくれる筈です」
俺の言葉にサルマンさんが頷いている。
「確かに、販路を築くにはそれなりの対価がいるだろう。商人達も苦労してるんだ。ガリナム殿はローエル達高レベルのハンターを自由に再配している。王都でもハンターの筆頭に違いねえ。その嫁さんを使うってんだから、リュウイもやり手だな」
「私も賛成です。この布の値段が男性に分かるとは思えません。王都の有力者の奥方なら、正当な値を付けてくれると思いますわ」
「だけど、ファー達が2か月以上も苦労してんだぞ。タダって事は俺には理解出来ん」
「レイナス。俺の故郷にこんな言葉がある。『損して徳取れ』ってな。目先の利益ではなく、本当にそれが俺達の幸福につながるかを考えろって事なんだ。タダで上げても、それが評判になって高値で何倍も注文が来れば俺は十分だと思う。織機は高価だけど、それに倍する利益が継続するなら、漁師のおばさんや娘さん達だって助かるんじゃないか?」
「まあ、そうだな。ファー達に内職を世話してくれた位だ。恩返しは必要だよな」
あまり納得はしてないようだが、ファーちゃん達はしっかりと理解してくれたみたいだ。
「それだ! たぶん注文が舞い込んでくるに違いねえ。昨年のジラフィンで俺の懐も温かい事は確かだ。小屋を作って織機を置こうと思う。それが今年の目標だ」
「あなたにしては良い考えですね。私も賛成です。たぶん小屋は2つ必要ですよ。織るのも大変ですが、糸を紡ぐのはもっと大変な作業です。良くもリュウイさん達がこの経糸を紡げたと、初めて見た時に感心してしまいましたからね」
「先ずは2つの小屋だな。それはリュウイに頼めば良い。場所は俺が探してくる。明日の夜に隣の番屋だ」
「はあ……。分かりました」
全く、こんなことは直ぐに始めるんだからな。
それでも、ご主人を見ている奥さんは嬉しそうに微笑んでいる。
意外と、この村は漁師村でなく絹織物で栄えるかも知れないな。
翌日、絹織物を雑貨屋で丁寧に梱包して貰い、ギルド経由でガリナムさんの奥さんに送り届けた。後はどんな反応が帰って来るかだな。
シグちゃん達は織機を丁寧に布でくるんで、次の季節を待つつもりのようだ。
次は若葉が緑になったころでなくては材料が獲れないからな。今度はたっぷりと手に入れねばなるまい。
「それで、どんな小屋を作るんだ?」
「織機が4台置ける小屋と、糸を紡ぐ小屋になるな。糸を紡ぐ小屋はなるべく長く作りたい。横幅は布の長さが欲しいところだ」
「俺達も働けるのか?」
「男は無理だろうな。シグちゃんやファーちゃんなら、今回の全てを見てるんだ。ちゃんと働けるさ」
「冬だけでもそこで働かせたいな。俺達は罠猟で十分だ」
季節が良ければハンターとして暮らして、冬場は機を織るのか……。それも良いだろう。高レベルのハンターを目指すわけじゃなし、この村のハンターとして暮らすなら、森の獣の状況を考えながら冬越しの仕事があるなら確かに十分に暮らしていける。
「だけど、春は薬草を採らなくちゃな。それから森で繭を獲る。それで冬の仕事が出来るさ」
「たっぷり取ろうぜ。織機だって増えそうだ」
それも問題がありそうだ。あの時たまたま見つけたけど、森にどれ位の範囲で繭が取れるか、その量はどれ位かを調べる必要もありそうだ。
まあ、不足するなら他の村から購入すれば良い。それも他の村の活性化に繋がるだろう。
春の薬草採取に向けてザルやカゴの修理をレイナスが始めた。俺は終わった物を干すか、竹を削る位しか出来ないんだが、レイナスは器用だよな。
玄関先で日向ぼっこをしながらの作業は何となく春を感じるな。後10日もすればギルドに採取依頼が張り出されるだろう。
「リュウイ、誰か来たようだぞ」
手作業をしながらも周囲の状況が分かるんだから、ネコ族の勘は優れてるとしか言いようがないな。
「リュウイ様の家はこちらだと聞いてやってきたのですが?」
近付いてきたのはご婦人と若い男女のハンターのようだ。
ご婦人は着飾ってはいないが、上等の服を着ているし、あまり付けてる人を見たことが無い装身具をたくさん付けていた。トラ族の特徴のある顔はどこかで見たことがあるんだよな。若いハンターは人間族だが、俺達よりは年上の感じがする。レベルはたぶん俺達よりも上だろう。
「ええ、俺がリュウイです。どのような御用でしょうか? 俺達はハンターですから、依頼を直接受けることはあまりないんですが……」
「分かってます。主人から変わったハンターだと聞いてますよ。それで、ご相談があるのです」
とりあえず、番屋に入って貰った。
テーブルの形に驚いていたが、毛皮の座布団モドキをファーちゃんが取り出して、席に案内している。シグちゃんは急いでお茶の準備をしているな。
俺とレイナスがテーブル越しに座ると、2人のハンターはご婦人のやや後ろに席をずらした。ひょっとして護衛なんだろうか?




