P-066 釣り糸の秘密
「お前等が魚を獲るのに一々俺達に断わる必要なんて、これっぽっちも無いぞ。だが、あんまり取れるようなら、番屋に持って来れば俺達と同じように仲買人に渡してやろう。同じ種類が10匹獲れれば仲買人は値を付けてくれる筈だ。ははは……、まあ、頑張れよ!」
隣の番屋に行ったら、ちょうどサルマンさん達が次の漁の相談をしていた。
俺の話を、漁師さん達がおもしろそうに聞いていたけど、最後はサルマンさんの一言で、全員が大笑いをしている。
「岩場で獲ろうと思います。上手く行ったら獲物を持って来ます」
「おお、そうだな。東に突き出した岩場なら、銛で突けるかも知れんぞ。俺達も一度は自分の腕を試したところだ。落ちないように気を付けろよ」
そう言うと、漁師仲間とおもしろそうに酒を飲み始めた。何か良い酒の肴になった気分だな。
それでも、何処で魚を獲っても問題ないなら都合が良い。そう考えて、急いで自分達の小屋に戻った。
「どうだった?」
心配そうに小屋の前で俺を待っていたレイナスが訊ねてくる。
「ああ、問題なしだ。たくさん獲れたら漁師さん達の獲物と一緒に仲買人に卸してくれると言ってたけど……。どちらかと言うと俺達の腕を信用していないな」
「そうだな。俺だって、この糸を見るまでは信用出来なかったぞ。これほど透明な糸は始めて見る」
しげしげと釣竿に結ばれた糸を眺めている。
「それにしても、ちょうど良い竿があった方が驚きだ。浮きと重りもちょうど良い。中間を釣るから、岩に針を取られる事も無いだろうな」
「だが、本当にこれで釣れるのか?」
レイナスの疑問に笑って頷くと、シグちゃんに貰った餌のハムの切り身を持って岩場へと出掛けて行った。
サルマンさんに教えられた東の岩場間で歩いて行く。シグちゃん達が戸口まで出て俺達を見送ってくれたから、後でお弁当を持ってやってくるに違いない。
どんどん砂浜を東に歩いて行く。30分ほど歩くと砂浜が岩場に変わり、その中に置きに突き出した場所があった。30mほど突き出しているが、波は被らない。更に沖にある岩場が波を消しているようだ。
「ここで釣ろう!」
「ああ、良いぞ。で、どうやるんだ?」
釣竿にクルクル巻きつけてある糸を解して、釣針にハムを付ける。結構深そうだが、浮き下は2mほどにしてあるから、そのままで良いだろう。
「針に餌を付けたら、こうやって投げるんだ。浮きがあるから、底までは届かない。浮きが水中に曳き込まれたら、すかさず竿を上げろ! それで魚が釣れる」
「まあ、やってみるよ」
2つの浮きが波間を上下したところで、岩場に張付いている貝を採取ナイフで引き剥がし、ナイフで細かく潰して浮きの近くに投げ込む。
「何をしてるんだ?」
「寄せ餌って言うんだ。魚が食べる物を細かく刻んで投げ込むと匂いにつられて魚が集まるんだ」
ふ~んと聞いているけど、意外と効果があるんだぞ。
そんな時、俺の浮きが一気に水中に引き込まれた。手首を返して合わせると、竿がしなる。何が釣れたんだ?
引きが弱くなったところを見計らって、ゴボウ抜きに釣り上げた魚は、どう見ても黒鯛だ。こんな世界にもいたんだな。革紐をエラに通して水中に投げ込んでおく。
「さっきの魚が釣れるんだったら、頑張らなくちゃな。俺は1度村の婚礼で見たことがある。ファーは見た事が無いんじゃないかな? それ位貴重な魚なんだ」
「ああ、たくさん釣れるといいな。それよりレイナス、引いてるぞ。少し待って、浮きが勢い良く水中に潜ったら竿を立てろ!」
レイナスが釣り上げた黒鯛は俺よりも大きかった。
撒き餌が効いたのか、次々と釣れる。釣りをする者が誰もいないのだろうか? こんなに釣れるとは思わなかったぞ。
「リュウイさ~ん!」
シグちゃん達がカゴを持って俺達のところにやってきた。
そんな彼女達に手を振って、休憩を取る事にした。
「これほど釣れるとはな。20匹近いんじゃないか?」
「俺達で食べた残りは猟師さんに渡そうと思うんだが……」
「そうだな。いつも貰ってばかりだ。これなら漁師さん達も喜ぶと思うぞ」
岩場から浜に戻ると小さな焚き火を作ると、ファーちゃんが直ぐにお茶のポットを乗せる。
俺とレイナスは手を洗うと、焚き火に戻ってパイプを取り出す。
「釣れたんですか?」
「ああ、大漁だぞ。ファー、グチヌが16だ。グチヌは聞いた事があるだろう?」
「婚礼に使う魚にゃ。村の姉さんに聞いた事があるにゃ。一番美味しいって言ってたにゃ」
ファーちゃんが、悲しそうな嬉しそうな複雑な表情でレイナスに答えてる。
教えてくれたお姉さんは死んでしまったのだろう。そのお姉さんが一番美味しい魚と言った魚を食べられるのが嬉しいのでそんな表情をしてるんだろうな。
「でも、まだ昼にもなってませんよ」
「ああ、そこがおもしろいところだ。リュウイは知っているんだろうけど、俺にはさっぱりだ」
「上手い具合に上げ潮だったんだよ。潮に乗って魚は岸辺に近付く、そんな時間に上手くめぐり合ったみたいだな。もうあまり釣れないと思うよ」
「それで、当たりが無くなったのか? なら丁度いい。今日はここまでだ」
野菜サンドをお茶で流し込むように食べるのは、行儀が悪いと思うけど、ここには俺達だけだからな。最初に食べ終えたレイナスが岩場から革紐に繋がれたグチヌを重そうにぶら下げてきた。
どうだ! と言うようにファーちゃん達に見せ付けてるから、2人ともワァ! と歓声を上げて手を叩いてるぞ。
昔食べた黒鯛は美味かった。似た魚だからこれも美味いに違いない。
ファーちゃん達が担いできたカゴにグチヌを入れてレイナスが背負う。俺は2本の釣竿を担いで浜を歩き始めた。
番屋に着くと、レイナスが下拵えを始める。
内臓とエラを取って置けば、魚の痛みが少なくなる事を知っているようだ。
俺達用に形の揃った4匹を選び、ウロコを取って軽く塩を振る。ザルに入れた4匹をファーちゃんが落とさないように番屋に持って帰った。
「残りは、隣の番屋で良いよな。リュウイ持って行ってくれ!」
「そうだな。かなり馬鹿にされた気がするんだ。これだけ持っていけば少しは見直してくれるに違いない」
「向こうは本業だからな。俺達より腕は上なんだろうけど、仕掛けを知らなければこれだけ釣れないと思うぞ。さすがにサンガの糸は丈夫で水中では見え難いからな」
レイナスが渡してくれたカゴには12匹のグチヌが入っている。
それを持って、隣の番屋まで歩いて行くと扉を叩いた。
「隣のリュウイじゃないか? 丁度いい、明日の漁の相談が終ったところだ。一杯飲んで行け」
半ば強引に腕をつかまれて中に入れられた。
「どうした? ぼうっと立ってないでここに着て座れ!」
サルマンさんが強引に自分の隣を空けさせてカップを1個要求している。皆飲むんだよな。ほどほどにしないと明日は二日酔いで動けないぞ。
「はあ……。そうだ、これがお土産です!」
サルマンさんの隣に腰を降ろしたところで、持ってきたザルをサルマンさんに手渡した。
あれほど陽気に騒いでいたサルマンさんの顔が、ザルを覗いた途端に真顔に変わる。
「グチヌ……。10枚はあるな」
ぶっきらぼうに呟いたサルマンさんの声に、回りで騒いでいた漁師達がサルマンさんのところにやってきてザルを覗き込んだ。
「全部、グチヌなのか?」
「俺だって1日に取れるのは精々3枚だ……」
「先ずは座れ! みっともねえぞ。リュウイが俺達の知らない漁の仕方を知っているのはこの間のジラフィンで知ったはずだ。俺達にグチヌを持ってきてくれたのは、その取り方を教えてくれるって事だろう。そうだな?」
ジロリと睨まれてしまった。
サルマンさんの体格だから迫力があるんだよな。シグちゃん達なら泣き出すところだぞ。
「色々とお世話になってますから教える事は出来ます。でもその前に皆さんは釣針で漁をした事がありますか?」
「釣針を道糸にたくさん付けて、石の重りで沈める。それが俺達の釣りになるな。チラはそれで釣るんだ。だが、そんな釣り方ではグチヌは釣れねえ。針の大きさは魚の大きさに合わせて作れるんだが、糸がどうしても太くなるし、その糸を奴等は見破ってしまう」
「誰か隣に行ってレイナスに釣竿を借りてきて貰ってください。俺達は手作りで仕掛けを全て作りました。たぶん皆さんと異なるのは釣り糸だと思います」
直ぐに1人が番屋を飛び出してった。
「だが、丈夫な糸と言っても俺達が使ってるのはこれだぞ」
そう言って漁師の1人が桶に入った仕掛けを俺の前に差し出した。
典型的な胴付き仕掛けだ。桶の周りに10本以上の釣針が刺さっている。道糸はタコ糸よりも太い組紐に見えるし、釣針を結んでいるハリスはタコ糸そのものだ。
釣針も大きいな。俺が作ったものより3倍はありそうだ。
「借りてきたぞ。これだ。俺は初めて見たぞ!」
「貸して見ろ!」
サルマンさんが釣竿を取り上げて、道糸とハリス、それに釣針をジッと眺めている。
囲炉裏の周りに集まった漁師達も、驚きの表情でその糸を眺めていた。
「綿じゃねえな。繊維がもっと細くて滑らかだ。こんな繊維で糸を作れば丈夫でしかも水中で見えん筈だ。リュウイよ。お前が釣り上げたグチヌは仲買人が1枚20Lで引き取ってくれるほど貴重な魚だ。俺達はモリで突くが、釣り上げるなら魚体に傷が付かん。少なくともこのザルで銀貨2枚以上になる代物だ。
この糸を俺達に作ってくれないか? そうだな……、1M(150m)で銀貨3枚でどうだ?」
「お金は要りませんよ。色々とお世話になってますからね。とりあえず糸巻1つを進呈します。それで足りなければ、冬前まで待ってください。俺達の糸の作り方は森で材料を取るんですが、それが取れるのは、初夏から秋に限定されます」
一旦席を立って、釣竿を手に俺達の番屋に戻ると、サンガの繭から作った絹糸を1巻持って来た。
「当座はこれを使ってください。俺達も作りたい物があるんでそれほど融通できないんです」
「すまんな。だが、この糸を見るとどこかでこの光沢を見たことがあるんだが……」
「王都の近衛兵が持つ盾の飾りと同じものです。あの繭からこの糸を作りました」
「何だと! そんな事が出来るのか? 確かにあの鮎の糸は丈夫だし、透明感はあるんだが、それを解すなんてことが出来るのか?」
「なんとか出来ました。出来ればこの糸で布を織ってみたいんです」
「とんでもない値が付くだろうな。だが、俺達漁師の冬の獲物は殆どねえ。そんな暮らしを支えてくれるのは、嫁さんや娘達の内職だ。リュウイが布を上手く作れたら、俺達の嫁や娘に教えてやってくれないか?」
「ええ、もちろんです。上手く行けば村がますます栄えます」
俺の言葉にサルマンさんが笑顔を向ける。
そして酒盛りが始まった。
いつの間にか、レイナス達も一緒になって騒いでる。何となく俺達も村の一員になった感じだな。




