P-111 新年にはチリ鍋を食べよう
もうすぐ今年が終わる。年越しはのんびりと過そうと森に仕掛けてきた罠を昨日レイナスと一緒に外しに出掛けた。
ロクスさん達はイリスさんに連れられて王都に戻ったんだが、春にはまたやってくると言い残して行った。
辺境の村をイリスさん達と巡るんだろうか?
冬は大型獣の狩のシーズンでもあるんだが、この村では大型の肉食獣の話はあまり聞かないからな。
ロクスさん達がいなければ昔通りの暮らしになる。
俺達の腕に見合った狩を続けて、冬に入った感じだ。
向こうの世界なら、正月行事の準備をしなければならないけれど、この世界はそんな風習は無いらしく、のんびりと新年を迎えようという俺の提案を、最初はキョトンとして皆が見ていたくらいだ。
それでも、シグちゃん達が賛成してくれたから、レイナスとしては渋々了承ということになるんだろう。
「リュウイの村は正月という行事があるってことか?」
「そうだな。新年を迎えて、その年が無事に過ごせるようにということだと思うよ。新年の朝は皆集まってお雑煮を食べるんだ。この辺りの麦では材料となるモチができないからそれは諦めるしかないんだけどね」
ある意味、懐かしく決して食べることができない料理でもある。この辺りの主食は黒パンが主だ。地理的条件もあるんだろう。
「決まった月日に決まった料理というのもおもしろいな。まぁ、材料が無くてはしょうがないけど。どうだ? その代わりに俺達はチリ鍋を皆で食べるってのは」
レイナスの提案に思わず、彼の手を握る。確かにあの鍋は帰ることもできない俺の世界の料理そのものだ。あれに、少し高価ではあるが小麦粉を団子にして入れれば雰囲気も出るんじゃないか?
「シグちゃん達が戻ったら頼んでみるよ。朝からのんびり鍋を突いてワインを飲もう!」
外は寒いけど、あたたかな部屋で4人で鍋を囲むのは俺達の暮らしがきちんとできているからに他ならない。それを確認する意味でも良い習慣になるんじゃないかな。
その夜に、シグちゃん達へ新年はチリ鍋で迎えることを伝えたら、ファーちゃんともども嬉しそうに了承してくれた。
「今年は今日で絹織り場を閉めたんですよ。きちんと掃除をして機には布を被せましたから、来年の再開も問題ありません」
「明日、シグちゃんと買物をするにゃ。大きなチリを選んでくるにゃ」
ついでに小麦粉を少し買い込んでほしいとお願いしたんだが、2人とも嬉しそうに頷いているところを見ると、俺の意図を知っているのかもしれないな。前にスイトンを作ったから、チリ鍋でもやってみようと思ってくれたに違いない。
「食べられるのは朝ってだな。新しい罠作りは終わったから、俺はファー達の鏃でも研いでおく。リュウイはギルドを覗きに行ってくれ。ハンターレベルが白の9つになってるんだ。ローエルさん達の手伝いは俺達の仕事だからな」
「緊急依頼の確認ってことだな。無ければ依頼は受けてこないぞ。来年になったら新たに受ければいい」
年越しの依頼なんて願い下げだ。とりあえず新年にチリ鍋を食べてからにしよう。あの盗賊団を迎え討った報酬で俺達の懐はまだ温かい。
そんな相談をした翌日。朝食を終えたところでレイナスを番屋に残して俺達は出掛けることにした。シグちゃんが背負い籠を担いでいったけど、どれだけ買い込むつもりなんだろう? いくら大きなチリが良いと言っても限度があると思うんだけどなぁ。
北門に向かう通りを歩いてギルドに向かう。さすがに冷え込んだ朝だからあまり人が出歩いていないようだ。
ギルドの扉を開くと、カウンターのミーメさんにご挨拶。ミーメさんが片手を上げて微笑んでくれたところで、その手を奥のテーブルに向けた。
暖炉に近い場所に、ローエルさんとサドミスさんがパイプを咥えてこっちを見てるから、急いでテーブルに歩いて行った。
「相変わらず罠猟をしてるのか?」
「俺達に見合った猟だと思ってますから。たまに野犬やガトルに遭遇しますが、大きな群れにはなっていません」
ローエルさんが席を指さしたので、椅子に腰を下ろしてパイプを取り出す。何かあったんだろうか? 2つのパーティの代表者が1つのテーブルを囲んでいるんだよな。
「年が明けたら一緒に狩をしないか? 第4広場の奥の森で、グリストの群れを見掛けたらしい。赤6つのパーティらしいが、いくら獲物が少ないからと言って冬に第4広場の先に行くとは、ムチャとしか言いようがないんだが、直ぐに逃げたから全員が無事に戻っている」
「リュウイでさえ冬は遠出をしないんだが、王都から流れてくるようなハンターにはろくな奴がいねぇな」
確かに無茶な行為だ。冬にはガトルの群れが大きくなる。大型のガトルに俺も腕を噛まれたことがあるからな。籠手を作っていたから良かったものの、イリスさんの話では革鎧でも牙は突き通ると言っていたぐらいだ。
「早々にこの村を離れてくれたから彼らを心配する必要は無くなったが、グリストの群れが残っているなら問題だ。春分が過ぎればハンターが大勢やってくるだろうし、青持ちのハンターならリスティン狙いで今も森に入っているからな」
要するに、村に在籍しているハンターで何とかしたいってことなんだろう。だけどグリストってどんな奴なんだ?
「ところで、グリストって……」
「こいつだ。あの森にはいないはずなんだが、ロクス達が戻ってしまっているんだよな」
サドミスさんが図鑑を開いた頁には、サソリのような昆虫が描かれていた。隣の人間のシルエットと見比べると、かなりの大きさだ。野犬の4倍近くに見える。
「当然、毒も持ってるんですよね?」
「尻尾の先に毒針がある。このハサミも厄介だ。腕ほどの丸太なら簡単に切り取れる」
こっちのサソリはかなり大きいということなんだろうか? そういえばフェルトンはアリの大きい奴だったから、この世界の昆虫は危険だということになるんだろう。
となると、俺の世界にいた危険な昆虫は注意しないといけないのかもしれない。スズメバチやオニヤンマなんかが大きくなったら狩ろうなんて気も起きなくなりそうだ。
「かなり動きが素早く見えますね。それとこいつの表皮は固いんですか?」
「そうだな。ガトル並みと考えればいいだろう。表皮はフェルトンよりは固くはないぞ。数打ちの長剣でも容易に切り裂ける」
「だが、弱点というのがあまりないんだ。見ての通り頭が胴体に潜り込んでるだろう? 腕の良い弓使いなら頭に矢を射ることはそれほど難しくはないんだが、それでも奴らは俺達に襲い掛かる」
頭が弱点には違いないんだろうが、矢が突き立つぐらいでは役に立たないってことなのかな?
そういえば、映画で見たサソリは足で踏みつぶしてたっけ。やはり頭を狙うより、この大きな胴体を潰す感じで槍を振るうってことになるんだろうか?
「ローエルさん達の頼みでは俺達も参加することになりますが、何時頃狩に向かうんですか?」
「王都から来た、青3つのパーティが様子を見に出かけている。昨日出掛けたから、帰るのは年が明けてからだろう。彼らが帰ってから早くて2日目だ。食料は5日分でいいだろう。準備だけはしといてくれないか」
とりあえずローエルさんに頷いたところで、大急ぎで番屋に戻ることにした。
緊急ということではないけど、厄介な依頼には違いない。
番屋の前では、シグちゃん達が大きなチリの解体をしている最中だった。どう見ても40cmクラスだ。明日1日で食べきれるかな?
傍のザルにはぶつ切りの野菜山になっている。あれ全部を入れる鍋なんてあったんだろうか? どう見ても材料の量といつものチリ鍋専用の鍋の大きさが合わないんだよね。
頭に疑問符を乗っけながら番屋に入ると、レイナスが暖炉の前で鏃をヤスリで整えている。先端が曲がった鏃がかなりあったのかもしれない。
「どうだった?」
「あまりいい話ではないんだ。年が明けたら手伝ってくれと言われたよ。なんでもグリストって奴が出たらしい。青3つが調査に向かってる」
俺の話に作業の手を休めて、俺に体を向けると首を傾げている。レイナスもグリストという名は初めて聞いたらしい。
レイナスが入れてくれたお茶を飲みながらパイプを咥えて状況をを説明すると、少しは納得してくれたみたいだ。
「要するにフェルトンよりも小型で攻撃もしやすいってことだろう? 問題はなさそうに思えるが」
「敏捷さはガトル並みで尻尾に毒針、さらには両腕のハサミは腕位の生木を簡単に切るって聞いたぞ。ローエルさんの頼みだから参加することにはなるが、近づくのは厄介この上ない」
「まぁ、明日1日掛けてのんびり話し合おうぜ。リュウイは慎重なのは確かなんだよな」
レイナスに言われたくはないが、今回はかなり面倒だ。打たれ強いというのが何より厄介に思える。
どうにか材料の下ごしらえを終えたシグちゃん達が番屋に運んできたのはザルに3つほどの材料だ。土間近くに置いて布を被せておけば十分に鮮度を保てるだろう。
最後に、ファーちゃんが体を反らしながら番屋に運んできたのは、今までの鍋より2周りほど大きな鉄の鍋だった。ほとんど隣の番屋で漁師さん達が囲んでいる鍋と同じに見える。
「鍋はたくさん作った方が美味しいに決まってます。上手くできたらミーメさん達も呼んであげられますから」
シグちゃんの言葉にファーちゃんも頷いてるけど、俺とレイナスは顔を見合わせて深いため息をついてしまった。




